❀第125話 お花見の約束
二〇一八年、四月一日。朝の九時過ぎ。
ロンドンの本初子午線も通過して、あちらも四月一日になった。私と彼は生きていて、手を繋いで外を歩いていた。
今日の彼は女装をしていなくて、ピシッとした感じのかっこいい服を着ている。私は真っ白のワンピースを着て、髪には桜の花びらのヘアピンをつけていた。今度は季節外れではないけれど、また彼とのおそろいだ。
本屋さんとDVDショップに行ったあと、私たちは公園へと向かう。私が前に暮らしていたアパートと、その最寄り駅とのちょうど真ん中くらいにある、小さな公園だ。
三回目の私が彼と出会った場所でもあり、五回目の私がレモン味のキスで記憶喪失になった場所でもあり、あの三月一日の待ち合わせ場所でもある。
今日は、綺麗な桜が花開いていた。一本しか生えていないけれど、なかなか見事に咲き誇っている。やわらかな風に吹かれて、花びらがちらちらと散っていた。
ふたりでベンチに腰掛け、しばらく桜を見ることにする。私が作ってきたおにぎりを、彼が保冷バッグから取り出して渡してくれた。膝の上に敷いたハンカチに、ふたつのおにぎりが仲良く並ぶ。
ひとつめは、私が得意な塩むすび。ふたつめは、彼の希望で梅干しおにぎり。ひとりでふたつずつ、ぜんぶで四つ。
私がおにぎりを作るときは、海苔は巻かないことにしている。アパート時代は節約していたので家に海苔がなく、そもそも選択肢は存在しなかった。白いご飯がそのまま見えているこの形が、紫月家のスタイルだ。
「いただきます」
「いただきます」
私は塩むすびを先に食べながら、梅干しおにぎりを食べる彼を見る。彼の髪は今日も桜の色をして、陽の光に照らされてキラキラと輝いていた。
こんなにかっこよくて素敵な人が、今となっては私の恋人。彼を忘れて迎えた入学式の日、あのときと比べると感慨深い。
「美味しいよ、桜子ちゃん」
「ありがとう、良かった。たーんとお食べ」
ふたりで目を合わせ、何秒間か笑いあう。彼の視線はまたおにぎりに戻る。美味しそうに食べてくれる彼のことが大好きだ。これからもたくさん料理を食べさせてあげたいな、と思う。
あの日、彼に手をひかれるのがどこか懐かしかったのは、過去の私もひかれたからだ。呪いで彼を忘れてしまっても、心の奥には残っていた。だからときどき記憶が脳裏を掠めて、不思議な気分にさせられた。本当に繰り返してきたんだなぁ、と改めて思う。
私の彼氏の花咲 薫くんは、今日も誰よりかっこいい。眺めているとごはんが進む。おにぎりを食べ終えても、私は彼を見つめていた。同じく食べ終えた彼が、不思議そうに私を見る。
「桜子ちゃん、どうしたの? そんなに見つめられたら、穴あいちゃいそう」
「私たちって、運命で結ばれてたのかな。何度繰り返しても好きになって、またこうして恋人になって……赤い糸、繋がってるのかな」
「かも、ね。……桜、綺麗だね。よく咲いてる」
「うん、綺麗だね」
「桜子ちゃんのほうが、三億倍も可愛くて綺麗だけど」
「あ、薫構文ですね」
「なに、薫構文って」
「桜子ちゃんのほうが、X倍または程度の甚だしさを表す副詞、可愛いまたは綺麗。貴方がよく使う褒め言葉です」
「……桜子ちゃん」
「はい」
彼が真剣な瞳をして、私を見つめる。真っ直ぐに貫かれるようでドキドキとした。彼がゆっくりと手を握って――……
「あ、待って薫くん」
「なんでしょう、桜子ちゃん」
「おにぎり食べたあとだから、手を拭きたいです。あと、ちょっとお茶も飲みたい」
「了解です桜子さん、そうしましょう」
半ば呆れたような顔で彼が笑う。持ってきていたおしぼりで手を拭いて、ペットボトルの緑茶をこくりと飲む。はぁーっというため息を、ふたりでまったく同じタイミングでついた。
「気が合いますね、薫先輩!」
「そうですね、桜子ちゃん。気を取り直――……あの、桜子さん? 何をしてるの??」
「えへへー、リアル桜餅っ」
彼の頭に黄緑色のハンカチを載せたら、まさに桜餅になれるだろう。入学式の日に思いついたアレを、いよいよ今日、実践してみた。
やわらかな抹茶色のタオル地のハンカチを、彼の頭にそーっと載せた。やっぱりこれは桜餅だ。きょとんとした表情が可愛い。思わずにこにこしてしまう。
「うふふ、可愛いねぇ。ずっと見てられる」
「……紫月 桜子さん」
「はい、花咲 薫くん――って。待って、もしかして、怒って……る!?」
可愛かった彼の顔が、いつの間にか不機嫌そうになっていた。慌ててハンカチを退かそうとすると、彼に手首を掴まれる。
「ぴえっ?!」
「おてては、お膝の上にいてください。ふざけないで、大事なお話を聞いてください」
「はぁい……」
言われたとおりに、両手をハンカチとともに膝の上に置いた。幼稚園児に対するみたいな扱いをされ、こちらもちょっと不機嫌になる。おふざけが過ぎた自覚はあるけれど、こんなご機嫌斜めにならなくてもいいのに。
