❀第126話 愛のある、初めての
帰宅して、彼と私は映画を観た。一緒にぼろぼろ泣いたら、ちょっとスッキリした。時間はちゃくちゃくと過ぎていく。お風呂に入ってごはんを食べて、夜になる。
「今日の月も、ほとんどまんまるに見えるね。ほんとはちょっと欠けてるけど」
「うん、そうだね」
「明るく見える面積、99パーセントらしいよ。私があと二時間で死ぬ確率と一緒だね。呪いが意地悪で日本基準じゃなかったら、って話だけど」
「……だね」
日付が変わるのが一番遅い国は、日本との時差が二十一時間らしい。今はだいたい夜の七時。日本で四月一日の夜九時になる頃、すべての国が四月一日を迎えたことになる……はず。たぶん。
私たちはパジャマ姿で、ベッドの上に三角座りをしていた。昨夜のように月を眺め、手を繋いでぼんやりとしている。私は彼に寄りかかって、上目遣いで問うてみた。
「ねえ、薫くん。何時になったら、始める?」
「え、っと?」
「九時過ぎたら、する? まだ怖い? ご褒美、早く欲しいな」
「……桜子ちゃん」
彼が私の頭にキスをした。不安を誤魔化すようなキスだった。待ちわびた約束だ、破られるわけにはいかない。私は彼の唇にキスをする。自ら主導権を握ることにした。
「九時、スタートね」
「いい、の? 俺が、その。……今の桜子ちゃんにとって、初めての相手で?」
「いいよ。貴方がいい」
手を握る力を強め、彼に逃げられまいとした。空いた左手の薬指を見て、嬉しさに再び唇が震える。大きなダイヤモンドが真ん中にあって、サイドにふたつ、ピンク色と青紫色の石がついている。とても綺麗な婚約指輪だった。
「婚約指輪、いつ用意してくれてたの?」
「取りにいったのは、退院した日の帰り。注文したのは、バレンタインデー」
「バレンタインデー……って、薫くんが不良に、えっと、襲われた日?」
「そう、あの日。不良たちに遭遇する前に注文しにいってた。実は」
「あのときに、よくそんなことできたね? もしかしたら、殺されるかもしれないってときの前になんて」
「ポニーテールみたいなものだよ」
「ポニーテール?」
「願掛け、ってこと。俺が生きて帰れるように。桜子ちゃんが、春を過ぎても生きてるように。結婚するなら、俺が十八にならないと駄目でしょ? 四月を迎えて、五月も迎えないといけない。……桜子ちゃんと俺が、その日までも、その先も、ずっと一緒に生きていけるように。願いを込めて、注文してきた」
彼の言葉を聞いて、私は婚約指輪を改めてじっくりと見る。彼の思いを噛み締めながら、宝石の輝きを目で味わう。
「……なんか、二回目のプロポーズみたい。感動しちゃった。ありがとう」
「どういたしまして。石、どんなの選んだかわかる?」
「ごめん、ダイヤモンドしかわかんない」
「だよね。――真ん中のは、ダイヤモンド。小さいのは、ピンクダイヤと……タンザナイト」
私が彼のほうに左手を差し出すと、彼は宝石をひとつひとつ指差しながら説明してくれた。青紫色の石を、彼は特に大事そうに優しく撫でる。
「青紫のが、タンザナイトっていうの?」
「そう。花咲と紫月が一緒になるって感じがしない? ピンクと紫で」
「言われてみれば、たしかに!」
「あとダイヤモンドは、桜の形の影ができるように加工されてる。よく見るとわかるかも」
「へえ。――あ、ほんとだ。たしかに桜っぽい。すごいっ!」
「……石にはいろんな意味がつけられてたりするけど、俺は特にタンザナイトの意味を大事にしてるんだ。この指輪のなかで」
「タンザナイトって、どういう意味の石なの?」
「長年の不幸を脱する石。それがタンザナイト。……長年の不幸って言うより、俺らのは繰り返す悲劇、だったかもしれないけど。不幸の連鎖を、終わらせたいなって。そう思って、選んだ」
