第106話 これは君との最後のデート

 二月十三日、火曜日。前と同じようにデートに連れ出す。彼女はワンダーランドのアリスみたいで、俺を心配して癒やしてくれる、小さなお医者さんだった。


「薫くん、おはよ。はい、ハグしていーよ?」

「ありがとう、桜子ちゃん」


 彼女のことを抱きしめて、匂いを取り込むために深呼吸する。


 四度目の彼女が、俺の寝ている間に殺された――ということのせいか、俺は最近不眠症みたいになっていた。桜子ちゃんが隣にいれば眠れるが、そうでないときは自力で寝つけない。


 またもや心療内科のお世話になって、睡眠導入剤を処方されている。薬を飲まないと、ベッドに入るだけで不安だった。俺が呑気に寝てたせいで、桜子ちゃんは死んでしまった。そういう思いが心を犯す。


 桜子ちゃんがそばにいないと、もう俺は駄目になる。桜子ちゃん無しでは生きられない。そのくせ最低な俺だから、他の女と性交してる。青先輩だ。俺らが付き合ってるって噂が、いま学校で流れてる。彼女が入学してくるまでに、どうにかしないと。


 ふれあい広場で遊ぶ彼女は愛らしい。ソフトクリームを食べる彼女も。唐揚げやピザを食べてくれる姿が愛おしい。彼女がごはんを美味しそうに食べてくれるのが、たまらなく嬉しい。


 手を繋いで、花壇のそばを散歩する。プリムラオブコニカに、パンジー、スノードロップ、ふく寿じゅそう……――綺麗な弾む声で、彼女はまた読み上げた。


 彼女が空色のワンピースを身にまとってて、花の甘い香りがただよって、ロマンティックなデートをしてて。ファーストキスに相応しい。彼女の望みに相応しい。するなら、今日するべきだ。……なのに。


「見てー、薫くん。梅の木だよ。蝋梅ろうばいって言うんだって。ローバイ、ローバイ。うろたえてるみたいだね」

「うん、そうだね」

「お花、クリーム色なんだね。あ、透けてる。空の色がちょっと見えるよ。すごいねぇ、綺麗だねぇ」

「ああ、綺麗だ。すごく」


 太陽の下で花を愛でて笑う彼女が、果てしなく尊く美しい。神聖だった。透明だった。触れたら壊れる硝子細工だった。――あまりにも眩しいから、キスなんてできないよ。


「桜子ちゃん」

「はい、薫くん」

「愛している。とても、愛している」

「ありがとう。私も愛してるよ」


 彼女が愛おしげに俺の頬に触れた。キスしそうだけど、しない。しない。汚したくない。昨日だって、俺はあのひととキスしてた。


「桜子ちゃん。……君は誰よりも綺麗だよ。俺が消えちゃいたいと思うくらい、眩しいよ」

「褒めても何も出ませんよーだ。でもありがとう、大好き」


 重なれない。俺らの時は、永遠に重ならない。過ごした日々の数が、記憶が、同じになれない。


「……まだ、行きたいとこある? もう帰る?」

「んとねー……あ、写真。薫くんと写真が撮りたい。ここで撮ろ? ローバイの前で。今日の思い出」

「ああ、いいよ。撮ろう」


 そういえば、最近は一緒に撮っていなかった。……逃亡生活では彼女ひとりばかりを撮っていたし、この付き合いはじめの頃は、そんなに撮っていなかった。


 彼女は華奢で、すらりとしている。小さな彼女は俺より腕が短いので、彼女のスマホを俺が持つ。青先輩のときは、持たなかったな。なんて、ふと思い出した。インカメラで映りを確認して、画角にちゃんと入るように、彼女が可愛く映るように……パシャリ、とシャッターを切った。何枚か撮り直す。


「ありがと、薫くん。大好き」


 俺が人を殺したとき、この写真はどんな意味を持つようになるだろう。殺人犯の恋人となった彼女は、どうやって生きていくのだろう。彼女の呪いが解ける前に捕まるわけにはいかないから、あと十二ヶ月半は、殺害計画をすることしかできない。完全犯罪にできそうだったら、できるだけ早く殺すけど。


 ……ああ、そうか。いつか別れないといけないんだ。人を殺すということは。過去の彼女の恨みを晴らすためにナイフを取れば、今を生きる彼女を捨てることになる。


「桜子ちゃん」

「ん?」


 別れよう、って言ったら泣くのかな。たぶん泣くんだろうな。桜子ちゃんは俺のことが大好きだから。


 もしも別れずに、俺が人を殺して、彼女と一緒に家でのんびりとしていたら、いつか警察がやってきて引き裂かれて……彼女はきっと悲しむな。なら、俺から先に言うべきか。呪いが解けたあと、一年と一ヶ月半先、お別れ。……いっそ、今この場で言ってしまおうか。


「あのさ、……いや、なんでもない。もうやり残したことない?」

「うん、大満足。帰ろ? 薫くん。今日は一緒にねんねできるね。安眠できるね」

「うん、そうだね」


 今日、彼女はマンションに泊まっていく予定。俺が珍しく、睡眠導入剤を飲まずに眠れる予定。しっかりと手を繋いで歩き出した。彼女はにこにこと嬉しそうに笑っている。


 今日の俺を、この楽しいデートを血まみれにしてしまうなら、いっそのこと忘れてくれないだろうか。楽しい思い出が嫌な思い出に変わるより、元から無いほうがいい。プラスがマイナスになるのは悲しいけれど、ゼロなら何も思わない。そう、俺は思う。


