❀第123話 満月の夜 −前−
私が生きていられる確率は、1パーセント? あるいは4.9パーセント?
何にしたって、あと数週間の間に私は死ぬかもしれない。自殺することはきっとないけど、また殺されるかもしれない。過去に四度、私は新たな春を見る前に死んでいる。99パーセントの確率で死ぬってこと、デタラメな数字だと思うのに笑い飛ばせない。
彼は、私に家に引きこもっていてほしかったみたいだ。外での事件や事故に巻き込まれる危険性をなくすためだとは、私もよくわかっている。けれど、もしも離ればなれのままでお別れになったら、きっと死んでも死にきれない。未練が残って幽霊になってしまう。だから私は、毎日彼を訪ねることにした。
彼のご両親には会わないように時間をずらして、ご挨拶は四月になってからさせてもらう予定。薫先輩も、なかなか苦労してきた人だ。万が一の事態が起きたときに、彼のご両親を悲しませてしまいたくない。と、ふたりで話し合って決めた。
大切な恋人だと紹介された女性が亡くなるよりも、息子を危険な目に合わせた女が死んだ、というほうが、ご両親にとっては精神衛生上は良さそうだよね? ということだ。もちろん死なずにご挨拶できることを私は望んでいるけれど、いざそのときになったら、すごく緊張するんだと思う。いま考えただけでも手汗が滲む。
私は雪美さんと一緒に、たまに陽一と一緒に、薫先輩のお見舞いに行った。三人や四人でお喋りすることもあったけど、雪美さんも陽一も、私と薫先輩がふたりきりで過ごす時間を必ずくれた。ふたりは私たちの最高の協力者だった。
「薫先輩っ、こんにちはー」
「こんにちは、桜子ちゃん」
彼と一緒に、本や漫画を読む。あるいは一緒に、タブレット端末で映画を観る。私たちは、そんなふうに日々を過ごしていた。彼は順調に回復していた。
今日は、一冊の小説をふたりで読んでいる。彼が好きな映画の原作小説――と言っても、彼がその映画を観たのは一回目の二〇一七年のときだけらしいけど。まだ私と恋人関係じゃなかった頃、引きこもりがちだった夏休みのある日に、気晴らしに観にいったとのこと。
余命いくばくもない女の子と、彼女が病気だと知ってしまった男の子の話。なんとなくストーリーは予想できたつもりだったけど……やられた。
「まさかヒロインちゃんが殺されてしまうとは……」
「初見だとびっくりだよね」
「うん、そうだねぇ」
「でも、実際こういうこともあるんだよなぁ、って。桜子ちゃんと出会ってから、思い知った気がする」
「私も殺されちゃったもんねー。……ごめんね、つらい思いさせて」
「俺こそ、ごめん。……待ってごめん、こんなしんみりさせるつもりじゃなかったんだけど」
「わかってるってば。――そうだ。明日からはさ、あれ読もうよ。彼女が実はパラレルワールドから来てましたーってやつ」
「ん、いいよ。それ読み終わるのと退院できるの、どっちが先かな」
「……早く帰ってきて。隣に薫先輩がいないと、寒いよ。夜も、安眠できないの」
「うん、頑張る。ごはんいっぱい食べるね。病院食は好きじゃないけど」
「帰ってきたら、私の料理食べさせてあげるから。肉じゃがとハンバーグとお味噌汁、作るね」
「楽しみにしとく」
私と薫先輩は学校をお休みしたままで、三学期が終わった。彼が退院したあと、ふたりで春休み中に赴いて、先生方から心配の言葉やら課題やらお小言やらを頂いた。
彼は私の作る料理を、毎日「美味しいよ」と言って食べてくれた。毎日お風呂でいちゃいちゃした。毎晩ベッドの上で抱きしめあうけど、結ばれたことはなかった。
「四月一日も生きてたら、ご褒美くれる? 初めての愛、私にくれる?」
「……ん、いいよ」
「やったっ、頑張って生きるね。――もう、薫くんったら泣き虫だなぁ」
「ごめん」
「でも、そんな可愛い貴方が大好き」
薫先輩は、よく泣いた。家に帰ってきてからは、毎日泣いてた。
三月三十一日、土曜日。今日も私は生きていた。彼も一緒に生きていた。でももしかすると、今日は私が生きる最後の日になるかもしれない。薫先輩は、目が覚めた瞬間から泣いた。涙ながらに私を抱きしめ、愛してる、と呟いた。
朝、私が目玉焼きを作る。ハムを焼く。ご飯と味噌汁と一緒に食べる。歯磨きをして、ふたりで映画のDVDを観はじめた。前に病院で読んだ小説の実写版映画。結末は知っているけれど、文字と映像とではやはり違う。
「ヒロインの女優さん、可愛いねぇ」
「桜子ちゃんのが可愛いよ」
「またまた〜、褒めても何も出ませんよ?」
「……いつもどおりだね」
「ね。……電気消す?」
「うん」
カーテンを閉めて電気を消して、テレビの画面だけが明るく目立つ。映画館風だ。コーラを片手に、ときどきポテチを食べながら観る。たまに指先がかち合った。
「――良かったね」
「うん、いい映画でしょ?」
「薫先輩オススメの映画、もっといろいろ観たいな」
