✿第115話 三月一日「俺も一緒に生きたい」
電話どころじゃないのに、着信音は鳴り続ける。さっさと出て、すぐに切ろう。画面をスライドして、ベッドからおりる。トイレ、浴室、キッチン……彼女はどこにいるのだろう。探さなくては。
「こんな夜中になんだよ姉貴。いま姉貴に構ってられないんだけど」
『私だって何もなければこんな電話しないわよ! そんなことより、起きてくれて良かった。簡潔に言うね。桜子ちゃん、家出してない?』
「……は?」
『あんたたちのGPSのデータ、私にも共有されてるでしょ。忘れたの? 薫に言われたとおり、こっちは今じゃ三十分ごとにチェックしてやってるのに』
「い、や。それは覚えてる、けど。マジで?」
『うん、マジで。たぶん、さっき電車に乗った。薫のとこ、なんかメッセージとか来てないの?』
そう言われ、通知欄を確認する。――ああ。本当だ。
[実家に帰ります。]
これは、家出だ。
「メッセ来てた。実家に帰るって。今から追いかける」
『なるほど、わかった。ってことは、桜子ちゃんはアパートの方に向かってるのね。支度しながらで良いから聞いて』
「うん」
『残念なお知らせ、終電過ぎてるから薫は電車では追いかけられない。そしてふたりが忘れてそうなこと、あのアパートは解約してる。桜子ちゃんは実家には帰れない』
「ああ、そうだった。……なあ、雪美姉ちゃん」
『なんだい、弟』
服装はパジャマ、足元は裸足にスニーカー。そんな格好でエレベーターを待ちながら、俺はぽろりと弱音をこぼす。はやく、はやく上がってこい。
「この状況、あの日に似てるんだ」
『あの日って?』
「前に桜子ちゃんが死んだときのこと。隣で寝てたのに、彼女が外出したのに気づけなかった。もしかすると……もしかすると、桜子ちゃんは――」
『薫、やめなさい』
「……姉ちゃん」
エレベーターの扉が開く。こんな時間だ、誰もいない。こんな夜中に、か弱い桜子ちゃんがひとりで外にいる。泣きそうになる。彼女は、また――
『どうせ後戻りできないところまで来てる。最後まで諦めるな。頑張れ、薫』
「雪美姉ちゃん」
『好きなんでしょ? 守りたいんでしょ? 家族と過ごす時間を削ってでも、嫌なことしてでも、桜子ちゃんのそばにいたいって。あんたは私にそう言ったでしょ。薫』
「ああ、言った」
『頑張れ、薫。――私は、警察に電話する。それで桜子ちゃんが保護されればラッキーだと思って。あんたは全力で追いかけろ』
「わかった、ありがと姉貴。……じゃあ、切る。いってきます」
『うん、いってらっしゃい』
電話を切り、俺は次するべきことを考える。
いじけたときの彼女の行動は、彼女の癖は。……彼女はこういうとき、俺から連絡が来ても無視をする。
どこかの駅で降りて待っててと言ったって、聞くはずがない。彼女の目的地はわかっているのだ、俺はそこに向かうことを目指すべきだ。
彼女のGPSの情報を確認する。あの路線は曲がりくねっていて、電車より自転車で行ったほうが早い場所も多くある。よし、これで行こう。
目が覚めてからしばらく経ったのに、未だに体が重くて眠い。まるで睡眠薬を飲んだかのように――そうか、彼女に飲まされたのか。
普段なら――四度目の彼女が死んでからの俺なら――彼女がトイレに立つときだって気づく。ちょっとしたことで目が覚める。彼女が眠ってくれないと、俺も眠ることができない。
彼女が出ていったのにぐっすりと眠れていたのは、薬のせいだ。ああ、イライラする。
事故らないようにと気をつけて、けれど全速力で漕いでいく。
――今夜、彼女はまた死ぬような目に遭う。
そう感じた。今までだってこうだった。
一回目、彼女の想いに気づけなかった。
二回目、援交疑惑で音信不通になった。
三回目、たくさんすれ違って――仲直りするのが遅すぎた。手遅れだった。
四回目、彼女の「死にたい」思いをうまく聞いてやれなかった。
五回目。俺はまた間違えた。
――どうか、間に合ってくれ。
ながら運転は悪い事だが、すでに人殺しなのだから、この程度のことを気にしたってしょうがない。彼女からの電話で、すべてを思い出したのだと知らされる。もう隠し通すことはできない。
「桜子ちゃん。俺の名前、呼んで」
死亡フラグには、させないよ。
『……薫くん。薫くん。大好き』
「俺も、大好き。俺の名前を、もう、最後の言葉になんてさせないから。桜子ちゃん。俺は――桜子ちゃんに、生きててほしい。でも、わがまま言うなら、俺も一緒に生きたい」
『……うん』
「中学三年生の桜子ちゃんと高校一年生の俺が、初めて会った公園。そこで待ち合わせしよう。そこまで逃げてきて。ふたりで頑張ろう」
『レモン味のキスした、公園?』
「そう。桜子ちゃん、愛してる。今年の四月……一緒に、お花見行こうね」
『はい。――先輩。私も愛してます。……もう、約束は破りません』
電話を切って、一旦止まる。GPSを再確認。大丈夫、もうすぐそこだ。ペダルに足をかけ、再び思いっきり漕ぐ。
走る。ひた走る。あの公園が見えはじめる。あとちょっと。
桜子ちゃんが、見えた。殺人犯も。やつが近づく。彼女が転ぶ。考えろ、どうするべきか。俺が攫われかけたとき、自転車に乗った姉貴はわざと車に撥ねられた。
そうか、俺がやられればいいんだ。
公園に入ると自転車を乗り捨てた。ガシャンと音を立てる。やつが驚いたように、グルリと振り返る。ここで躊躇している時間はない、俺は大股で走って突っ込む。
刃物が俺の腹に突き刺さる。ここで倒れるわけにはいかない。俺の桜子ちゃんに触るな、穢らわしい。やつの手から刃物を離させ、俺の腹に刺さったままにさせておく。
やつの首の後ろに蹴りを落とす。効くのか半信半疑だったが、間抜けな顔で倒れやがった。俺の桜子ちゃんの上で寝るんじゃねえ。さらに数回、蹴って転がしておく。よし、これでいい。
倒れていた桜子ちゃんが、慌てたように動き出した。ああ、怖かっただろう。
「先輩……」
桜子ちゃんが生きている。良かった。腕からは血が出てるけど、いきてる。よかった。
俺は笑って、彼女に駆け寄ろうとして――倒れた。なぜ? そうか、刺されたからか。すごい、貫通してるなぁ。
「先輩……先輩っ!」
彼女から俺に駆け寄って、傷口に触れてきた。まだ刃物があるから危ないよ。さわらなくていいよ。
「桜子ちゃん……」
「先輩、血が……。どうしよう。先輩、なんで?」
「俺は、大丈夫だから……桜子ちゃん、は、四月一日までは……絶対、ひとりに、ならないで」
俺がここで死んだとしても、君は生き延びて。
「なんで。今、私の心配なんて、してる場合じゃない! 先輩が、血、いっぱい出てて。お腹に、穴あいてる。私のせい? 私が家出したせい?」
「……桜子ちゃん。これ」
桜のヘアピンを、彼女に渡した。こんなときでさえ、俺は無意識に髪につけていたらしい。
もともとは、彼女の大切な〝宝物〟だ。いつか返してやらないとって、思ってた。
「……最後の、一枚。大事に、して……」
「先輩。これって――」
「桜子ちゃん。俺は…………」
君と一緒に、いきたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます