第110話 呪われた記憶――君と別れるその日まで、俺は「花泥棒」を貫く
意外や意外、桜子ちゃんはすぐに同棲契約を結んでくれた。なんというか、薄っぺらい危機感と危うい信頼感を持っているらしい。ツンツンした彼女を懐かしいと思うと同時に、自分の体を大事にしてなさそうな態度は心配だった。
初めには「通報します」「犯罪です」「殺します」などと言うものの、ちょっと話したらすぐに「なら、いいですよ」と言ってくるのだ。
同じベッドで寝たいという俺のワガママも、睡眠薬に頼りすぎると健康に悪そうだね、という話を三分くらいしたら、あっさり承諾されてしまった。「私なんかが隣にいるだけで安眠できるなら、ぜひどうぞ。お使いください」なーんて言われて。
家事分担も、性交は絶対にしないことも、学校で俺の妹のふりをすることも。疑問をこぼすことはあれど、本当にすぐに受け入れた。衣食住の保証がそんなに魅力的だったのか。それとも俺の顔が良いせいか。
彼女に妹のふりをさせ、登下校を一緒にし、毎日彼女の料理を食べて、髪を乾かし合って、眠る。殺害計画や他の女との逢瀬という大きなストレス要因を、たちまち四分の一の容量に圧縮するくらい、彼女と過ごす日々は甘かった。
もちろん毎日、彼女が死んでしまわないか、絶望しないか……と不安も感じていたけれど。時が重ならない切なさも、日々感じていたけれど。色仕掛けっぽいことをされるのに困惑と歓喜の両方の気持ちを抱いて、欲望を煽られてもいたけれど。
初めて「おかしい」と思ったのは、いつのことだったろう。懐かしの図書委員になって、初めての曜日当番の日、だったろうか。
二年A組の文系コースの男子数名が、返却手続き後は自分で本棚に片付けるという図書室のルールを破って、数冊を無造作に置いていった。ふたりきりの当番だった俺らは、カウンターに人が来ていない間に「休止中、待っててね」の札を立て、それらを本棚に片付けにいった。
「まったく、ルール破るなんて駄目ね。先輩なのに、後輩の模範になれないなんて」
「そうだね、あとで言っておく。俺のクラスのやつなんだ、ごめんね」
「ううん、お兄ちゃんは悪くないよー。本、持ってくれてありがとね」
「いえいえ、このくらいさせてください」
日本文学の棚の前で立ち止まり、一冊ずつ戻していく。ある本を手に取ったとき、桜子ちゃんが「あっ」と声を上げた。
「どうしたの? 桜子ちゃん」
「見てみてー、『智恵子抄』。懐かしいねぇ」
「……え?」
「へ?」
その反応は予想外だ、みたいな顔をして、桜子ちゃんは首を傾げた。その直後、眉間に皺を寄せて痛そうな顔をする。
「……っ」
「ど、うした? 桜子ちゃん」
「頭が痛く、なっちゃった。……えへへ、なんでだろ」
「保健室行く? 大丈夫?」
「んー、たぶん大丈夫。あ、お兄ちゃん。ここの棚は作者名の五十音順ですよ」
「あ、そうだったね。間違えちゃった」
「もう、何度間違えたら――っ、……やっぱ、保健室行こうかな」
『智恵子抄』を棚に入れながら、桜子ちゃんは痛そうな顔をして言った。昼休みが終わる前に保健室に連れていったけど、特にどうということもなかった。
そういうことは、他にもあった。
「――ごめんね、桜子ちゃん。でも桜子ちゃんには、自分のこと大事にしてほしいから。だから、そういうのはまだ駄目だよ」
「じゃあ、お兄ちゃんも、自分のこと大事にしてよ。なんで、いっつも、いっつも……。――今度は、私が置いてかれるの? 今度は私が、ひとりになるの?」
今度は、私が――それはまるで、前に俺がそうなったことがあるかのような言い方で。『置いてかれて、ひとりになるほうの気持ちだって考えてほしい』。そう言った俺の気持ちに共感したような声色と表情で。
『智恵子抄』や図書室でのあれは、たぶん一回目か二回目のときの記憶だ。そうしてこれは、三回目。まさか、こんなことがあるのだろうか。別の時空の記憶を、今の何も知らない彼女が思い出すということは。
ぼろぼろと泣く姿があまりにも可哀想で、俺は彼女を抱きしめる。あの三度目の夏の日、俺は彼女を傷つけた。それに対する「ごめん」を言った。
「ごめん。本当にごめん。……言ってどうにかなることじゃないかもだけど、なにも思い出さなくて良いんだよ。今の桜子ちゃんが元気でいてくれれば、それで良いから」
記憶のずれが俺は寂しいけれど、思い出す必要はない。あんなつらい記憶は、ないほうがいい。だから、どうか思い出さないで。
