第101話 悪魔の仕事と観覧車
あるとき訪れたホテルで、俺らは予想外の人物に遭遇した。たぶん学校は冬休みに入ったばかりの頃。場所は九州地方のどこか。暮らし慣れた関東地方から遠く離れたその場所に、やつはいた。
「桜子ちゃん、ちょっと。――静かにしててね」
「へっ?」
手を繋いで歩いていた彼女を抱きしめ、やつらが視界に入らないように塞ぐ。だんまりになって立っていると、女がこちらに気づいた。真っ赤な瞳を見開いて、紅を塗りたくった唇で弧を描いた。
「あ、」
「久しぶりですね」
「……誰?」
悪魔、俺、野郎と、三人の声がリズムよく続いた。悪魔Kと腕を組んで歩いていたのは、まさかの高藤 柊馬だった。桜子ちゃんに告白して、断わられて襲って不登校にさせた男だ。Kは相変わらず露出多めな格好をしているものの、いつもよりか突飛ではないデザインの服を着ていた。
カップルにしか見えないその見かけは自然でいて、けれどふたりの正体を知る俺にとっては、どうにも奇妙なものだった。高藤は訝しむような顔で俺らを見ている。桜子ちゃんに気づかれないよう、さらにきつく抱きしめた。Kが目をキョロキョロとさせながら、高藤に答える。
「あー……、ワタシの甥っ子」
「ああ、そうだったんだ。――カスミさんにはお世話になってます。高藤です」
「……どうも」
「久しぶりだね、カオル。元気?」
「ああ、元気だよ。おばさんも、元気みたいで良かった」
誰が甥っ子だ、と思いつつも話を合わせた。「ちょっとカオルと話しててもいい?」とKが言って、高藤を先に部屋に帰らせる。危険人物その1が立ち去って、少しは緊張が和らいだ。腕に込める力を緩めると、「かおるくん、どうしたの?」と、今まで静かに、いい子にしていた桜子ちゃんが問う。
「こんにちは、サクラコちゃん。カオルくんのこと、ちょっと借りてもいいかな?」
「残念ながら、俺は恋人をひとりにするつもりはありません。仕方がないので、俺らの部屋に行きましょう。話はそれからです」
「オッケー、カオルくん。でもそんなピリピリしないでよ」
「行くよ、桜子ちゃん」
桜子ちゃんと手を繋ぎ、できるだけ悪魔を視界に入れないようにして歩く。桜子ちゃんのブルーのスカートがひらひらと揺れるのを見て、速くしすぎたかと少し歩調を改めた。部屋に着いて悪魔が入ると、すばやく扉を閉める。
「桜子ちゃん、ちょっとお人形さんと遊んでて。俺、この人とお話がある」
「ん、わかった」
「いい子だね」
先日買ったリタちゃん人形とウサギのストラップとで桜子ちゃんがお遊びを始めるのを確認したところで、俺はKに向き直った。Kはにこにこと笑っていて気味が悪い。桜子ちゃんに聞こえないよう、小声でコソコソと話すことにする。
「で、なんですか。K……いや、カスミさんと呼ぶべきで?」
「ううん、それ偽名だからKでいいよ。こんなところで会うなんて奇遇だよね。どーしたの?」
「どうしたもこうしたもありません。ホテル生活をしてるだけです。そちらこそ、なぜあの男と一緒にいるんですか」
「なぜって、ワタシはサキュバスちゃんだから。今、シューマくんのせーえきいただいてるの。彼氏にしてる。お仕事だよっ!」
「可愛こぶっても可愛くないのでやめてください。薄ら寒い」
悪魔はぶすっと不機嫌そうな顔を作った。はぁー、とため息をつき、また話しはじめる。
「じゃあやめるけど。そっちはいったい何してるわけ? あんなヒラヒラした服着させてメイクで誤魔化してるけど、サクラコちゃん、随分とやつれてるみたいじゃない。ん? 守って幸せにしてやるんじゃなかったの?」
「元はと言えば、そちらの彼氏のせいですよ。……あいつが、桜子ちゃんに、何もしなければ。あと、あれはロリータ服と言うんです」
「あー、はいはい。あのことね。あと、セニョリータだかマルガリータだかわかんないけど、その名前、聞くだけで虫唾が走るの。やめてちょうだい。――で、話を戻して。じゃあ聞かせてもらうけど。シューマくんだって理由なく行動を変えるわけじゃない。なんであんなことになったのか、カオルくんは考えたことある?」
「考えたってわかりませんでしたよ」
「じゃ、ワタシが教えてあげる。シューマくんはサクラコちゃんに一目惚れして、告白して断られる。前もそうだったよね。問題は、サクラコちゃんの断り方。前回は『今は恋愛には興味ありません』って断った。じゃあ今回は?」
「知りません」
「正解は、『好きな人がいるのでごめんなさい』。だからサクラコちゃんは襲われたの」
「……はっ?」
意味がわからない。接続詞がおかしいだろう。だから? ……だから??
