❀第117話 全部の桜子ちゃん

 白い部屋に、あたたかな光が差していた。微睡みから覚め、私はぼんやりと瞬きする。桜子ちゃん、と聞こえた気がした。


 目元をこすり、彼を見る。薄く開いた茶色の瞳は、まるで桜の幹みたい。


「おはようございます、花泥棒先輩。お目覚めですか」


 こくりと頷く。なるほど彼は起きたらしい。まったくお寝坊さんなんだから。


 今は何時、何日だろう? ベッドのそばのデジタル時計は、3月3日の午後3時33分を指していた。3が揃っている。面白い。


「先輩、午後三時半ですって。学校あったら授業終わってますよねぇ。うーん……」


 あくびをして伸びをする。何か大事なことを忘れているような気がした。彼の顔を見ると、ぱちぱちと瞬きをしている。可愛い。


「先輩ったら、二日も起きなくて……起きなくて……あれ? 二日? ――二日?!」


 ガタンと音をたてて椅子から立ち上がる。さらにガシャンと倒してしまった。べちべちと頬を叩いて、改めて彼を見る。夢じゃない。彼が瞬きをして、不思議そうな顔で私を見ている。


「先輩? 起きて、ますか?」

「……うん」


 いつもより掠れた声で、やわらかくない。でも、誰よりも愛しいひとの声だった。彼の頬へと手を伸ばす。なんとも言い難い常温だった。


「私のこと、わかる?」

「……さくらこ、ちゃん」

「生きてる?」

「いきてる」

「――! ナースコール、押していいですか!?」

「ん」


 押そうとしたら手から滑って、一発でうまく押すことができなかった。二度目でしっかりプッシュする。


 看護師さんやらお医者さんやらが来て、彼のご両親と雪美さんもやってきた。目覚めて良かった、状態も悪くはない。本当に良かった。警察の人も来て、私と彼は事情聴取にも応じた。


 なんだかんだとバタバタして、彼とふたりきりで話せる状態になったのは、日が暮れる頃のことだ。


「夕方の空って、いろんな色がグラデーションで綺麗ですよね。先輩っ」

「うん、そうだね」

「……名前、呼んでもいいですか?」

「いいよ」

「じゃあ、薫先輩で。――さあ、全部話してもらいますよ。雪美さんからループのことは聞きましたから。貴方の口から、残りは白状してもらいます」

「うん。全部話すけどさ。その前に……ひとつ聞いていい? なんで、桜子ちゃんは生きてるの?」

「先輩が庇ってくれたから、重傷は負いませんでした!」

「そうじゃなくて。……なんで?」


 納得していないような彼の顔を見て、そっちのことかと理解する。彼が尋ねていたのは、あの悪魔のことだったのだろう。私は笑って答える。


「私は、悪魔に命を捧げませんでした。命を賭けて貴方を救う、その選択をしませんでした。理由はわかりますか?」

「……俺が死んでも、問題ないから?」

「ぶっぶー、不正解です。薫先輩、まだ寝ぼけているようですね。部分点にもなりません。0点です」

「じゃあ、なんで」

「貴方のことを信じ、愛しているからです。そして、感謝しているからです」


 まだわからない、というような顔をする彼。あどけなく愛おしい額に、私は軽く口づけた。彼から湧き出る???疑問符が吸い取れそうだ。彼の目を見て、はっきり話す。


「悪魔なんかに頼らなくても、目覚めてくれると信じてました。私は貴方がいないと、とてもじゃないけど生きていけません。即死することはないにしても、きっと早死にしちゃいます。でも、貴方は大好きな私に長生きしてほしいはずだから……だから、貴方は目覚めてくれるはずなんです。

 そして過去の記憶が戻ってきた今、私は貴方の献身を知っています。貴方が命懸けで守ってくれた命を、諦めるなんてことがあるでしょうか? いいえ、絶対にありません。

 もしも万が一にも、貴方が助からなくても……私は、この命を捨てるつもりはありませんでした。それが貴方の望みだと思っているから。貴方なしでは短い人生だろうけど、頑張って生きるつもりでした。生きる覚悟を決めました」


