第107話 もしも最初から君がいなければ
「ハナ。いい加減我慢ならないから聞くけど、最近どうした?」
「なにが?」
屋上で陽一と駄弁っていると、彼がいきなりの真面目トーンで話しはじめた。俺は紙パックのカフェオレを飲みながら、面食らう。
「お前、なんでそんな遊び人になっちゃったの? 青先輩に手ぇ出しただけでビックリなのに、今度は同級の彼氏持ちだろ? ……なに、反抗期? グレた? 青春リビドー?」
「別に。イライラしてっから、発散しただけ。こんな関係、始めさせたのはあっちだし。俺は別に悪くない」
「『花泥棒』だってよ。二年でのお前のあだ名。青先輩、なんかここでは女神さまっぽい地位確立してたじゃん? 転校生って特別視されがちだし。……孤高の白百合を手折った花泥棒。お前が。ウケるよな」
「へえーっ? そう。花泥棒……って、あ。
「お前が国語の授業内容覚えてるなんて珍しい」
「ああ、あれは……――」
そう、あれは国語総合の授業で『伊勢物語』をやっていたときのこと。「渚の院」のエピソードについての解説のときに、能面こと、唐田先生が花盗人の話を少しした。国語嫌いな俺がなぜ覚えていたかと言えば、あれは桜にまつわる話だったからだ。自分の恋人が愛する花の話だったからだ。
世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし
散ればこそ いとど桜は めでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき
前者は、在原業平の歌。後者は作者不詳。桜の枝を折って頭に挿したりしてワイワイやってた男どもが、桜を愛でて詠んだ歌だ。
この世に桜の花がまったくなかったら、春を過ごす人の心は、どれだけ穏やかだっただろう。前者の歌の現代語訳がこんな感じだった。
桜の花はよく愛される花で、いつ咲くかと待ちわびてソワソワしたり、いつ散ってしまうかと不安になったり、いざ散ったら悲しくなったりして、心が忙しいのが春。だから、桜がなければ穏やかだ。ということらしい。
後者の歌は、これとはちょっと考え方が違う。
散るからこそ、桜はいっそう素晴らしい。つらいことばかりのこの世に、ずっと変わらずに続くものなどあるだろうか。いや、ない。
俺はいつもより綺麗めな字で板書して、いつもより集中して先生の話を聞きながら、頭の40パーセントくらいの部分は桜子ちゃんのことを考えていた。
たしかにこの世界に桜子ちゃんが最初から存在しなければ、俺の生活はもっと平穏だっただろうなぁ。彼女の死を心配することもないし、彼女が死んでつらい思いをすることもないし。でも、彼女と楽しく過ごすことも叶わないのは、嫌だなぁ。なんて。
こっちの歌も、まあ、わかるところはある。俺はいつも、桜子ちゃんが死んでから愛情の深さに気がついた。こんなに好きだったんだ、恋していたんだ。って。いつか死んでしまうからこそ、生きる彼女は尊くて、儚い彼女は美しい。死んでから愛が完成することだってある、気もする。
――なーんてことを考えて、板書を最低限終わらせて、桜子ちゃんのラクガキをノートに描きはじめて、黒髪のベタ塗りをしているときのことだった。能面が〝花盗人〟の話を始めたのは。
『「花盗人は罪にはあらず」って言葉、聞いたことはありますか? 「花泥棒は罪にはならない」などでも構いません。〝盗人〟という言葉のほうが〝泥棒〟より昔からある言葉なので、先生としては〝花盗人〟を推したいところですが、細かいことは置いておいて。実際、法律の面で考えれば、他所のお家の花を勝手に盗るのは罪です。でも、これは法律の話ではなく、風流のお話です。花を愛でるという純粋な心で、桜の花枝を手折った。これは罪ではない。そういう話です。「渚の院」でも、みんなで桜の枝を頭に挿しています。こんなふうに――……』