「私、今日のこと絶対忘れない。ツーショット写真、宝物にするね。今度コンビニで現像しようかな」

「……俺も、忘れないよ。何があっても」


 君が何度も俺を忘れても、俺だけはずっと覚えている。


 君と図書室で出会ったあの日から、何も言わずに自殺した九月一日まで。そしてまた出会ったこと、君に「好き」だと言われたこと、いじめられてるって知ったこと、恋人になったこと、図書室でのレモン哀歌とキス、中庭でのピクニックデート、未完成な触れあい、電話を最後に自殺したこと。夏、大雨の日に君と出会ったこと、受験勉強を一緒にしてあげたこと、結局同じ高校に通ったこと、それなのに他人のふりをさせたこと、一緒にいたのにすれ違った夏休み、デートできなかった文化祭、クリスマスイブのデート、殺された君。何も知らないくせに俺を癒やす君、一緒に暮らしはじめた「お嫁さん」みたいな君、学校に行けなくなった君、味噌汁を作る君、笑う君、泣きも笑いもしなくなった君、人形みたいなロリータ服を着てる君、海の水で濡れた君、観覧車で泣いた君、「死にたい」と言った君、燃やされて朽ちかけた君。


 全部ぜんぶ、俺ばっかりが覚えてる。君は知らない。


「おやすみなさい、薫くん」

「おやすみ、桜子ちゃん」


 朝、目が覚めたとき。君がいなくて焦ったことを。次に会うときには、遺体になっていたことを。君は知らない。


 今だって不安だ。君がいなくなりそうで。触れていないと眠れない。君が寝つかないと寝られない。



 二月十四日、バレンタインデー。君はチョコレートをくれたことがない。二〇一八年になって、初めて意識した行事のようだった。


「いってきます」と言って、俺は学校へと向かう。バレンタインチョコは受取拒否。いつものこと。


 だけど、今年はいつもと違う誘いがあった。どこから噂を聞いたのか、性行為のお誘いだ。……私ともできるでしょ? ――ああ、できるとも。お前は、かつて俺の恋人をいじめて自殺させた女だからな。いつかしようと思ってた。……彼氏がいるけど、それでもいい? ――ああ、別にいい。倫理観なんて、もう持ってない。俺だって恋人がいるんだ。知らないだろうけど。


 青先輩以外の女を、初めて抱いた。感想は特にない。青先輩とほぼ同じ。


 帰宅すると、桜子ちゃんがいた。俺は彼女をアパートに送っていったあと、彼女と出会った公園にひとりで立ち寄る。誰もいなかった。ポケットからヘアピンを取り出し、握る。もう一枚しか残っていない桜の花びらだった。


「――K、いま会えますか」


 風が吹いて、現れる。「どうしたの?」と笑って問うた。


「夢魔は、人間の記憶を消せますね。例えば、こんなことはできますか? ある人間から、特定の人間に関する記憶だけを消すようなことは」

「つまり、サクラコちゃんから、カオルくんに関する記憶を消したい。ってことでオッケー?」

「はい、そうです。話が早くて助かります」

「答えはイエス。できるよ。カオルくんの体液が必要だけど。まあ、痛くないように寝てる間に取ってあげるよ。やるならね。サキュバスちゃんなので、ニンゲンが寝てる間にいろいろするのはトクイなのです。……でも、ワタシからも質問。どうしてそんなことするの?」

「やり直したいんだ」

「え、オレ死にたいんだ、って?」

「耳悪いですね。んなこと言ってません。関係をやり直したいんです。桜子ちゃんは俺の恋人だけど、人を殺すなら、いつか別れないといけない。これまでの思い出が傷つくのが嫌なんです。……俺が、嫌われるのも。耐えられない。

 だから、いっそのことリセットしたい。初めからやり直したい。この数ヶ月の思い出をなかったことにして……俺を知らない彼女に、なってほしい。俺の悪いとこだけ、知って、ずっと嫌いでいてほしい」

「ループのせいか、随分と変な思考回路になっちゃったね。なんでもやり直せると思うのは良くないよ」

「なら、Kはどう思います? 俺が人殺しになっても、桜子ちゃんは絶望しませんか? これは、彼女を悲しませないための手段なんです。彼女に幸せになってほしい貴女にとっても、益のある話ではないですか」

「ま、たしかに。絶望を回避するためって考えれば、それもありかもしれない。でも、ちゃんと守ってくれるんでしょうね? 何も覚えていないサクラコちゃんを、アナタは守り抜いてくれる?」

「はい、もちろん。この手を血に染めてでも、守り抜きます」

「ふーん? ま、なら用意はしておく。実際にやるかどうかは、そのとき決めて。他になんかある?」

「いいえ、ありません。ありがとうございます」

「はいはーい。じゃあね☆」


 風が吹いて悪魔が消える。センチメンタルに乗せられて、言えた。今日は二月の十四日。一年後の俺が、桜子ちゃんを死なせた日だ。彼女がいないことに気づかず、殺した。明日が、彼女が死んだと知った日だ。あの遺体を見て、俺は壊れた。駄目になった。


 疲れたので、もうやり直す。桜子ちゃんと恋人になるのは、もうやめた。もう、疲れてしまった。


 いつか人殺しになる男として、適度な距離感で接していこう。ただ俺が身勝手に彼女を誘って軟禁するだけで、彼女は何も悪くない。俺への恋心だなんていう罪悪は、もう抱かなくていい。


 二月十四日、別れへのカウントダウンをスタートさせた。

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