✿第114話 三月一日「愛してる。生きててね」
最後の二〇一八年、三月一日。……俺は、また過ちを犯した。
四度目には彼女の遺体を見た、三月一日。一年前には彼女の記憶を奪った、三月一日。
桜子ちゃんが「99%の確率で絶望して死ぬ」女の子でなくなるまで、あと一ヶ月。二月十四日までの事件は回避した。あとちょっと。毎日が不安でたまらなかった。
彼女が今度死にそうになるのはいつなのか、それがわからないから恐ろしい。何も起こらないはずがないのに、予想が全然できやしない。
毎日毎日、近隣エリアで起きた事件をネットで調べている。一番凶悪なのは、未解決の連続バラバラ殺人事件か。
……もしも桜子ちゃんがバラバラになったら、俺は絶対に気が狂って自殺すると思う。他にも行方不明事件がチラホラとあるし、物騒な世の中だ。
三月一日の朝。十六歳になった彼女を抱きしめたまま目が覚める。
毎朝、目が覚めるたび、彼女が消えていないことに安堵する。またひとりで外に出て、殺されていたら、つらすぎるから。
この日を生きている彼女に会えるのは、この世界が初めてだ。精いっぱいに祝って、喜ばせてやりたいと思う。
彼女が、また「髪をポニーテールにしてほしい」と頼んできた。クリスマスイブには「首を出してたら寒いと思うよー」と言って断ってハーフアップにしたけれど、今日は彼女の誕生日。特別な日だ。叶えてやりたい。
彼女がポニーテールにするのは〝願掛け〟のとき。クリスマスイブに告白することを、彼女はきっと前から計画していたのだと思う。あのときハーフアップにしたのは、ささやかな抵抗だったのだが、彼女はそれでも告白してきた。
そんなに好きなんだ。って、ちょっと嬉しかったけど。……でも、俺は。取り返しがつかない罪を犯したから。ずっと一緒にはいられない。
ふうっ、とため息をつき、彼女の髪を結い終える。伸びたなぁ、とふと思った。
――今日の君は、いったい何を願ったの。去年はキスをねだったけど、今日は何が欲しいの。
どうか、俺が〝できること〟を願ってほしいと思う。可愛らしい小さな願いであれと思う。
彼女と一緒に昼休みにお弁当を食べて、いつもどおりに帰宅した。彼女は何も求めることなく、俺と一緒にお風呂に入り、せっかく結ったポニーテールをほどいてしまう。何も願われないのかと安堵しかけた。
前にジュエリーショップに行ったとき、ついでに今日のプレゼントも買っておいた。生きて帰れて良かった、と思う。パパラチアサファイアのネックレスを贈ると、彼女は可愛らしく喜んだ。
彼女が抱きついてくると、ホワイトフローラルがふわりと香る。首筋に唇を寄せられ、舐められた。随分と積極的だ。
「桜子ちゃん、いちゃいちゃしたいの?」
「うん、したい。ベッド行きましょ?」
「ここじゃ駄目なの?」
「いつもよりいっぱいいちゃいちゃしたいの」
「……俺、セックスはできないよ」
「……なん、で?」
最愛の恋人が、ねだるような顔でこちらを見上げる。なんで。……ああ、なんでだろう。なんではっきりと拒絶してしまったのだろう。
今日の彼女の願い事は、これだ。そう察した。でも、俺は意気地なしで。そして彼女の死を何よりも恐れていて。
誤魔化すように、額にキスをする。ひどく不誠実だな、と感じた。情けない言葉が口を滑る。
「ごめんね、桜子ちゃん。俺、できないの」
「こないだ襲われちゃったから、そういうことするのが怖いんですか?」
「ううん、違う」
「じゃあ……体が、そういう状態になれないってこと?」
「それも、違う」
「……なら、なんでできないの?」
君が死ぬのが怖いから。フラッシュバックが怖いから。君が性的暴行を受けたときのことを思い出して、つらくなって……自殺してしまったらって、怯えてるから。
「ごめん」
「ごめんなんかじゃ、わかんないです。他の女とはしたでしょ?」
「桜子ちゃんとは、できない」
「私に魅力がないってことですか?」
「違う。桜子ちゃんは、可愛いし綺麗だし、大好きだけど……そういうんじゃない」
「そういうんじゃない、って?」
「セックスしようと思える相手じゃない、ってこと」
「……は?」
彼女が大きく目を見開く。言葉のチョイスを間違えた、やらかした。
違う、そうじゃない。
――大事だから。
そう、真っ先に言うべきだったろ。
「……意味わかんない」
「ごめん、桜子ちゃん」
「意味わかんない。意味わかんない! ほんと意味わかんない!!」
彼女が俺の腕から逃げ出す。悲しそうに、つらそうに、俺をきつく睨みつけた。
「なんで! なんでできないの?!」
「ごめん」
「遊びなんですか!? 結婚したいのは私だけで、先輩にとっては、やっぱりただの『今年死にやすい』女の子? それとも、死んだ彼女の代替品?」
「違う」
「なら、なんで。なんでしてくれないの!」
「桜子ちゃんが、大事だからだよ。愛してるから」
タイミングを間違えると、本心からの言葉でも薄っぺらく聞こえる。
「愛してるなら、してよ」
「愛してるから、できない」
「……っ、もう。先輩のことなんて、知らない! 嫌い!」
完全にいじけさせてしまった。今日は彼女の誕生日なのに、喧嘩してしまった。
彼女が玄関へと向かう。まさか家出でもするつもりか?
