❀第124話 満月の夜 −後−
お風呂から上がると、まず彼が私の髪を乾かしてくれる。私は地肌に触れられる気持ちよさに笑みながら、自分の腕にペタペタと薬を塗り込む。
私の髪がさらりとなったら、今度は私が彼の髪を乾かす番。彼の髪の毛は桜色。丸みを見たら桜餅。君色に染まりたい、なんて。そんな想いで、彼は桜色になっている。
ホワイトフローラルの残り香を感じつつ、私は彼のパジャマをめくる。苦しい日々のなかで鍛えられた筋肉に見惚れつつ、彼の傷痕にも薬を塗る。
夜。彼が買ってくれた、小さめのホールのショートケーキをふたりで食べる。お互いに食欲があまりなくて、ごはんは私が作った肉じゃがだけを食べた。
テレビゲームの豆男カートをやって、また私は負けてしまう。彼はCPUにも勝っていて、堂々の一位を取っていた。
夜の九時半。いつもより九十分早い時間に、歯磨きを終えた私たちは寝室へと向かう。いつもどおりのパジャマで、いつもどおりの私たちで、ベッドサイドの窓から夜空を見た。
「九時三十六分に、満月ですよ」
「あと四分か」
「うん、あと四分」
手を繋いで、彼にゆっくりと寄りかかる。彼は文句のひとつも言わずに、私の重みを受けとめてくれた。ピンク色の毛布をふたりで羽織って、お互いのぬくもりを感じてる。
時計の秒針が刻む足音が、私たちの耳を打っていた。それ以外は聞こえない、静かな四分間が経過した。
「月が綺麗ですね」
三十六分、きっかりゼロ秒。彼が呟いた。私はひとつ瞬きをして、あの子が欠けてる、と瞳を潤ませた。まんまるの月が、グニャリとぼやける。
「……私は、貴方と生きたいな。これからも、ずっとずっと。貴方のそばにいたい。薫くんと、一緒に生きたいよ」
「うん、良かった。あの答えじゃなくて。……俺も、桜子ちゃんと一緒に生きたい。桜の花の下で、笑う君を見たい。成人式で振袖を着てる君を見たい。結婚式でウェディングドレスを着てる君を見たい」
「結婚式は、洋装希望ですか? 和装は嫌? 私、ウェディングドレスも気になるけど、白無垢も憧れる」
「白無垢でもなんでも、きっと綺麗だ。挙げるときに一緒に悩もう」
「うん。いっぱい悩もう。……あのね、薫くん。私、貴方と、こうして一緒に過ごせて良かった。何度も貴方を傷つけた私だけれど……何回も、隣にいさせてくれて、ありがとう。愛してる」
「やめてよ、そんな最期みたいな台詞」
「いまさらだよ。今日、ずっとそうじゃない。死亡フラグみたいに、未来の話ばっかりしちゃって。……うん、でも、そうか。4.9パーセントか。もしかすると、1パーセント。……私、やっぱり死ぬのかな。今、こんなに元気で、幸せだけど、もうすぐ絶望するのかな」
「やめて。そういうこと、言わないで。怖くなる」
「じゃあ、遠い未来の話をしましょうか。私が貴方を置いて死んだら、仏壇にはアイスクリームを供えてください」
「桜子ちゃん」
彼が咎めるような声をして、手を握る力を少し強めた。私は月から視線を剥がし、彼を見る。泣きそうなのに気づかれたくなくて、満月からこの瞬間まで、チラチラとしか見ていなかった。いつから彼は月を見ていなかったのか、穴があきそうなほどに私を見つめていた。
永遠に焼きつけようとしているような、必死な色をした瞳だった。そんなに見つめられたら燃えちゃいますよ、と言おうと思ったけど、そばに消火器があるのでやめにした。彼が今日という日を迎えるのに、どんなに不安を抱いていたか。煽るのは意地悪だ。
「置いてから、二十分もあれば完食します。おばあちゃんになって知覚過敏になってても、アイス好きの意地で食べきります。スプーンもちゃんと置いておいてね。期間限定のが食べたいの。……貴方は? もしも貴方が先に逝ったら、私は何を供えればいい?」
「肉じゃがが食べたい。味噌汁が飲みたい。でも、毎日じゃなくていい。無理はしなくていい。ただ、できることなら。顔だけは毎日見せてほしい」
「了解しました、マイダーリン」
嫌々答えてくれたような彼に、よしよしと頭を撫でてやる。刻々と過ぎる時間のなか、いちゃいちゃした。未完成な触れあいだった。