花盗人。花泥棒。花という美しい言葉の下に、盗人や泥棒といった犯罪者を表す言葉がくっついている。その奇妙さが、なんか良いと思った。なんとなく惹かれた。
『花を愛でるという純粋な心で、桜の花枝を手折った。これは罪ではない』
ものすごい曲解だとは理解しつつ、俺はその言葉を自分と彼女とに重ねた。桜子ちゃんへの純愛を盾に人を殺しても、女を抱いても、罪ではない。言い訳してみた。
〝花を手折る〟という言葉は、ふたつのことをイメージさせる。ひとつ、死ぬこと。ふたつ、処女の喪失。
枝を折れば、花は栄養を得られずに、そのうち枯れてしまう。
また、桜子ちゃん曰く。現代語訳版の源氏物語や、吉原遊廓を題材にした小説なんかでは、そういう表現が出てくると。純潔の花を散らすとか。高潔な花を手折るとか。
そういう意味で捉えれば、ある女の初めての性愛相手となることを、花を手折るとも表現できる。なんて。
「――桜が好きだから、授業のことも覚えてた。俺、花泥棒って言葉、けっこー好きだよ。そうだ、それであだ名広めといてよ。女遊びばっかりのクズの悪評と一緒に。一年A組、特進クラスの花泥棒」
「……俺に、お前の悪い噂流せって、言ってるの?」
「そう。そうしてくれると、都合が良い」
「お前、変なこと考えてないよな。薫。なんかあったんなら、早めに言えよ? 潰れてから泣いても遅いかんな」
「ああ、わかってる。じゃ、ありがとな陽一。お前のそういう優しいとこ、俺めっちゃ好き」
「お前のそういうずるいとこ、俺は嫌い」
かくして、俺のあだ名は二月のうちに〝花泥棒〟として定着した。誘われれば誰とでも寝る男という評判も広まった。花盗人ではなく花泥棒にしたのは、単に〝泥棒〟のほうが字面が汚い気がしたからで、深い意味などはない。
「花くん……大好き」
「ありがとうございます、青先輩」
好きと言うことは、できなかった。その言葉の嘘はつかない。変なところで気にしてた。抱いて、抱いて、抱き潰して。時が経った。桜子ちゃんとは一緒に眠ることはあっても、キスさえも一度もしないまま。
二月の最終日。Kが俺のもとにやってきた。彼女が渡してきたのは、ひとつの飴玉だ。
「なんすか、これ」
「名付けるなら〝記憶喪失の飴〟。サクラコちゃんに口移しでこの飴を舐めさせれば、すべてが溶けたあとに彼女は眠る。そして……目覚める頃には、カオルくんのことをキレイサッパリ忘れてるってわけ」
「へえ、便利ですね。ありがとうございます」
「本当に、やるの? ……ワタシ、勝手なこと言えないけど。カオルくんには、そんなことをするための十分な理由も覚悟もないと思う」
「俺も、正直言って、自分が何したいのか、もうよくわかりません。だからこそリセットしたいんです。このくらいしないと……俺らは、変われない」
「……そう」
「これ、溶けてから何時間で起きますか? これで何年も目覚めないってなったら詐欺ですよ。あ、でも眠ったまま呪いの期間が過ぎれば、絶望することはないのかな。それとも悪夢でやられちゃうのかな」
「詐欺ってないよ。失礼な。眠る時間は三時間」
「注意事項、他になにかありますか? 洗いざらい言ってください」
「賞味期限……効果が保証できる期間は、一週間。それまでに終わらせて。そしてこの魔法は、再びキスすると解けてしまう。気をつけて」
「大丈夫です。明日やりますから。キスも、そのときで最後にします」
「……よりにもよって、誕生日に?」
「はい、そうです。ありがとうございます、K。助かりました」
ひどいひと、と呟いて、Kは消えた。俺は飴玉を握りしめ、目を瞑る。……明日で、さよならだ。今の彼女とはお別れだ。
ずっと準備はしてきてた。彼女と離れる支度はしてた。明日で全部片付ける。そして……四月の七日、入学式の日に、新たに彼女と出会うんだ。
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