第102話 可哀想な死に方する子

 明るくなってから俺らは病院に連れていかれ、桜子ちゃんは点滴を打たれた。いろいろと薬を処方され、マンションへと帰ってきた。


 夕方頃、父さんと母さんがやってきて、俺はめちゃくちゃに怒られた。桜子ちゃんはと言えば、姉貴に面倒を見てもらって眠ったところだった。しばらくしてから姉貴も参戦してきて、過去一番のお説教を受けた。俺が悪かったとは思ってるから、甘んじてすべて受け止めた。


 姉貴は、また彼氏さんと別れてしまったらしい。これからはこのマンションで暮らすと言う。桜子ちゃんの事情を洗いざらい説明したら追い出されることはなかったが、生活を改善するようにとは言われた。


 少しずつでも、ごはんを食べるようにすること。復学するために、勉強もゆっくりでいいから始めること。


 影が落ちた生活から日常を取り戻すには、ゆっくり少しずつ変えていくことが重要な気がする。過去の事件の経験から、俺はそう思っていた。


 慣れたものと言ったら過言だが、立ち直り方はある程度知っている。言われてみれば思い出せた。ごはんを食べる。勉強する。ただそれだけのことなのだ。じっくり取り組めばいいだけなのだ。


 しばらく勉強をしていなかった俺らは、学力が目に見えて落ちていた。桜子ちゃんは栄養不足のせいかうまく手を動かせないので、字を書けない。いまのところは教科書を読むばかりとなった。俺も教科書を読んで勉強して、基本問題から解いてみた。


 陽一との連絡も久しぶりに取って、学校の話を聞いてみたりもした。音信不通になっていたことを、やつにもしっかり怒られた。なんならあいつ、感情が昂りすぎたのか、電話口で涙声になっていた。


 彼女の食事については、相変わらずアイスが中心だ。砂糖をジャリジャリ食べるのも変わらず、あとは飲み物が頼りだった。しかし姉貴の努力の甲斐があってか、口に入れられる飲み物のレパートリーが増えた。どろりとしたポタージュスープも飲めるようになったのは、大きな進歩だろう。最近は、やわらかめの固形物を食べられるように頑張っているところである。


 俺は食事については、ちょっと少食かな? というくらいにまで回復した。初めはやわらかいものからだったが、今では固いものも平気で食べられる。自分のほうに余裕ができたので、桜子ちゃんに食べ物を「あーん」する役割を、たまには姉貴から譲ってもらった。姉貴は桜子ちゃんのお世話をするのが楽しいようで、食べさせるときにはいつもにこにこにこと笑ってる。


 二〇一八年、一月十七日。水曜日。一年前の桜子ちゃんが受験した日。俺らは家で勉強して、ごはんを食べてお風呂に入って、これから寝ようとしているところだった。


「かおるくん」

「ん、なぁに? 桜子ちゃん」

「私、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。こんなはずじゃなかったのに、どうしてこんな駄目な子になっちゃったんだろう」

「桜子ちゃんは、駄目な子じゃない。毎日、頑張ってるよ。勉強もよくやってるし、ごはんも前より食べられるようになった」

「でも、でもさ。わたし、お料理ずっとできてない。一緒に暮らしてるのに、わたしだけなんにもしてない……っ」


 声を震わせ、彼女は俺に強く抱きついた。彼女は相変わらず、泣いたり笑ったりしない。クリスマスイブのあとからもう泣いていない。彼女の頭を撫でて、俺は言う。


「大丈夫。なんにもしなくても、愛してるから」


 彼女の肩がびくりと跳ねる。「そ、っか」と呟いて、そのまま眠ってしまった。布団を掛け直し、俺も寝る。





 二月十四日の水曜日。なんとなく点けていたテレビから、バレンタイン特集が流れてきた。教科書を読みながらそれを見ていた彼女が、ぽつりと呟く。


「ばれんたいん、か」


 その瞳はひどく虚ろで、暗く濁っているようだった。ゆっくりと俺に視線を向けて、何か言いたげに口を開く。テレビのなかでは、仲睦まじげなカップルがインタビューに応じていた。彼女は閉口する。


「桜子ちゃん、どうかした?」

「んーん、なんでもない」


 頭を振ると、黒い髪がサラサラと揺れた。つまらなそうな顔で彼女は教科書を読み続ける。「そろそろ字、書けるかな」と呟いて、ちらりと窓の外を見やった。一羽のカラスがベランダにいて、バサバサと音を立てて飛び去った。


 夜。俺は息苦しさを感じて目を覚ました。手を繋いで眠っていたはずの彼女が馬乗りになっていて、俺の喉元を絞めている。やや苦しいくらいで息ができないわけではないが、いったいどうしたのだろう。


「さくらこ、ちゃん?」

「死んで。わたしと一緒に、死んで?」

「……え?」


 彼女がくしゃりと顔を歪めて、久しぶりの涙をこぼした。


「死にたい」


 たった四文字の言葉が、絶望的な響きをもって俺を刺す。彼女が死にたいと、言った。今まで直接的にこの言葉を言ったことはなかった彼女が。瓦解したように泣いた。


「死にたいっ、死にたい。……薫くんと雪美さんのお世話になってばっかりで、なんにもできてない。こんなニート、もうやだ。もうやだぁ……っ」

「桜子ちゃん」


 彼女の指を首から剥がそうとすると、力を強められた。まだまだ平気だが、おそらくこれが彼女の最大限なのだろう。


「ニート、なのにっ。なんもしてないのに、太った! 可愛くない、可愛くないぃ……」

「そんなことない。俺は桜子ちゃんのことニートだと思ってないし、君は可愛い」

「可愛くない! 太っちゃったぁ!」

「たしかに、少し前と比べると、太った。俺だってそうだ。だけど、それはいいことだよ。健康に近づいているんだから。拒食気味だった俺らが、少しずつごはんを食べられるようになったってことだから」


