✿第122話 青先輩
「……こんにちは、花くん」
「……青、先輩」
いったいどこから嗅ぎつけてきたのか、俺が入院している病室に、青先輩がやってきた。
今日は何日だったか……と数秒間考えて、もう彼女の卒業式は終わったんだな、と俺は気づく。青先輩は気まずそうな顔をして、中途半端なところで突っ立っていた。
「とりあえず、座ったらどうです?」
「……うん。お邪魔します」
互いに沈黙する気まずい時間が、しばらく流れた。
俺が最後の巻き戻りをしてからは、青先輩はずっとセフレみたいな存在だった。そういう行為をしないで一緒にいることが、あまりにもなさすぎて、何を話せばいいのかわからない。俺らは今、そういう状況にいるのだと思う。
「あのね、花くん」
「はい、なんですか」
「私……大学、行きたいところ受かったの」
「そうですか。おめでとうございます」
「北海道に行くわ」
「そう、ですか」
やけに遠い場所だな、と思った。ここは首都圏だし、行ける大学はいくらでもあったはずなのに、よりにもよって北海道に行くのか。なんて。
「もう……花くんの邪魔は、しない。約束する。今日はね……お別れを、言いに来たの」
「そうですか」
「さっきから『そうですか』ばっかりね。考えてみれば、いつもそうだったかな。花くんは、私と話しても楽しそうじゃないものね。うん。……わかってたよ」
そりゃあそうだ。楽しめるはずがない。今だって、正直に言うのなら、さっさと帰ってほしいと思っている。
「別れなら、冬のうちに済ませたつもりだったのですがね」
「ごめん。でも聞いて。花くん。……私ね」
「はい」
「花くん。……いいえ、花咲 薫くん。中学生の頃、私は貴方に一目惚れをしました。それからずっとずっと好きで、好きで……セフレにしてくれるって言われたとき、悔しかったけど嬉しかった。何回もしていれば、いつか好きになってくれるかな、なんて期待もした」
「そうですか」
「でも……違うんだよね。花くんが好きなのは、紫月 桜子ちゃん。私、なんで花くんがあんなに私のこと憎んでるのか、よくわからなかったけど……でも、花くんが桜子ちゃんのこと好きだってことは、よくわかったよ」
「はい。俺は、彼女一筋ですから。憎むとか何とかいうのは……俺がしつこい男なんで、中学の時のこと、根に持ってるだけです」
「そう。ごめんなさいね。好きすぎてしちゃったことなの。それと、もうひとつ。ごめんなさい。花くんに嫌われるのが怖くて、今まで隠してたけど……私、あの子に嫌がらせしようとしたの。バド部の後輩とかに命令して」
「知ってます。栗田とその友だちですよね。……軽い嫌がらせの段階で俺が気づいて止めたんで、あんまり効果はなかったみたいですけど」
「知って、たんだ」
「はい」
過去の世界でそうしていたように、青先輩は、この世界でも桜子ちゃんに嫌がらせをしようとした。栗田たちを使って、桜子ちゃんを傷つけようとした。
最初に変だなと思ったのは、桜子ちゃんのスカートが汚れていたとき。あとで聞いたら、掃除のときに他の班の子のチリトリとぶつかっちゃって、と彼女は言っていたけれど、俺は誰かがわざとやったんじゃないかと疑った。それで、よりいっそう注意深く気にするようにした。
嫌がらせは、ほんの些細なものだった。彼女のシャーペンや消しゴムを、わざわざ別の階のゴミ箱にまで捨てにいっていたり。彼女の体操服を入れる袋に、こっそりハサミで小さな穴をあけていたり。移動教室のときに、彼女にだけ違う場所を教えていたり。
無くなったものは俺が密かに買い足して、破れたものは俺が密かに繕い、「今日ね、教室間違えて迷子になっちゃったの」という彼女の報告は優しく受け流して、嫌がらせのことを桜子ちゃん本人に気づかれないようにと苦戦した。そして酷くなる前に証拠を掴んで栗田たちと話して、青先輩からの命令だったということも吐かせていた。