長年の不幸を脱する石。繰り返す悲劇を、不幸の連鎖を終わらせる。そういう意味なら、たしかに素敵だと私も思う。けれど――
「悲劇なんかじゃない」
「へっ?」
ひとつだけ、違うと思うことがある。
「私たちが生きた日々は、悲劇なんかじゃない。つらいことはあっても、幸せだった。いっぱいの幸せがあった。……きっと、出会わなければ起きなかった不幸もたくさんあったけど……私たちの恋は、悲劇じゃない。幸せに繋がる道だったよ」
「桜子ちゃん……」
「ごめん、なんか熱くなっちゃった。でも、いい意味だね。タンザナイト。不幸を脱すれば、幸せになれるもん。幸せを願う石なんだね」
「……だね。そういえば、俺、桜子ちゃんに聞きたいことあった」
「ん、なぁに? 薫くん」
私は指輪から視線を上げて、彼の顔を見る。なんだろうと首を傾げていると、彼は私の頭を撫でてきた。
「これはまだ透明な草稿、って。何? 昨日読んでくれた文章」
「ああ、あれね。……うーん、説明が難しいんだけど。私の頭のなかには、図書室みたいな空間があるの。そこには私が読んだお気に入りの本のコピーと、私が書いた文章が入ってる。
薫くんも知っての通り、私って虐待とかいじめとかに遭ってたからさ。つらいこと、言葉にして吐き出して、文字で残しておくような癖があるの。薫くんと生きた楽しい日々も、実は頭のなかで日記に残してる」
「じゃあ、あれは桜子ちゃんが残した日記?」
「……あれは、実は私が書いた文章じゃない。紫月 桜子が書いた文章だけど、私じゃない。って言ってわかるかな? この体のなかには、桜子が何人もいる。並行世界で死んだ複数の桜子がいる。もっと細かく分ければ、パパとママが離婚する前の桜子もいる。中学校でハブられる前の桜子もいる。
……人格が、分かれちゃってるんだ。私。つらいことのあと、分裂しちゃう。今の主人格の私は、レモン味のキスをしたあとの桜子。そしてあの草稿を書いた桜子は、レモン哀歌の約束を破った桜子」
「つまり……一回目の世界の? 紫月さん、ってこと?」
「そう。あの子が私を描いたのが、あの草稿。桜子の人格はバラバラになってて、思考回路も完全には繋がってない。人格同士で話し合いもするし喧嘩もする。でも、図書室だけはみんなで共有されてるんだ。三月一日に全部の桜子が帰ってきてからは、蔵書数が一気に増えた。って感じ。
私は呪いのせいか、過去の記憶を無理やり繋げられたから、思い出すみたいな行為もできる。でもそれは、たぶん正確な記憶じゃない。ぼんやりとしてる。私は、全部の桜子を知りたい。だから別人格の桜子とよく話すし、頭のなかの本、別の桜子が書いたやつ、最近はよく読んでるの。
……これで、なんとなく伝わった? 私も精神科医じゃないからさ、正しい分析じゃないかもしれないけど。でも、私の認識では、こんな感じ――って、最初の質問の答えより、話しすぎちゃったかも。ごめん」
「ううん。なんか、勉強になった。桜子ちゃんの心のなか? 精神世界? 覗いたみたいで、ゾクゾクする」
「その言い方は、ちょっと変態っぽい」
「……わざと、過去の俺と同じような台詞回ししてる?」
「さあ、どうでしょう??」
ふたりでクスクスと笑い合って、抱きしめあって横になる。服を着たままで、中学生みたいなちょっとしたいちゃいちゃをして、時を過ごした。
ピピピ、とアラームが鳴る。夜九時のお知らせだ。これで、地球上のどこもかしこも「四月一日」。もう、呪いは乗り越えたと解釈していいだろうか。
「九時に、なったよ」
「なったね」
そして九時というのは、私と彼が約束をしていた時間でもある。愛のある初めてのセックスを、始める時間だ。