 彼の表情の謎が解け、瞳に涙の膜ができる。涙をいつでも拭ってあげられるよう、彼の目元に手を添えた。


「ね、薫先輩。私の選択、今度は正解だったでしょ?」

「うん、大正解」

「やったっ! ……じゃ、今度は私が聞く番です。貴方が企んでいたのは、復讐ですか?」


 どストレートな質問に、彼は面食らったようだった。しかし間違ってはいなかったらしく、深く頷く。


「ああ、復讐だ。過去の桜子ちゃんを死に追い詰めたやつらを、みんな害してしまいたかった」

「花泥棒になったのも、それのせい? 私のこといじめてた人を抱いたり……あと、なんだろう。事件の関係者の恋人を寝取ったり?」

「……よく、わかってるね」

「だって、もう思い出しちゃったんだもん。過去のいじめのこととか、襲われたときのこととか」


 青柳 明穂先輩は、過去の世界でも彼に惚れていた。二回目の世界、彼と交際していた私に嫉妬して、私への性的暴行事件を企てた。


 栗田 祐歌は、過去の世界で私をいじめていた。青柳先輩の企てた事件に加担して、私が襲われるときの動画を撮っていた。


 高藤 俊太は、一見無関係な人間だ。けれど彼の弟が、その事件の暴行犯のひとりだった。


 私と同じクラスの高藤 柊馬は、どの世界でも私に告白してきた。そして二回目の世界では、青柳先輩から金銭を受け取って、私に暴行した。四回目の世界では、自らの意思で、そういうことをやってきた。


 同じクラスの高藤に、先輩がどんな復讐をやったのか。私は知らない。けど、全部そうなのだと思う。


 私が知らないところでも、彼は何かをやっていた。事件やいじめの加害者だけでなく、その家族や友人さえも。みんなが復讐の対象だった。何かしらの手段をもって、やつらを傷つけてきたのが、花泥棒先輩というひとだったのだと思う。


 彼がおもむろに手を伸ばし、私の頬をさらりと撫でた。ごめんね、とまた呟く。私は首を勢いよく横に振った。


 彼が悪いんじゃないのに、いつもこう。彼はいつも自分を責める。復讐を企んだ自分自身にも、きっと愛想を尽かしている。


 そんなの悲しい。大好きな彼が、彼自身を嫌ってしまうのが悲しい。自己否定に走る姿は、見てられない。


「薫先輩は、何も悪くない。私のために、いつも頑張ってくれたでしょ?」

「頑張ったけど、いつも駄目だった。それに、桜子ちゃんのためじゃない。過去の君を忘れられなかっただけだ。俺が許せなかっただけだ」

「じゃあ、過去の私のこともみんなずっと愛してくれて……ありがとう! 大好きです、薫先輩っ!」

「……前の君と、言ってることが違う」

「そうだよ。だって、全部の私の記憶が、人格が、今の私にはあるんだから。『過去の君』だって、もう私の一部なんだから」


 ひとり欠けているみたいだけど、ということは彼にはまだ言わないでおく。あとで探しにいけばいい。居場所はだいたい察しがつくし、精神世界の本棚も手がかりになるはずだ。あの子の未練も晴らさないといけない。ちゃんと、彼と話す機会をあげないと。


「全部の桜子ちゃんが、本当に君のなかにいる?」

「うん、いる」


 ごめんなさい、本当はひとり、欠けてます。


「じゃあ……できなかった謝罪を、今させてほしい」

「うん、いいよ」


 彼はひとつの深呼吸をして、始めた。彼が抱えた罪悪感に、小さな晴れ間を差すための声だった。


「一回目。告白に気づかなかった。君が自殺するほど追い詰められていたことにも、気づかなかった。ごめん」

「あれは、まあ。私がって遠回しに言ったのが悪いので、大丈夫です。自殺も……複合的に重なって、あの日に限界が来ちゃっただけですから」

「二回目。君が傷ついているのを知りながら、事態の悪化を恐れて何もしなかった。九月一日に会う約束をすれば、生きててくれると思い込んで……虐待を通報しなかった。病院にも連れていかなかった。ごめん」

