第108話 さよならは、レモン味のキスで


 二〇一七年、三月一日。彼女の十五歳の誕生日。形に残る誕プレはあげられない。だから、彼女のワガママを最後に聞いてあげることにした。


「桜子ちゃん。改めまして、十五歳おめでとう。誕プレはごめんけど、ネットで注文したのの配送が遅くて、当日に間に合いませんでした。ので、今日は代わりにワガママをお聞きします」

「えへへー、嬉しいな。ありがとう。そうか、ワガママかぁ。じゃあ……」


 彼女が少し考え込むように、斜め上へと視線を向ける。新鮮な果汁みたいな瑞々しい笑顔で、言いのけた。


「チュウしてほしい。お誕生日プレゼントに、キスしてほしい。私たちが出会った公園で」

「……ファーストキス、ですか?」

「はい、ファーストキスです。初めてのキスもハグも、……えっちも。全部、薫くんとしたいの。そのために、きっと今まで取っておいたんだ。貴方は、私の運命の人だと思うから」


 それはそれは眩しい色だった。無知で、おばかさんで、誰より愛おしいひとだった。運命の人ではないくせに、信じてやまないひとだった。夢見る乙女が恋人だった。


「……いいよ、しよう」


 ――強請ねだられなくても、するつもりだったよ。君にとって、最初で最後の俺とのキス。


 俺は彼女と手を繋いで、あの公園へと向かった。





 


「目、閉じてね」

「うん」


 彼女がゆっくりと目を瞑ると、睫毛の長さがよくわかる。彼女の睫毛は黒くって、俺のより短い。彼女は自分でメイクをできないので、梳かされない睫毛は自然だった。


 赤みを帯びた頬はやわらかく、外気のせいか表面は冷たい。内側から湧き上がる熱が、ゆっくりと俺の指を温める。


 普通にキス、したいな。そう思いながら、指先で唇をなぞった。ふにふにとした、やわらかい桜色の膨らみを、いっそ真空パックにでもして保存したい。ホルマリン漬けでもいい。……ほんとうは、そばに置きたいんだ。ワガママだ。


「これが、キス?」

「ううん、これはまだキスじゃない。……いまから、するね」


 彼女は経験がないので、ただの指先を唇と間違える。なんて愛らしいことだろう。


 彼女を手放し、ポケットの中身をさぐった。ここから足に触れられたら良いものの、出たのは一粒の飴玉だ。


 白い包み紙を指先で摘んで引っ張る。くるくると紙が回って、琥珀色の飴が外気に顔を出した。


 飴のなかには、淡い色合いの小さな花が閉じ込められている。紅色と藍色のふたつの花は、まるで寄り添う恋人のようだった。


 陽の光に透かせると、重なり合った花びらが紫色の光になる。自分の口に入れて初めて、それがレモン味だったと知った。


「桜子ちゃん」

「薫くん……」


 切なく、それでいて強く求めるような彼女の声に、甘やかな喜びが全身を走り抜けた。背筋がぞくりとして、この瞬間で時を止めてしまいたくなる。けれど叶わないと知っているから、彼女の唇に、自分の唇をくっつけた。


「ん……んっ!?」


 驚いたような声を上げ、彼女が目を開けて唇を離した。最後にしては、あっけないキスだ。わざと明るく俺は言う。


「俺たち、キスしちゃったね。桜子ちゃん。大人の階段、一段のぼっちゃったよ」

「なんか、思ってたのと違う……」

「でも、レモン味じゃん。ファースト・キッスはレモン味。噂どおりだね」

「そうだけど、そうじゃないじゃん。なんで飴……?」

「じゃ、もっかいする? まだ飴あるだろうけど」

「うん、する。薫くんも、ちゃんと入ってきてね」


 飴を口移しされるキスはご不満だったらしい可愛いお姫様は、さりげなくすごいことを言ってきた。今度こそ最後、もう一度口づける。俺だけが一生忘れられなくなりそうな、熱い重ねあいだった。彼女の唾液がこちらに流れると、俺も甘酸っぱくてほろ苦いレモンを味わう。