こういう、想い合っている相手としたことがない私は、どうしたらいいのかよくわからない。なんとなく、ふたりとも起き上がって、ベッドの上で正座をして向き合った。
「あの、薫くん?」
「はい、桜子さん」
「えっと……なんだろう。正直言うと、ちょっと怖いな。過去の記憶、フラッシュバックするかもしれないし。この体では初めてだから、痛いかも。薫くんとするの、初めてだから……相性っていうのかな、良いかも、わかんない。期待に添えるか、わかんない。
私、スタイルは良くないし。妄想はよくするから、ちょっとむっつりかもしれないけど、そういう技巧はよく知らない。だから、その。……優しく、してね?」
「もちろん優しくするし、痛くないようにする。――残念ながら経験は豊富にあるので、俺はやり方わかってます。委ねてくれれば大丈夫。心配には及びません。
あと、性病についての心配もいりません。ちゃんと一通り検査しました。なんも病気持ってません。でも、実は不能かもしれません」
「……そう、なの? そういう状態に、なれないってこと?」
「なれるけど、出ないかもってこと」
「あ、あー……。そう、なんだ?」
それは知らなかった。たしかに夏に実家で見つけたアレには、液体は入っていなかったかもしれない。母と彼とのことなんて、あまり考えたくないけれど。彼が続ける。
「話の続き。スタイルも技巧もどうでもいい。スタイル悪いと思ったことないし、技巧はそもそも期待もしてない。できないと思ってるからじゃなくて、好きなひととなら、なんだって幸せだと思うから。桜子ちゃんは可愛いし、綺麗なことも俺は知ってる。
ただひとつ……フラッシュバックは、どうにもできない。様子はじっと見てるけど、わかんないこともあるかもしれない。だから、つらくなったらすぐ言って。声が出なければ、俺を叩いて。動けなくなれば、たぶん俺もさすがに気づく。……傷つけたくない。思い出させたくない。本当は、めちゃくちゃ怖い。でも、したい。愛のあるのを、君としたい」
「うん。私も……怖いけど、したいよ。薫くんと、したいよ。好きだから」
彼がゆっくりと近づいて、やさしい普通のキスをする。じわじわと唇の重なりが深まって、それから私は押し倒された。
「愛してるよ、桜子ちゃん」
「私も愛してるよ、薫くん」
彼はどこまでも優しく丁寧に、私との触れ合いを進めてくれた。その手つき、吐息、声、すべてが愛にあふれていて、私って愛されてるんだなと自惚れる。
「――不能じゃないじゃん」
「俺もびっくりです。いや、本当に、一年以上――」
「そーいうの、細かく聞きたくない」
「はい、ごめんなさい。黙ります」
終わったあと……と言えばいいのか。気恥ずかしさでツンデレ化した私は、彼の体にしがみついていた。避妊のためにゴムはつけていたし、ちゃんと問題ないように彼はしてくれたのに、私はくだらない文句を言ってしまう。
でも……やっぱり、本音は嬉しいんだと思う。照れ隠しでこう言っちゃうだけで。こういうことができるってことは、将来、ふたりの赤ちゃんを作れる可能性もあるってことだから。
安堵のため息のような微かな声で、私は呟いた。
「……フラッシュバック、しなかった」
「良かったね。……ほんとうに。よかった」
「……私、今もちゃんと『良いお嫁さん』?」
「ああ、最高のお嫁さんだ。これからは……お嫁さんしか、知りたくない。花泥棒は、もうやめる」
「じゃあ、ぜんぶ受け止めてあげますね。貴方のお嫁さんなので」
「……ああ」
二日になったね、と私は彼の腕のなかで呟いた。
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