「……ごめんなさい、先輩。ふざけちゃいました」
「謝ってほしいんじゃない。ごめん、俺もちょっと誤解させた。ふざけてるのが嫌なんじゃなくて……いや、やっぱり嫌だ」
「嫌なの!?」
「ああ、無理して笑ってるのが嫌だ。ここ最近、ずっとそう。いつ死ぬか、いつ死ぬかって……俺は不安でいっぱいなのに、君は笑ってばかりいる」
「たしかに、そう、だけど……。だけど、笑ってないと、やってらんないよ。それに、薫先輩が笑えないときこそ、私は笑いたい。貴方の不安に光を差したい」
「それも、わかってる。――ああ、もう。俺だってそうだよ。悲しそうな顔してたら、笑わせたくなる。なんでか反対の感情にさせたくなる。……難しいって、わかってるのに」
重たい沈黙の時が、流れた。五度目の世界でようやく迎えた、二〇一八年の四月一日。
私たちの道のりには、失敗もすれ違いもたくさんあった。たくさんのことを乗り越えて、今日という奇跡の日を生きている。この先にも困難が待ち受けるであろうことを、私も彼もわかっていた。
「紫月 桜子さん」
「はい、花咲 薫くん」
お互いを真っ直ぐに見つめあう。彼の桜色の髪がさらさらと揺れていた。桜の幹みたいな茶色い瞳には、泣きそうな私の顔が映っていた。彼が大きく呼吸する。
「俺らは、喧嘩するときもある。相手の何かを嫌だなって思うこともあるし、空回りすることだってしょっちゅうある」
「うん」
「君は俺のことを『嫌い』ってたまに言う。俺もたまに嫌味を言う。……でも、今もこうして一緒にいる。また恋人になっている」
「うん」
「いつか死ぬのはみんな一緒だけど、それでも怖い。考えて、悩んで、不安になることは、これからもたくさんあると思う。いっぱい心配事があると思う。過去の記憶にも、いっぱい苦しんでしまうと思う。俺も桜子ちゃんも、つらいことばかりの人生になると思う」
「……うん」
「正解は、いつもわからない。嘘をつくのが正解のときもあるし、素直に言うのが不正解のときもある。本当に難しい。……でも」
彼が鞄のなかから、何かを取り出した。本当に、そろそろ泣いてしまいそう。まだ早いと思うのに、涙で瞳のなかが熱い。
「桜子ちゃんと一緒に生きることに、俺は幸せを感じたことが何度もある。これからの人生を、桜子ちゃんと一緒に歩きたい。眠りにつくときには、俺の隣にいてほしい。いつも、いつまでも。……俺は、桜子ちゃんを愛してる」
「私も愛してるよ、薫くん」
すん、と洟をすすって、私は答えた。彼が手のなかの小箱を開ける。指輪についた宝石が、晴れ空の下でキラリと光った。
「これからも、俺と会話を続けてください。たくさんの会話をしてください。今度は一年契約と言わず、永遠に続く契約を。……結婚しましょう、桜子ちゃん。俺の『本当のお嫁さん』になってください」
涙が二粒、双眸からこぼれ落ちた。はらはらと続けて伝っていく。舞い散る桜の花びらのように、透明な雫が落ちていく。
「……はいっ、薫くん。貴方のお嫁さんに、ぜひとも迎えてくださいな。今度は永遠の契約を結ぶと誓いましょう。私は、薫くんの妻になります。結婚をします」
彼が指輪を取り出して、左の薬指にはめてくれた。涙でぼやける視界のなかで、キラキラと強く輝いている。
頬を撫で、涙をすくった。目を閉じれば、唇には熱が触れる。やわらかな甘さが心臓を貫いた。
「……桜子ちゃん」
「はい、薫先輩」
「大好きだ」
「私も、大好きっ!」
私がぴょいっと抱きつくと、彼はこともなげに受けとめてくれた。たくましい腕に抱きしめられて、彼への愛があふれ出す。首筋がしとしとと濡れるのを感じ、胸が高鳴る。彼が一緒に泣いてくれている、それがとても嬉しかった。
「ねえ、薫くん」
「なぁに、桜子ちゃん」
「不安なとき、一緒に泣ける映画を観よう。一緒にたくさん涙を流そう。笑えないなら、泣いちゃおう。悲しむときはめいいっぱい悲しんで、嬉しいときはたくさん嬉しがって……これから、たくさんの思いができるだろうね。貴方と生きる未来が、私、とても楽しみ」
「俺も……楽しみなことが、たくさんある。桜子ちゃんと、したいことがたくさんある」
「うん、いっぱいしよう。……たくさんの幸せを感じられる夫婦になりたいね。つらいこともあるだろうけど、幸せがたくさんあるといいね」
「うん、そうだね。幸せになろう、桜子ちゃん」
強い風が吹いて、桜の花びらがたくさん舞った。ひらひらと飛んでいく。美しく儚く散り果てる。華やかな薫りが漂って、空気から春を感じてる。
四月一日の桜の下で、私たちは永遠を誓った。結婚して夫婦になる約束を交わした。
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