花泥棒が愛する「紫ノ姫」という評判のおかげで、重く悪質な嫌がらせは防げていたと思う。でもやっぱり、俺が巻き戻って変えようとしただけじゃ変わらないことも多くある。
青先輩は、いつも桜子ちゃんを敵視する。彼女のことを、栗田たちと一緒になっていじめようとする。
高藤 柊馬は、いつも桜子ちゃんに告白する。今回は変なことをちょっとしようとしているくらいの段階で俺が脅して手を引かせたけれど、やっぱり彼女を好きになることは変わらないのだ。
何度繰り返しても、青先輩は俺に執着心と愛を抱き、高藤は彼女に恋をする。だから、もしかしたら本当に――最初に生まれたときから決まっているという本当の運命のひとの組み合わせは、そちらなのかもしれない。花咲 薫と青柳 明穂。高藤 柊馬と紫月 桜子。
花咲 薫と紫月 桜子の出会いは、恋は、悪魔の悪戯か何かのせいで生じたイレギュラーなのかもしれない。
「青柳 明穂先輩」
「なに、花くん」
「俺の大切なひとを傷つけようとしたことについては、許す気はありません。すみません。そして――貴女の気持ちには、応えられません。何度もお伝えしたとおり。俺は、紫月 桜子だけを愛しています」
「うん。……うふふっ、知ってる。最後、もう一回だけ、言ってもいい?」
「どうぞ」
「花くんのことが、好きでした」
「はい、ごめんなさい」
「はい。……じゃあ、行くね」
「はい、さようなら。どうかお元気で」
「うん。……さようなら、花くん」
名残惜しげにゆっくりと言って、椅子から立ち上がり、青先輩は病室を出ていった。
ドアが閉まりきったあと、俺はため息をつく。本当に、彼女はもう邪魔してこないだろうか。本当に、俺らはこれから平穏に暮らしていけるだろうか。そして桜子ちゃんは、四月も生きていられるだろうか。
天井を見つめていると、ドアが開く音がした。
「青先輩? 忘れ物でも――」
「残念。青先輩じゃありません。桜子ちゃんでした」
そこにいたのは、桜子ちゃんだった。まさか、さっきの会話を聞かれていたりするだろうか。
悪いことをしていたわけではないが、なんとなく聞かれたいものではない。彼女は綺麗な笑みを浮かべて、ツカツカとこちらに歩いてくる。ちょっとコワイ。
「薫くん?」
「は、はい。桜子さん」
「私でもなく雪美さんでもなく看護師さんでもない女の人と、ふたりきりになってたんだ。ふぅん?」
「いや、あの、別に何も変なことは――」
「『俺は、紫月 桜子だけを愛しています』って、本当?」
「はい、それは本当です」
「……もっかい呼んでみて」
「へ?」
「桜子、って。呼び捨てしてみて?」
そういえば、俺は彼女を呼び捨てで呼んだことがない……気がする。怒っているような圧力を持った彼女に負け、俺は小さく呟いた。
「……桜子」
「聞こえない。やり直し」
「桜子」
「よくできました。薫くん。よしよし」
彼女は顔をふっと緩めて、俺の頭を撫でてきた。何かを許されたようだった。
「セフレに未練とか、無しだからね。これからは、全部のそういうこと、私としてね。舐めるだけとか、触るだけとか、そういうのもダメね。私だけね」
「はい、君だけにすると誓います。桜子さん」
「よろしい」
彼女は俺の髪をわしゃわしゃとかき混ぜて、愉快そうに笑ったあと、突然にキスを落としてきた。
「キスの権利も、私のものです」
小悪魔的に唇を舐める彼女は、今日も天使のように可愛い。
俺が他の女と会ったとしても、そのあとで彼女に会えば、俺の頭のなかは桜子ちゃんばかりになる。俺はそういうバカなんだと思う。
「桜子ちゃん」
たまには呼び捨てもいいけれど、俺が好きな呼び方はやっぱりこっち。俺は彼女の頬を包んで、優しく甘いキスをした。
どうか、四月も彼女が生きていますように。このループがハッピーエンドで終わりますように。
そんな願いを込めて、今日も彼女と唇を重ねていた。
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