「……なんの、話?」
本当に知らなそうな声色で、彼女は問うた。なんでもないよ、と俺は答える。
落ち着いた彼女と手を繋いで帰宅して、彼女が眠りについたあと。俺はベッドから抜け出してベランダへと向かい、Kを呼び出した。
ぴっちりとフィットしたシャツと上着に、ミニスカート……と、やはりこいつもサキュバスなんだと思えるような扇情的な格好で、やつは風とともに現れる。
「こんばんは〜! カオルくん。どしたのー? さみしー?」
やけにうるさく声を出し、Kは俺になぜか抱きついてきた。アルコールっぽい匂いがすることから、酒に酔っていると考えられる。……悪魔って、酒飲むのか。
「夜なので、ちょっと静かにしてください。ひとつ、聞きたいことが」
「はいはい、なんですか」
「桜子ちゃんの記憶……過去の時空のことなんて、思い出すはずありませんよね?」
「はい、思い出す可能性はありますよー」
「良かった、思い出すはずな――……今、可能性はあると言いました?」
真っ赤な唇を持ち上げて、彼女はにっこりと笑みを浮かべた。いつもより可愛らしい気がしてしまい、俺は内心で自分を殴る。まさか、こんな悪魔が可愛いわけがなかろうと。
「はい、言いました。まさか、こんなに早くバレてしまうとは……いざ思い出したとき、カオルくんが絶望する姿を見たかったんだけど。失敗しちゃった☆ ――って、そんな怖い顔しないでよ。泣いちゃうよ?」
「貴女は簡単に泣きません。脅しても無駄です。……どういうことなのか。すべて、吐け、今すぐに」
焦りと苛立ちから、言葉使いが雑になる。年上っぽいから敬語にしていたが、そもそもそんな必要ないのかもしれない。
Kは頬を膨れさせ、俺の肩を突っついた。やはり酔っているのだろう。ムカつくから甘えてくるなって。
「もう、しょうがないなー。実は〜、頼まれてない魔法もかけたの。実験みたいなものかな。理系コースのカオルくんならわかるでしょ? ワタシの〝愛憎のよみがえり〟は時を巻き戻してループさせる呪いだけど、記憶を保持できるのは、来世を捧げた本人とワタシだけ。やっぱさ、カオルくんみたいに、恋人との記憶の差に苦しんじゃうニンゲンって多いのよ。
だから夢魔の能力――ニンゲンの記憶を消すやつを、応用する実験をしてるの。消すのはできるようになったから、今度は蘇らせる魔法を作ろうとしてる。それで、アナタたちに被験者になってもらったわけでーす」
「勝手に被験者に? 最低だな」
あまりにも楽観的な態度に、イライラ度が上がっていく。なんでこいつは、情報を中途半端にしか明かせないんだ。いっそ、一度くらい拷問でもしたほうがいいだろうか。
……なんて、そんなことしたら俺が悪魔じゃないか。ペースを乱されていることを自覚すると、さらに気分が悪くなった。
「悪徳商法よ、ただの。記憶を消してあげたのの代償ってわけ。タダで何でも叶えてもらえると思うんじゃない。代償くらい黙って払え。なーんてね。だから、サクラコちゃんは並行世界でのことを思い出しちゃうかもしれない。キッカケも、いつになるかもわかんないから、フラッシュバックとおんなじ感じ」
「……この悪魔め」
「うん。悪魔だよ! ……でも、サクラコちゃん、思い出したら壊れちゃうかもね。反対魔法を使ってるから、実験が成功したときに思い出すのは『花咲 薫に関するすべての記憶』。アナタと過ごした日々の記憶、アナタを想った記憶――ぜーんぶが、一度に帰ってくる。絶望して死んだ四度のことも」
「俺に関することを思い出すだけなら、死ぬ記憶は戻らないかもしれないじゃないっすか」
「ううん、絶対に戻ってくるよ。襲われたときの苦痛も、何もかも。だって……うふふっ、ふふ」
「だって、なんだよ」
悪魔は、少女のような無邪気な笑みを浮かべた。あまりにも似合わない。気持ち悪いくらいだ。
「『花咲先輩』『薫先輩』『薫くん』『かおるくん』」
「いきなり、なんで呼び方のレパートリーなんか」
「サクラコちゃんの最後の言葉、一覧。……サクラコちゃんは死ぬ直前、いつもアナタの名前を呼んだ。死ぬときまでアナタのことを考えてた。肝心なときに助けてくれない恋人なのにね。最後の言葉がみんなアナタの名前なんて、よっぽど愛さ――」
「ふざっけんなよ」
気づけば、やつの胸ぐらを掴んでいた。こんな暴力っぽいことをするなど信条に合わないが、もう許せない。
