第109話 桜餅って言うのは変わらないんだ
三月二日、彼女からのメッセージは来なかった。毎日交わすのが恒例となっていた「おはよう」が来なかった。隠しカメラの映像を見るに彼女は元気で、俺をさっぱりと忘れていた。
彼女と暮らすためのマンションの準備は、まだ続けている。記憶喪失にさせておいて何だという話だが、再会したら同棲させるつもりだ。警戒心を解くのに、何日間かかかるとは覚悟している。彼女は基本的に可哀想な目に遭う人なので、どこかで助ければ落とせると高をくくっている節もある。
「ねー、薫? 最近さぁ、あんた、あんま寝れてないでしょ? 夜中、ガサゴソうるさいんだよね。なに、薬効いてないの?」
「……姉貴」
三月の中旬を過ぎた頃、何日間かこちらで泊まっていた姉貴が言った。たしかにそのとおり、桜子ちゃんと他人になってから、俺の睡眠の質は下がっている。薬を飲んでもよく眠れずに、悪夢を見ることがほとんどだった。隈ができていることからも、調子の悪さがバレているのだろう。俺は苦笑して答えた。
「――うん、そうだね。効いてない。今度、病院また行くつもりだけど。もっと強いの処方してもらわなきゃ駄目かな」
「あんたがそういう感じなのは前からだけど、どう見ても悪化してるわよね。……桜子ちゃんとのこと、なんかあった?」
名前を聞いて、心臓がドクンと跳ねた。そう、姉貴は桜子ちゃんを覚えている。今回の世界では親には紹介せずにいたのだが、姉貴には一月中に紹介したので手遅れだった。どう、説明すべきだろう。
「あー……その、なんというか、」
「『何度繰り返しても、俺は彼女を助けたい』『この負のループを終わらせるためには、すべてを正さないといけないんだ。……この手を血に染めてでも』『君が俺を忘れたって、生きててくれるなら、それでいいから』えとせとら、えとせとら」
「な、に。それ?」
体の芯から凍りついたように、冷えた。何かを暗唱するような言い方だった。俺、たぶんいま、怯えたような顔してる。自分じゃ見えないけど。呆れたように姉貴はため息をつき、俺を見た。
「昨日の夜にあんたが貸してきた、ラノベの文章。蛍光色の付箋、数枚付き。その顔を見るに、寝ぼけてて貸したの覚えてないんでしょ。まーた厨二病こじらせてんのかと思ったけど……もしかして、本当に『そう』だと思ってる?」
「……そうだ。って言えば、信じてくれんのかよ」
「んー、聞く前から『信じるよ』って言ったほうが、胡散臭くない? それは『信じるよ』じゃなくて『逆に私が信頼されたいよ』って意味だもん。まあ、話してみなさい。姉ちゃんは大人ですからね、青二才な弟より経験も知識も多いのです」
「ああ、そうですか。姉貴、高校時代の偏差値、俺より15くらい下だけどね!」
「偏差値70以上ばっかり取るあんたと比べられたくないわ。私は人並み程度の頭は持ってる。……どうした、薫。ん? なんかあったら姉ちゃんに相談しなって、前から言ってるでしょ。言わないでって言われたら、お母さんたちには黙っといてあげるから」
ムカつく。めちゃくちゃムカつく。そうやって姉貴ヅラして。なんにも知らないくせに。バカねーちゃんのくせに。なんで、なんで。
「……俺、本当に、ループ、してる」
苛立ちながら、口からは、こぼれた。幼少期からの癖みたいなものかもしれない。限界を越えそうなとき、こうして姉貴を頼ってしまう。愚痴も嫌なことも悩みも何もかも、雪美姉ちゃんにぶつけてしまう。
「うん、そうなんだ。どのくらい? 間隔とか、回数とか」