 ごはんを食べられるようになって、体重はたぶん増えていた。彼女の体にも肉感が少しずつ戻ってきて、肌のハリツヤもゆっくりと良くなった。健康に近づいている。壊れていた生活を、元に戻しつつあるところだった。


「……じゃあ、薫くんがわたしを殺して? もっと醜くなる前に、殺してよっ」

「醜くないし、殺さない。ちょっと落ち着いてよ桜子ちゃん。とりあえず寝よう。寝たらきっと良くなるよ」


 あと、ひと月と半分。それが終われば四月一日。彼女は99パーセントの確率で死ぬ少女ではなくなる。本当にあとちょっとなんだ。これを乗り越えれば、俺らは「普通」の高校生に戻れるはずなんだ。


「桜子ちゃん」


 ボロボロと泣く彼女の体に手を伸ばし、抱きしめた。彼女が自然と首から手を離す。代わりに俺を抱きしめ返した。


「ごめんなさい。薫くん」

「ううん、大丈夫。大丈夫だよ、桜子ちゃん」


 やがて彼女がすやすやと寝息を立てはじめ、俺も安堵して眠りについた。




 二月の十五日。朝。俺はまた目を覚ます。いつもと何かが違ってた。ぬくもりがなかった。


「桜子ちゃん?」


 いつもなら俺よりあとに起きるはずの桜子ちゃんが、ベッドにいなかった。リビング、トイレ、浴室。見てまわっても彼女はいない。時刻は朝の七時頃。いつもならまだ彼女は眠っているはずだった。


 ――まさか。


 ベランダに出て見下ろすも、予想した光景は広がっていなかった。つかの間の安堵、再び湧き上がる不安感。また探しはじめる。ふと玄関扉を見て、恐ろしいことに気づく。鍵がかかっていなかった。昨晩閉めたはずなのに。


 ――家出、した? いや、家出だけならまだいい。もしも……


 もしもの先を考えたくなくて、俺は頭を振った。彼女の言葉がちらついて、不安がどんどん増してくる。


「ゆ、雪美姉ちゃん。お邪魔するね」

「ぅん……?」


 最後の希望で姉貴が寝ている部屋に入っても、そこにも桜子ちゃんはいなかった。つまり桜子ちゃんは、いま外にいる。


「あのさっ、桜子ちゃんが、いない。外にいるかもなんだけど、どうしよう」

「……いない、の?」

「起きたら、いなかった。あの体調だし、そんなに遠くには行けないと思うんだけど……っ、でも。昨日。桜子ちゃん、『死にたい』って言ってて。どうしよう」

「――わかった。私が外出て探してくる。帰ってくるかもしれないから、あんたは家にいて。警察にも連絡」

「わ、わかった。ありがとう」


 姉貴はコートを羽織ってマスクをつけて、ノーメイクで外に出ていった。俺は警察に連絡したものの、これではまだ事件性が低いと、まともに取り合ってもらえなかった。桜子ちゃんに電話をかけても繋がらない。メッセージにも既読はつかない。リビングをウロウロと歩く。早く帰ってきてくれ。


「あ」


 歩いていると、床に何かが落ちていた。それは小さなメモ用紙だった。ひらがなとカタカナばかりの拙い文字は、俺に伝言を残していた。


 ――バレンタインなので、コンビニにチョコレートをかいにいきます。ちょっとまっててね。さっきは、ごめんね。だいすき。あいしてるよ。薫くん


 なんだ、買い物に行っただけなのか。安易にほっとし、直後に首を傾げる。俺が目覚める直前に出かけていたとしても……遅すぎないか? 一番近くのコンビニに行ったなら。それに本当に「さっき」なら、彼女が出かけたのは夜ではないか?


 事件か、事故か。何かに巻き込まれた可能性もなきにしもあらずだ。じわじわと手汗が滲んで、メモ用紙がふにゃりとなった。強い風が吹き、何かが俺にぶつかってくる。露出が多めの黒ずくめ、あの女悪魔だった。


「……K? どうして、泣い――」


 悪魔はぐすぐすと泣いていた。彼女が泣いているのを、俺はいま初めて見た。以前、こいつはなんと言っていた。


『ワタシだって――可哀想な死に方する子を見たら、泣くこともあるよ』


 ああ、考えたくない。聞きたくない。でも、現実を見なくては。


「なあ、K。……もしかして、桜子ちゃんは」

「死んじゃった」


 たった一言、現実は残酷だった。悪魔がここで嘘をつくはずがない。親しいわけではないにしろ、いくらかの関わりはあったものだ。このくらいは、わかる。察することができている。


 真っ赤な瞳を透明な涙で濡らし、彼女は俺を見つめた。


「ごめんなさい」


 眦の涙を拭いつつ、Kはテレビのリモコンを手に取った。電源ボタンを押すと、パッとニュースが現れる。


 昨夜。近所の工務店の倉庫で火災があった。焼け跡から、ひとりの女性のものらしき遺体が見つかった。


「サクラコちゃんだよ」


 なぜ、彼女が倉庫に。疑問はすぐに解決した。Kが泣いたということは、彼女は可哀想な死に方をしたはずだ。ただの火災で死んだはずがない。きっと、重要なのはそこではない。


「桜子ちゃんは、また殺されたんですね」


 Kはこくりと頷いた。悪魔の流した涙の跡が、点々と床に落ちていた。

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