「ふざけんなよ。ふざけんなよ!」
「夜だから静かにしなよ」
「なんなんだよ、桜子ちゃんに幸せになってほしいんじゃないのかよ! ……なんで、そんな実験なんか。思い出したら、桜子ちゃんはまた絶望するじゃんか!」
「そうさせないのがアナタの役目でしょ。頑張りなよ。理由が欲しいなら、教えてあげるけど。――あのさぁ、ムカつくんだよ。リセットしたいってさ、都合良すぎでしょ。忘れられるつらさが半端だからムカつく。忘れさせたなら、もう会いにいかないでほしかった。愛も恋も無かったことにできるんだから、サクラコちゃんを捨ててほしかった……っ!」
「な、なんで。泣いてるんですか」
真っ赤な瞳から、Kは大量の涙を流した。まったく理由がわからない。酔っているせい、で片付けていいのだろうか。
「言ってもカオルくんにはわかんないでしょ。絶対に。……ムカつくから、呪った。思い出して絶望して、もうふたりとも死ねばいいよ。そうだよ。もう、知らない。……知らない、知らない!」
「ちょっと、おいっ! ……なんなんだよ、本当に」
悪魔は吐き捨てるように言って、さよならもバイバイも無しに消えた。俺は室内に戻り、桜子ちゃんの隣に横になる。
ほどいてしまった手を繋いで、つむじの上にキスをした。彼女はすやすやと寝息を立てていて、その顔はとても穏やかだ。
なんだかよくわからないことが多かったが、大事なことは……桜子ちゃんは、過去の並行世界の記憶まで思い出してしまう可能性がある、ということか。いつ思い出すかはわからない、フラッシュバックのようなもの。
キスをしたら、中三のときを思い出す。もしかしたらフラッシュバックで、並行世界のことも思い出す。厄介なことになった。
フラッシュバックを防ぐためには、並行世界と似たシチュエーションはできるだけ避けたほうがいいだろう。具体的な方法がないことがヤキモキするけど、俺が気をつけていかないと。
「俺が守ってあげるからね。大好きだよ、桜子ちゃん」
彼女の髪や頬を撫でて見つめていたら、あっという間に朝になった。彼女がゆっくりと身じろぎをして、ぱちりと目を開ける。
「おはようございます、花泥棒先輩」
悪魔の言葉を思い出す。彼女の最後の言葉は、いつも俺の名前だった。心の距離を置くために、もともと名前は呼ばせないようにしていたけれど、呼ばせてはいけないという思いがさらに強くなった。
「おはよう、桜子ちゃん」
だから――君と別れるその日まで、俺は「花泥棒」を貫くよ。
✿ ✿ ✿
「ねえ、姉貴。頼み事があるんだけど」
「ん、なに?」
「俺に何かあったときのために、桜子ちゃんへの手紙をドキュメントファイルにした。クラウドで共有しておくから、そういうときが来たら、送ってほしい」
「あー。そう。わかった、いいよ」
「ありがとう」
✿ ✿ ✿
――――――――――――――――――
拝啓 すべてを思い出した桜子ちゃん
もう四回も、大好きな子を死なせている。一回目と二回目は自殺。三回目と四回目は他殺。
こう書いたとき、今の君には、それが誰なのかわかってしまうと思う。自殺した彼女も、殺された彼女も。みんな君のことだった。
俺は、これまで一回も君を助けられなかった。大好きな君を、俺のせいで死なせてしまった。本当にごめんね――……
――――――――――――――――――
スマホの着信音が鳴って、メッセージが届く。しかし、それはスマホの持ち主には読まれない。彼女は恋人が眠るベッドの上に顔を突っ伏して、目を瞑り微動だにせずにいる。病室にいるこの一組の恋人の存在が、悪魔はひどく気に入らなかった。
「あーあ、面白くない」
悪魔は呟いて、彼の首元へと触れる。まだ生きている。本当に面白くない。
「――死ねば、完璧だったのに」
この呟きは、恋人たちには聞こえない。彼らは静かに、安らかに眠りについている。
二〇一八年、三月三日の昼のこと。真っ白い病室に侵入した真っ黒い悪魔は、一組の恋人を引き裂こうとする。それは仕事のためでもなく、名誉のためでもなく、誰かのためでもなく。これは、ただの罪悪だった。
「アナタは騙されてくれる? カオルくん」
真っ赤な唇を震わせて、悪魔は悲しそうに囁いた。
第二幕【誰が彼女を殺したか?】――End.
Next―― 終幕【四月一日の桜のもとで】
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