第95話 彼女と暮らす幸福な生活

 三月一日、木曜日。彼女の十五歳の誕生日。前と同じような文房具とウサギのストラップに加え、今回は彼女に似合いそうなカーディガンも贈った。


 グレーの色味のかかったピンク色の糸でできていて、それより濃いめの色の小さなリボンが袖にあしらわれている。彼女が羽織るとやっぱり可愛く、大きめな木製のボタンを留める様子から、指先の繊細さが見られてキュンとした。


「ありがとうっ、薫くん」


 もしも彼女が子犬だったら、尻尾をブンブンと振っていただろう。そう思うくらいに嬉しそうにして、彼女は俺に抱きついた。


 今日は中学の午前授業が終わってから、マンションへと来てもらっている。彼女はまだアパートで寝泊まりする日もあるけれど、卒業したら本格的にこちらに住んでもらう予定だ。彼女と一緒に暮らせることを、俺は楽しみにしている。


「桜子ちゃん」

「ん、なぁに? 薫くん――ぴゃっ!?」

「ふふ、かわいい」


 不意打ちでキスしたら、声を上げてびっくりしてくれた。とても可愛い。髪を撫でながら、今度は額にキスをする。ぽわんと頬を染めて、彼女も俺に仕返ししてきた。幸せなバカップルだった。



 ✿ ✿ ✿



 四月七日、入学式の朝。


「ねーね、薫くん。私の制服姿かわいい?」

「世界一かわいいよ。さすが俺のカノジョ」

「えへへー、ありがとう」


 真新しい制服をまとった彼女が、リビングでくるりと回ってみせる。スカートがふわりと膨らむも、校則を守った長さのせいか、わずかに太腿が見えただけだ。桜子ちゃんらしい、見慣れたスカート丈だった。


 三月末、俺は桜子ちゃんを両親に紹介した。彼女はガチガチに緊張していたけれど、まあ過去の世界の彼女と母さんとはうまくやっていたのだ。その点に関しては、今回も俺は心配はしていなかった。


 実家を離れて姉貴のマンションで暮らす件については、毎日電話をしていろいろな報告をするという約束をすること、母さんに合鍵を渡していつでも訪ねられるようにすることを条件に、渋々ながら承諾してもらった。桜子ちゃんのことは同棲とまでは言わないけれど、けっこう泊まりにくる予定、ということにしている。


 過去に彼女を実家に泊まらせていたときと同じように、タイミングをずらしてマンションを出て学校へと向かうことにした。俺との交際のことや同棲のことは隠し、学校では関わらない。前と同様のルールで動いていく。


 入学式が終わり、俺が先に帰宅する。数十分後、彼女が帰ってきた。


「おかえり、桜子ちゃん」

「ただいま、薫くん」


 玄関先で、彼女がぎゅっと抱きついてきた。いつまで触れても何度も触れても、全然飽きることがないんだな、とふと思う。


 髪に残るシャンプーの匂いは、同棲を始めてからはおそろいだ。しかしなんとなく、彼女から香るほうが華やかでいい匂いな気がする。イメージ補正だろうか。それとも彼女がもとからいい匂いをしているのだろうか。


 彼女が部屋着に着替えて、一緒にのんびりと過ごした。漫画を読んだりゲームをしたりとしたあと、彼女が夕飯を作りにキッチンに行く。


 家事分担のようなものは、一応ふたりで決めていた。ビジネスライクな契約結婚を描いた漫画に、けっこう影響されている。


 彼女と関わるようになってから、俺って案外フィクションの内容に影響されるんだな、と気づかされた。二回目に男女交際を始めたのは、いじめられっ子を助けるラブコメ漫画を読んだことがきっかけだったし、あれがなければ俺らの運命はかなり違っていただろう。


「そろそろできるよー、薫くん」

「おっけ、ありがと。手伝いにいく」


 基本的に、料理は彼女が担当することになっている。完成したあとの盛り付けや配膳、テーブル拭きなどは俺もやる。食器洗いと風呂掃除は俺の担当。


 洗濯は洗って干すのは彼女の担当で、俺は取り込んで畳む担当だ。ふたりだけだと量が少ないので、洗うのは基本は二日に一回。その他の掃除はふたりで協力……と、こんな感じでやっている。いまのところは、これでうまくやれていた。