「ひとりでどっか行くなんて、許さない」
ひとりで家の外に出て、過去の君は死んだから。
「ねえ、先輩」
彼女はドアノブに手を掛けたまま、振り返らないままで俺に言う。
「うん。なに?」
「先輩は、なんでこんなに変わっちゃったの? 私が……私が知ってる先輩は、私だけのこと好きでいてくれたよ。私が一番で、私だけが大事な女の子だって。言ってくれたよ。前の彼女の話なんか、一回もしなかったよ」
「うん。ごめん。でも、今も桜子ちゃんが一番だよ」
「でも。してくれない」
「ごめん、俺が悪かったから。もう、俺のことひとりにしないで。俺、桜子ちゃんがいないと不眠症になる」
「私は不眠症の治療薬代わりってことですか」
この世界の君の前では、嘘ばかりだった。出会った四月から、ずっとずっと、嘘で塗り固められていた。たまに真実を混ぜていても、伝わらないんだね。こんなに、大事なのに。好きなのに。
「違う。違うよ。桜子ちゃんは、俺の大事なひと」
「……じゃあ、仕方ないから、家出しないであげますね。一緒に寝てあげます」
彼女が突然、くるりと振り返る。俺が涙を拭ってやると、彼女は自然な笑顔を見せた。ああ、可愛い……許してくれたのだろうか?
「先輩、大好き」
「俺も、大好き」
「玄関先に立ってたら、なんか寒くなっちゃいました。私、ココア飲もうと思うんですけど、先輩もなんか飲みますか?」
「じゃ、俺もココア頼んでもいい?」
「はい! じゃあ、トイレ行ったあと、手洗ったら作りますね」
さっきまでの喧嘩が嘘だったかのように、彼女はにこにこと愛らしく笑う。下手にまた怒らせるのが嫌で、俺はリビングで待つことにした。
……あそこまで険悪な空気になったのは、今の彼女とは初めてだ。俺が嘘で平和を作っていたと同時に、彼女も平和のために騙されてくれていたんだとふと気づく。
俺は結局、また彼女を苦しめる。
「先輩、ココア入りましたー」
「ああ、ありがとう。桜子ちゃん」
甘くてほろ苦いココアをゴクゴクと飲んで、息をつく。
三月三十一日まで守り終えたら、俺の罪を告白しよう。彼女の家族を殺したことを告げ、別れよう。
俺はきっと、十三ヶ月間の彼女を救うためだけに出会った。彼女を幸せにするためではなく、ただ生き延びさせるために。彼女が四月一日も生きられるように、延命治療の薬のように存在した。
それは言わば、
こんなにも繰り返して、こんなにも不幸にさせたのだ。自分には、彼女を幸せにする力がない。そう嫌でも気づく。
どんなに上辺では平気な「花泥棒」のフリをしていても、俺はただの「花咲 薫」。彼女と恋人になったのは、嘘から生まれた「花泥棒」だ。
「桜子ちゃん、愛してる。生きててね」
そう言って、手を繋いで眠りについて。あと何回、彼女に『愛してる』と言うことが許されるのだろうかと、そんなことを考える。
いつもどおりの夜だと、思っていた。やけにあっさりと眠りにつけて、彼女のぬくもりが尊くて。
電話の着信音で目が覚めた。寝ぼけ眼で画面を見ると、かけてきたのは姉貴だ。夜中に迷惑なやつだ……って、あれ? あれ?
――桜子ちゃんが、いない?
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