 抱きついてきた彼女をしっかりと受け止めて、その体重をひしひしと感じた。


「かおるくん……っ、大好き」


 ぱっと顔を上げて、潤んだ瞳と上気した頬を見せ、彼女は幸せそうに笑った。これから俺を忘れてしまうことなんて知らない彼女の口中には、悪魔に呪われた〝記憶喪失の飴〟が入っている。


 今回の桜子ちゃんとは、これが最初で最後が良い。これから復讐に手を染める汚い俺は、綺麗で清らかな彼女のそばにいられない。守り終えたら、ちゃんとお別れできるように。彼女に恋された俺のことは忘れて、汚い花泥棒だけを知っていてほしい。嘘まみれの願い事だ。


「俺も、桜子ちゃんのこと大好きだよ。……今日、このあと用事あるから、家に送るね」

「うん、ありがとう!」


 あの飴の作用として、溶け切ると彼女は眠ってしまう。さすがに野外で寝かすわけにはいかないだろう。手を繋いで、ゆっくりと歩いた。すべての景色を目に焼きつけるように、足がアスファルトを踏むときの感覚さえ記憶できるように。


 アパートに入ると、彼女は「なんか、眠くなっちゃった」と呟いた。


「じゃ、眠るといいよ」

「キャンデー食べてるから、このまま寝たら虫歯になっちゃう」

「ならないよ。ノンシュガーだから」

「あ、そうなんだぁ」


 本当はどうだか知らないけど、溶けたら眠る設定なら、寝ても問題ないはずだ。そう思っておく。


 彼女をソファに横たえて、ピンク色の毛布を掛けた。彼女の足元に座り、手を繋ぐ。


「さようなら、桜子ちゃん」

「うん。またね、薫くん。今度会えるの、入学式の日なんだっけ。……制服すがた、たのしみにしててよね。かわいいから」

「ああ、楽しみだよ。とても」

「すきだよ、かおるくん」

「俺も、桜子ちゃんのことが大好きだ」


 幸せそうに微笑む彼女はゆっくりと目を瞑り、やがて寝息を立てはじめた。俺はするりと手をほどき、ソファから立ち上がる。最後の仕上げをしなくては。


 彼女のスマホのパスコードを解除して、トークアプリを開いた。俺とのトーク履歴を削除して、俺のアカウントの登録名を「nameless」にしておく。プロフィール画像は、自分で初期画像に設定しているので問題ない。……もし、記憶が消えなければ、何かがおかしいと気づくだろう。そうしたら、俺に連絡してくるはずだ。だからアカウントは残しておく。

 

 次いでギャラリーアプリを開き、俺の映った画像や、俺とのやり取りのスクショなんかを全部消した。ゴミ箱フォルダからも消したから、専用のアプリを使って復元を試みなければ、もう見つからない。これも記憶が消えてなければ、気づくはず。


 GPSの設定を確認すると、スマホはロックした。画面や背面は拭いておいた。これでいい。


 次に、彼女のアパートに仕掛けた隠しカメラをチェックする。俺のスマホとの連携、及びクラウドに同期されているかをリアタイでチェック……オッケーだ。


 最後に部屋中を見てまわり、俺の痕跡がないかを調べた。これまでに訪ねたときにも少しずつ確認していたから、難しいことではない。特段の変化は見られなかったので、彼女の部屋に飾ってあった写真立てを回収して、仕上げを終えた。


 リビングへと戻り、すやすやと眠る彼女の額にキスをする。


「さようなら、桜子ちゃん」


 合鍵は、俺が持ったままにするね。万が一のときに君を助けられるように。


 深呼吸して玄関から出て、鍵をかけた。……俺らの恋人関係は、終わった。

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