「俺も、桜子ちゃんのオススメする本が読みたい」
「じゃ、明日。本屋さんと、DVD売ってるとこ行こう」
「うん、絶対行こう」
真っ直ぐな約束を交わすと、お昼は彼がごはんを作ってくれた。メニューは明太クリームパスタ。私がこの世界で彼と出会った日、初めて彼と一緒に食べたのもこれだった。あの日は彼がキッチンの使い方や道具について説明してくれて、私が麺を茹でてみたのだ。お試し期間のお話だ。
過去の私もここで料理をしていたのに、この私はまったく覚えていなかった。どんな気持ちで、彼は私に接していたのだろう。一緒に過ごした日々の記憶をまるきり失くした私を見て、彼はどんなにか切なくなっただろう。
「桜子ちゃん、なんで泣いてるの?」
「入学式の日、これ食べたなぁ。って。コーラとポテチもそうだよね。おやつに食べた。私、あのとき貴方のこと覚えてなかったでしょ? ……覚えてない私と過ごすのは、寂しかっただろうな。って、そう思ったら、なんか泣けてきちゃった」
「たしかに寂しかったけど、新鮮だった。君と過ごしたこの一年間は、つらいこともあったけど、とても楽しかった」
「待って、そんなこと言われたら泣きやめなくなる。やばい、パスタ冷めちゃうじゃん」
「あーんしてあげようか?」
「……うん」
彼がパスタをクルクルと巻き取って、私の口に運んでくれた。誰かと一緒にごはんを食べると美味しいんだって、思い出させてくれたのは彼だった。いっぱいの幸せを、彼からもらった。
ごはんのあとはソファの上で、彼と一緒に漫画本を読む。今日のはR指定がされるようなものではなく、少女向けの純粋で可愛らしいものだ。ストーリーは、いじめられっ子の女の子を男の子が助けて、ふたりの間に恋が芽生えるというもの。
「そういえば、薫先輩」
「なぁに、桜子ちゃん」
「前にえっちな漫画とか動画とか見せてきたの、なんでだったんですか?」
「ああ、あれね。桜子ちゃんが恥ずかしがるのが可愛くて好きだから、見たかった。あと……ああいうコンテンツは、過去の記憶がある君には楽しめないかな、って思ったからというのもある。覚えてない間に、見せてみたかった。今までの俺らは、そういうのしてこなかったからさ。ちょっとリスキーだけど」
「あー、たしかに。過去にも見たことなかったかも。……無理やり系のは怖くて見たくないけど、ああいうのだったら、今も大丈夫だと思うよ。また今度、一緒に見よ?」
「うん、そうだね。可愛い顔、もっと見せて」
「明日も生きてたら、きっと一番に可愛い顔を見せられるんだけどなぁ。……このシーン、私たちが初めて付き合ったときに似てるね」
「あ、バレた? 告白の前日に、読んでたのがこれだった。ご都合主義感めっちゃあるけど」
「ロマンティックには虚構も必要ですからねぇ」
漫画を読んでいると、だんだんと日が落ちてきた。時が過ぎ、今は夕暮れ時。四角いすりガラスの向こうはオレンジ色。私と彼とは、お風呂に入っているところだ。
私の左腕の傷も彼のお腹の傷も、もう塞がったので入浴がのびのびとできる。今日のお湯の色はブルーで、選んだ彼曰く『海の匂い』。リラックスできる香りな気はするけど、やっぱり海らしい匂いではないなと思う。
「ねえ、薫くん」
「ん、なぁに。桜子ちゃん」
「海ってさ、もっと塩辛い匂いだったよね? 四回目の私たちが行ったとき、しょっぱくて痛い感じだった」
「たしかにそうだね。これだと色だけ海で、ブルーハワイのシロップに浸かってるみたい」
「……もう一回、海。行きたいな。今度は暑い時期に、水着着て行こうよ。きっと楽しい。肌は見せないように、ラッシュガード着ればいいでしょ?」
「うん、ラッシュガードは必須だね。可愛い桜子ちゃんを他の男に見せすぎるのは良くないし、日焼けは傷痕にも悪い」
彼がそっと、私の左腕の傷痕を撫でた。毎日薬は塗っているけれど、まだはっきりと線が残っている。一生消えないかもしれない。
「薫くん。この傷、好き?」
「え?」
「前……三回目の私が、お母さんに腕切られたあと。薫くん、なんか愛しそうな顔してたから。傷が、好きなのかな、って」
「……一回目の君の、リスカとその傷の痕を初めて見た日。俺はあの日、君のことを初めて可愛いと思った」
「私の可愛さに気づいた日の、思い出みたいな感じ?」
「まあ、そんな感じ」
「そっか。……薫くんのおかげでさ、私、傷だらけの女の子じゃなくなったね。繰り返すたびに、貴方が防いで癒やしてくれた。ありがとう」
「……どういたしまして」
「ふふっ。この傷、またおそろいだねっ」
私は彼のたくましい腕を撫で、瞼や太腿、お腹も撫でてみた。彼の古傷が残る場所。私の知らない、小学生の彼の傷、中学生の彼の傷。そして私を助けてくれた、高校生の彼の傷。腕の傷は、ふたりのおそろい。
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