「世の中さ、人のモノほど奪いたいってヤツもいるじゃない。あんまりにも幸せそうにサクラコちゃんが言うからさ、寝取りたくなったって」
「……ふざけんな」
「ふざけてないよ。シューマくんがそう言ってた。でも後悔してたよ。サクラコちゃんが不登校になっちゃって、申し訳ないって――」
「ふざっけんなよっ!! ああ!?」
桜子ちゃんの体がびくんと震えるのが、視界の端に見えた。彼女は怯えたような顔をして、俺を見ている。どうしたの、と口パクした。
「……ごめん」
「ん」
桜子ちゃんがまた人形遊びに戻る。
「リタちゃんリタちゃんあそびましょ」
「ウサギさん、あなたのおうちであそびましょ」
「あらぁ、それはいいかんがえね!」
――彼女の心は、壊れてしまった。『わたし、きたない』『ごめんね』とは言うけれど、そうなったキッカケは覚えているのかわからない。あまりにも無邪気な子どもだった。性を知らないようだった。痩せすぎたせいか、いつからか生理も止まってた。彼女は子どものようだった。でも、泣きも笑いもしなかった。
「……なんで。なんで、こんなことばかり起こるんですか。なんでみんな、そんな理不尽な理由で傷つけるんですか。なんでですか」
「じゃあ逆に、真っ当な理由って何? レイプしても許される理由、って何? あるわけないじゃない」
「そうだけど、そうだけど!」
「……そうだよ。加害者が並べ立てる『理由』はあっても、被害者が納得できる『理由』なんてない。被害者は、相手を恨むか、自分が悪いと責めるか、壊れてしまうか。それしかない。
――だから、夢魔は記憶を消すの。夢魔はニンゲンと性交するけど、すべてが終わればターゲットの記憶を消さないといけない。ワタシたちは本来、ニンゲンを不幸にさせるのが仕事じゃない。幸せに安らかに死を遂げさせるのが、我々しにがみの仕事。だからサクラコちゃんには、幸せになってもらわないといけないの。でも難しいから、アナタの力を借りてるの」
「……わかってます。わかってます、よ。死なせないように、幸せにするように、って。わかってます。でも、ここまで来てしまって、どうしていいかわからない。いつから選択を間違えたのか。決定的な間違いはどこだったのか。ずっとわからない」
「――カオルくんは、ヒトを信頼できないのかなぁ。カゾク、頼れないのかなぁ。サクラコちゃんにはないもの、アナタは持ってるのにね。断言する。カオルくん、このままじゃまた誤るよ。また後悔するよ」
「……かぞく」
「じゃ、ワタシはそろそろ行くから。じゃあね、カオルくん」
悪魔がソファから立ち上がり、桜子ちゃんのほうへと歩く。黒い髪をさらりと撫でて、あたたかそうな微笑みを見せた。
「サクラコちゃんも、お邪魔したわ。バイバイ」
「ん、ばいばい」
桜子ちゃんは無表情のまま、小さな手をフリフリと振った。俺はKと扉のところで別れたあと、桜子ちゃんの隣に座る。
「……桜子ちゃん」
「ん?」
「また関東に戻ろっか。そろそろ、クリスマスだよね。遊園地に行こう」
「ゆーえんち?」
「あの場所に行けば、また何か変えられる気がするんだ。明日ホテルを出るから、支度と心積もり、しておいてね」
「わかった」
翌日俺らはホテルを発って、電車や飛行機に乗って関東へと向かった。ホテルに一泊したら、クリスマスイブの朝になっていた。遊園地に、やってきた。
白いコートを着た彼女が、はぁっと同じ色の息を吐く。のんびりと歩いた。ジェットコースターに乗った。コーヒーカップに乗った。
夜、ふたり一緒にイルミネーションを見る。彼女の頬が照らされて、青や白に光ってた。点々とした色に、涙の幻を俺は見る。
「観覧車に乗ろう」
彼女がこくりと頷いて、手を握る力をちょっと強めた。彼女の黒い髪の毛には、季節外れな桜のヘアピンが留まってた。彼女の宝物、理由は知らない。
ゴンドラがゆっくりと上がっていく。彼女が窓から外を眺めてる。
「おうちは、どのへん?」
「……このへん、かな」
「ふぅん」
俺が指さしたほうへ目を向けて、彼女はしばらく黙ってた。冷たい横顔をただ眺め、俺はひとつのため息をつく。今日も笑わない。今日も泣かな――……
「桜子ちゃん」
「ん?」
うまく言葉にできなくて、俺は唇を引き結ぶ。黒い瞳から、はらり。涙が落ちた。彼女が、泣いた。
「あ、れ?」
彼女が慌てたように指先を目元に触れさせる。俺はそっと指先に触れ、彼女を止めた。心臓がドクドクと鳴る。唇が笑いそうになる。
「見せて」
「……うん」
黒い双眸からぽろぽろと、透明な雫がこぼれていく。紛うことなく、彼女がくしゃりと顔を歪める。泣いた。……ようやく、泣いた。泣いた。泣いた。桜子ちゃんが、泣いた。
「かおるくん」
湿った声が耳に届いて、視界がじわりとぼやけた。
「なぁに、桜子ちゃん」
「おうちに」
彼女が言いかけ、ゆっくりと口を閉じる。引き結んで下を向き、また顔を上げた。
「かおるくんと、暮らす。おうちに。おうちに、帰りたい」
「ああ」
彼女の唇に重なったあと、もう一度。ああ、と言った。
「帰ろう、桜子ちゃん。家に帰ろう」
軽くなった彼女を抱きしめ、ゴンドラが下りきるまで離さなかった。彼女が俺の胸でしゃくりあげ、しっとりと服が濡れていく。
彼女と一緒に電車に乗って、ホテルで荷物をまとめたあと。俺らはいつもの駅を目指した。いつもの駅で降りたあと、震える手を繋いで歩いた。
「……ただいま」
「ただいま」
鍵を開けて扉を開けて、ふたりで呟く。ぱちり、明かりが点いた。
「薫、……桜子ちゃん」
「ただいま、姉貴。心配かけてごめん」
「わたしも、ごめんなさい。ゆきみさん」
「まったくだよ。本当にまったく。……おかえり」
呆れ顔で姉貴は頷き、玄関先へと歩いてきた。桜子ちゃんの頭を撫でたあと、俺を見る。ペチッと音がして、額に軽い痛みが走った。姉貴にデコピンされたのだった。
「おかえりなさい」
言って、彼女もまた泣いた。十二月、二十五日のことだった。
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