いろんなところにキスをした。抱きしめて、離れて。手を繋いで。キスをして。また抱きしめて。多様な触れあいを繰り返した。最後までしなかったのは、することを心から望んでいるからだ。
「ねえ、薫くん」
「なぁに、桜子ちゃん」
「私、死ぬならどうやって死ぬんだろう。絶望して、って、どうして絶望するんだろう。貴方さえ隣にいれば、私はきっと絶望しないのに」
「じゃあ、もしかすると俺が先に死ぬのかもね」
「ああ、なるほど。今度は貴方が私を置いていってしまうんだね。貴方の死体を見ることになるんだね。そして私は絶望して、死んでしまって……線香花火みたいだね。私は、同時がいいなぁ」
「俺も、叶うなら同時が良い。桜子ちゃんと、一緒に死にたい」
「置いてったら、許さないんだから。長生きしてね、薫くん。私がしわしわのおばあちゃんになっても、愛してね」
「ああ、変わらず愛し続けるよ」
「……明日の貴方に、とても会いたい」
「俺も、四月一日に生きる桜子ちゃんを知りたい。生き続ける君に出会って、愛を込めて抱きたい」
この呪われた十三ヶ月を、繰り返しの日々を。4.9パーセントを乗り越えた先で、守りたい約束がある。
明日を生きたい。明日に重なりたい。明日を、明日を。
秒針の音が頭に響く。ベッドに入るのは、いつもは夜の十一時頃。その時間はもう過ぎた。寒い。怖い。お互いにしがみつき、熱を、やわらかさを求めていた。
「薫くん」
「はい、桜子ちゃん」
「私たち、いろんな話をしたね。いっぱい会話したね」
「うん、したね」
「夫婦生活は長い会話である。って。ニーチェの言葉があるよね。……私、偽物だけど。ただの一年契約だけど……ちゃんと『良いお嫁さん』だった?」
「ああ。最高のお嫁さんだった。最強に可愛い妹だったし、最愛の恋人だった」
「そっか、良かった」
「クリスマスイブに、言ったこと。覚えてる? 今日で一年契約は終わるけど……これからもずっと一緒にいるか、お別れにするか。――どうする?」
「もちろん覚えてるし、答えは決まりきってるよ。私は死ぬまでずっと、薫先輩の隣にいる。だから、契約。更新してくださいね?」
残酷な針が時を切り刻む。私たちに、四月一日が迫ってくる。夜十一時、四十九分。
「桜子ちゃん。ワガママを、聞いてくれる?」
「はい。なんなりと」
「声を聞きたい。もうなんでもいいから、ずっと何か喋っててほしい。一方通行でいい。キレイな声を、俺に聞かせて」
「じゃあ……頭のなかの本棚から、何か朗読するもの持ってこようかな。――あ、そうだ。これは、まだ透明な草稿なんだけど」
「うん」
「また女といちゃついてら、と桜子は心のなかで呟いた。――」
チクタクチクタク、秒針が静かに時の経過を知らせる。私の声に、彼はずっと耳を傾けてくれていた。
「――桜子は彼の、『本当のお嫁さん』になりたかった。……ふぅ、これで一区切り。ところで今、何分?」
「零時四分」
「……ん? もう一回言って?」
「二〇一八年、四月一日の……零時、四分」
「四月一日?」
「四月一日」
「エイプリルフール、ですか? 私、おばかさんだから。騙されてるかな」
「今日はエイプリルフールだけど、俺は嘘をついてない。今は、四月一日の、零時五分だ」
「……乗り越えた?」
「かも、しれない。でも……」
「あ、もしかしたら日本時間じゃないかもしれないね。ロンドンの本初子午線が基準かもしれないし、ハワイかもしれない」
「だね。まだ油断できない。いきものの森、またやろうか?」
「……まだ、くっついてたい」
「わかった。くっついていよう」
彼のことを、きつくきつく抱きしめた。彼もたくましい腕で、私を抱き返してくれた。とくんとくんと心臓が鳴る。唇から吐息が漏れる。生きている音がする。生命の熱がある。
眠りたくない。眠ったら、すべてが消えてしまいそうで。怖くて。――明るい光が部屋に満ちたとき、自然と涙がこぼれ落ちた。
真っ暗の夜が明けて、私と彼とは四月一日の朝を迎えた。今日の天気は、晴れだった。
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