「今の世界が、五回目だ。……間隔は、桜子ちゃんが死んだあとに、巻き戻る。死後すぐにか、葬儀の前後とか、時によって少し違うけど、とにかく桜子ちゃんが死ぬのを止めるために、桜子ちゃんが死んじゃったあと、十三ヶ月、過去に戻る。前の桜子ちゃんは、バレンタインデーに殺されて。それで三月一日が、お葬式で。その日から巻き戻って、二月一日に来た」
「そう、そのループは、いつまで続く? 無期限?」
「ううん、今回で最後なはず。巻き戻るのには、俺の来世を悪魔にあげないといけなくて、来世の回数、今回使ったのでラスイチだったから。桜子ちゃんは来年の四月一日までに、99パーセントの確率で絶望して死んじゃうから、俺が助けようとしてる」
「じゃあつまり、あんたは桜子ちゃんが死ぬのを四回見て、そのたびに巻き戻ってる。彼女を助けるために。この理解でオッケー?」
「お、おっけー。死ぬ瞬間見れたときは、一回もないけど」
まさか、信じてくれるのか? と思いつつ、余計な付け足しをした。姉貴は「そっか」と言い、さらに続ける。
「今回が五回目の世界……ってことは、それ以前にも巻き戻ってるのよね。十三ヶ月ってことは……一番古い巻き戻りは、二〇一七年の九月頃から、二〇一六年の八月頃へのトリップ? 正解?」
「な、なんでわかる、の?」
「そりゃあ、あんたの姉ちゃんだから。あんたが中学生の女の子と仲良くしだしたの、八月頃でしょ。その子が桜子ちゃんで、あんたが助けたい子ってわけだ。いきなり雰囲気とか変わったと思ったら、まさか時を巻き戻っていたとはねぇ。バラえもんのタイムマシーンでも使った? んなわけないか。さっき悪魔って言ってたもんね。白髪になったのも、それのせいか」
「……信じる、の?」
「うん、信じるよ。聞いたうえで、信じる。あんたが、こんな壮大な嘘をつける子じゃないってこと、姉ちゃんは知ってるつもり。何よりメリットがないからね。あんたは無駄なことしないもん。仮に本当じゃなかったとしても、その場合は何かの精神疾患でしょ。家族が支えてやるべきだ。オカシイなって思ったら、話を聞いた責任で病院には連れてってやるから安心して。――で、質問がふたつ。ひとつ、桜子ちゃんはどうしたの? ふたつ、薫はどんな悪事を企んでる?」
信じてもらえて安堵、でも本当か? と疑う気持ちも一割ある。って感じの気分だ。姉貴らしいっちゃ姉貴らしい。でも、厨二病だって馬鹿にされるだけだとも思ってた。
「さ、桜子ちゃんは……訳あって、記憶喪失になっちゃった。させた、のほうが正しいかもだけど、契約してる悪魔との話でそうなったから、健康面では問題ないはず。元気。……姉ちゃんは、今度桜子ちゃんに会うことあっても、初めましてのフリしてほしいかな」
契約してる悪魔って、めちゃくちゃ厨二病っぽい。〝愛憎のよみがえり〟の呪いについての契約をしているので、事実ではあるけど。
「うん、わかった。じゃあ、悪事については?」
「……復讐みたいなことを、企んでる。悪いことをするけど、やめるつもりはない」
「悪いってわかってても、貫く理由。……薫なりの正義、ちゃんとある?」
「ああ、ある」
「じゃ、今は文句言わない。これはやめたほうが良いってことは、気づけば言う。私は、あんたの姉ちゃんだから。薫が無事に生きてることが大事だから。でも、無理に止めないよ。あんたの人生だって、私はわかってるつもり。……手伝えることは手伝うから、言ってね。ひとりで潰れちゃ駄目。頑張れ、薫」
「……なんで、そんな応援してくれんの? 俺、悪いことするのに」