「うん。そうでしたね。でも、薫先輩は悪くないですよ。私が別れたいって、しんどいって言ったんですから。純潔でなくなった負い目から、貴方を拒絶したのは私です。素直に……貴方に話していれば良かったなって、いまさら思います。私こそごめんなさい」

「三回目。過去の君の話をして、不安にさせた。俺も焦ってたから、八つ当たりみたいなこともした。喧嘩ばかりになって、すれ違った。最後のデートの日、思うことがあったのに……君の嬉しそうな顔を見たら、行くな、なんて言えなかった。ごめん。俺が止めてたら、君はきっと殺されなかった」

「うん。そうだね。でも、私も悪いことした。嫌なことも言った。ごめんね。過去の話、聞いたときはびっくりしたけど……でも、貴方が我慢できなかったことなら、私が受け止めてあげるべきだった。貴方の背負う苦しみを、私が一緒に抱えられたら良かった。ごめん。

 あのときはさ、ずいぶん長く付き合ったよね。倦怠期っぽいのもあったし。喧嘩もしたし。……クリスマスデート、楽しかったよ。本当に」

「四回目。これは……もう、酷いとしか言えない。ごめん。馬鹿だった。狂ってた。毎日生きてるだけで破滅に向かってるみたいだった。……君が泣きも笑いもしなくなって、つらかった。

 あと、味噌汁。作らなくていいって言ってごめん。毎日じゃなくてもいいのは本当だけど、君の生きる意味を奪いたかったわけじゃない。桜子ちゃんが作る料理は、いつだって美味しかったよ」

「うん、ありがとう。いつも美味しいって言ってくれたよね。初めて食べさせたの、卵焼きだったっけ? 懐かしいなぁ。あの逃避行も、いま思えば楽しかったかもしれない。あんなにいろんな県に行ったの、初めてだったから。可愛い服もいっぱい着せてくれて、ありがとう。あのときは……いっぱいごめんね。つらかったよね」

「――五回目。君の記憶を奪った。あの幸せな日々の俺を、嫌われるのが怖かった。復讐に走る俺を、君が嫌いになると思ってた。他の女をたくさん抱いて、悲しませた。気持ち悪かっただろうな、とも思う。桜子ちゃんのお母さんとも、そういう関係はあった」


 彼の言葉に、ドクンと心臓が跳ねた。覚悟はしていたけれど、実際に言われると、こたえるものだ。彼とお母さんとの、関係。雰囲気はちょっと似てたから、私の代わりにしてたときもあったのかな。って、思う節がないわけじゃない。


 でも、彼は私のお母さんを愛していたわけじゃないとも思う。彼は、私のママを恨んでいた。ママが私を虐待したから。過去の私に援助交際を無理やりさせて、したくないことさせたから。自殺の原因になったから。パパのことも恨んでた。過去の私を犯して殺したから。彼は復讐のために、私の両親を殺そうとしたはず。


「俺は……桜子ちゃんの親を、ふたりとも殺そうとした。直接手にかけたわけじゃないけど、死なせたのは俺だ。バレンタインデーにわざわざ襲われにいったのも、過去に君を殺したやつらが犯罪者として裁かれるようにしたかったからだ。俺は、防げたはずの犯罪を防がなかった。別の時空の罪だとしても、許せなかったからだ」


 バレンタインデーの不良グループは、過去の私を倉庫に攫って、強姦、放火、殺人をした人たちだ。彼が女装して行ったのは、あの罪を再現させるため。もう一度、この世界でも法に裁かれるようにするため。


 殺される前にやめにして、彼らを犯罪者にさせた。自分への暴行、強姦未遂の罪を背負わせるのが、彼らへの復讐だった。でもきっと、もともとは殺すつもりだったんだろう。


「うん、それは――」

「桜子ちゃん」


 彼が再び大きく息を吸う。言われる言葉をすぐに察した。二回目の私がよく口にした、あの言葉。ショックを受けないよう、身構える。


「別れよう」


 カーテンがひらり、揺れた。換気のために開けていた窓を、私は黙って閉めにいく。外はもう暗くなっていて、深いブルーは悲しそう。ここで気分まで落ち込むわけにはいかれない。くるりと振り返り、はっきり告げる。


「嫌です。別れません」

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