「いただきます」

「いただきます」


 彼女が作る料理は美味しい。初めて食べたときからそう思っている。俺の胃袋をばっちり掴んでいると、彼女は胸を張って言えるだろう。


「桜子ちゃん」

「なぁに、薫くん」

「俺のために、毎日味噌汁を作ってください」

「ふふふっ、薫くん。それってプロポーズ?」


 彼女が笑って、嬉しそうに眦を下げる。彼女が喜ぶ言葉だと思って言った。成功だ。


 彼女は味噌汁を作るのを頑張ると、前に言っていた。さらに前には、美味しい味噌汁を食べさせたかった、とも。将来がなんとやらとも言っていた。


 しばらく考え、ネットで調べ、ようやくわかった。ちょっと古いプロポーズのテンプレみたいなものだ。つまるところ、彼女はベタな展開に憧れている節がある。彼女が喜ぶことが何なのか、繰り返しのなかでようやく掴めてきた気がした。


「まあ、そんな感じ。改めて、これからよろしくね。桜子ちゃん」

「はい、よろしくです。薫くん」


 彼女はにこにこと笑って食事を終えた。俺も幸せで美味しくて、にこやかだった。


 彼女との同棲生活は、とても楽しかった。過去の彼女とも夏休みにずっと一緒にいたことはあったけれど、あのときとは少し心持ちや雰囲気が違う。あのときほど俺は焦っていない。こうして一緒にいれば九月一日の自殺は防げるだろうと、もう信じてしまっているからだ。


 今日の露出狂も、この家に帰ってこさせることで回避したはずだ。今回はバイトはさせるつもりはない。彼女を養うお金くらいは、宝くじで当てている。無理をさせる必要はない。彼女と長く一緒にいよう。



 彼女と暮らす日々は、たしかに幸せだった。この頃は、絶対にそうだったと言い切れる。けれど幸福とは、あるときあっさりと崩れ去るもので、きっかけはほんの些細なものだということもままあるのだ。


 まあ、つまり。端的に言うと。四度目の俺らの日々は、総合的に最悪だった。



 ✿ ✿ ✿



「あのさ、薫くん。今日さー」

「うん、どうしたの?」

「クラスの男子に、なんか告白された」

「へっ? あ、ああ。そうなんだね」


 一瞬頭が真っ白になったが、思い返せばなんてことはない。前回の彼女も、たしか四月にクラスメイトに告白されていた。今日は四月の十三日。前もこのくらいの時期だった。特におかしくはない。自分に言い聞かせ安堵する。


「……思ったより反応薄いね?」

「え、そんなことないでしょ。桜子ちゃん可愛いし、その魅力に気づいちゃう人が他にいて当然だね。うん」

「またまたー、お世辞はよしてくださいな。でもありがと。ちゃんと断ったから安心してね!」

「それは、ちゃんと信じてるから大丈夫」

「妬いてくれてもいいですのよ?」

「はいはい、妬いた妬いた。じゃ、俺とはいちゃいちゃしてくれますか?」

「はい、してさしあげますわっ!」


 元気にふざける彼女が、ソファに座る俺の上へと腰を下ろす。向かいあった状態で抱きしめて、頬や耳にキスしてくれた。彼女は今日も誰より可愛い。



 ✿ ✿ ✿



「桜子ちゃん。……今日、なんかあった?」


 四月の二十五日、夜。今日はいつもより、彼女の元気がないようだった。あとから思い返せば、ここが不幸の始まりだった。彼女に大きな傷がついた日だった。


「ううんー、なんにもないよ。……薫くん。ぎゅうってして」

「――はい、した」

「ん、ありがと」


 彼女は俺の胸に顔をうずめて、それからすっかり黙ってしまった。洟をすする音が湿っぽく、泣いているのだろうなと察する。髪を撫でると、湿り気がさらに増す。きっと泣いていた。


「桜子ちゃん。なんかあったんなら、言って?」

「ううん、大丈夫。大丈夫だよ……ありがとう、薫くん。桜子は、薫くんのことが、大好きだよ」

「俺も……大好きだよ」


 教えてくれそうもない彼女をただただ抱きしめて、俺は理由を考える。


 彼女が露出狂に襲われた、という噂は今回は出ていない。陽一にしょっちゅう確認しているが、他の噂も出ていない。意識的に一年F組の前をよく通りかかるようにはしているが、いじめの様子を見たことはない。彼女の口からも否定されている。


 嘘っぱちな噂ではない。いじめでもない。バイト先の問題でもない。なら、彼女を泣かせているのはなんだろう? 考えてもわからずに、いつの間にか眠ってしまった。


 それから彼女は、ずっと仄暗いままだった。四度目の彼女の元気いっぱいな姿を見られることは、もう二度となかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る