「かわいい弟の初恋を応援したい、おせっかい焼きな姉ちゃんってだけだよ。私らは顔が良いなりの得もしてきたけど、苦労だっていっぱいしてきた。幸せになってほしいじゃん、大事な家族には。……ループって、あんまり実感湧かないけど、薫はいっぱい後悔も苦労もしたんだろうね。大丈夫、これからはひとりじゃない。姉ちゃんが助けるから。姉ちゃんはいつだって、薫のかっこいいヒーローでありたいんだよ」
そっと歩み寄って、姉貴は俺を抱きしめた。桜子ちゃんよりは背が高い、身近にいるはずなのに慣れない感触のハグだった。
「頑張れ、薫」
「……ああ」
姉ちゃんがいて良かったな。なんて、湿っぽいことを思いつき、言葉を喉の奥へと押し込んだ。もうすぐ、四月がやってくる。
✿ ✿ ✿
今日は、四月七日の金曜日。入学式の日。桜子ちゃんが制服に着替えて家を出る姿は、カメラの映像で確認済みだ。
式が終わったあとは、在校生のほうが終業時間が早い。新入生の長いHRが終わるのを、俺は桜の木に寄りかかって待っていた。桜色の髪に、桜の花びらのヘアピンをつけて。
ひとひらの桜のヘアピンは、二年生になってからは髪につけることにした。花泥棒のイメージアイテムみたいなものだ。ピンク髪で桜のヘアピンをつけてる二年生が、噂の花泥棒。化粧の仮面を借りたくて、学校に行くときはピンクのマスカラやアイブロウパウダーも使ってる。過去の彼女との生活で、化粧をするのにはもう慣れた。
前の三学期の間に、花泥棒は『女を抱きまくるクズな遊び人』としての地位を確立した。花泥棒を恐れる人もいる。いい傾向だ。
陽一には、花泥棒のイメージ作りのための噂流しに協力してもらっている。花泥棒の愛する〝妹〟が入学してくる「らしい」という噂も、流しておいてもらった。
他人のふりでは、学校で近づけない。ならばいっそ、他人でないふりをすればいい。――桜子ちゃんに、俺の妹のふりをさせよう。そう決めた。キレるとやばいと噂のシスコン花泥棒の妹ならば、下手な手出しをするやつはいないだろう。問題は、桜子ちゃんが〝契約〟を結んでくれるかだけど。
HRが終わったようで、一年生がちらほらと出てきた。愛ゆえに見分けられる自信はあるが、彼女はありきたりな黒髪黒眼の地味な女子高生だ。逃がさないように、しっかりと見張っておく。……俺の前を通り過ぎるときだけ全員スローモーションになるのは、けっこう気になるけど。やはり「派手な髪色✕イケメン=目立つ」のだろう。仕方ない。
しばらく待っていると、桜の木を眺めながら歩いている女子生徒を見つけた。一年F組、出席番号十四番。入学試験の成績は進学クラスで総合二位、国語が一位で英語が二位、数学は三位の特待生(これは偶然に手に入れた機密情報 ※ただし、クラスによっては担任がバラす場合もあり)。
――紫月、桜子。
彼女がこちらへと視線を向け、花を愛でるようにくるくると動かしていた眼を止めた。唇が開き、微かな愛しい声が俺の耳に届く。
「桜餅……」
それを合図にするように、視線が彼女に釘付けになった。周りの人間すべてが透明になったようだった。……桜餅って言うのは、変わらないんだ。
風が吹き、桜の花びらが舞い散る。君はきっと俺を知らない。名前を呼んだら、どんな反応をするだろう。
「桜子ちゃん」
「……へっ?」
ただ一音を返されるまでにあった数瞬が、俺らの間にある三次元と四次元の空白全部を表しているようだった。ああ、本当に忘れているんだな。といまさらに実感して、胸が痛んだ。
「桜子ちゃん、入学おめでとう」
「えっと、どうも……?」
桜の木に頼るのをやめ、俺は彼女へと真っ直ぐに歩む。決して、揺るがないように。
「俺は――花咲、薫」
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