第94話 此度はロマンティックに
一月二十一日。土曜日。彼女を家まで迎えにいく。向かうのは俺の家で、姉貴に紹介するという予定だった。
「やっほ、桜子ちゃん。合格おめでと」
「ん、ありがとう。薫くん」
「じゃ、行こっか」
「うんっ」
なんとなくの流れで手を繋いで、駅へと歩く。電車に乗ると、彼女が嬉しそうにして、肩にもたれてきた。可愛い。
「えへへ、薫くんと一緒だと、なんか幸せだなぁ。……うん、しあわせ」
俺もだよ、と彼女に返す。胸がとても温かかった。彼女とまた一緒に電車に乗ることができて。彼女がこうして隣で生きていてくれて。幸せだった。
無意識に、言葉が漏れる。
「ねえ、桜子ちゃん。俺と付き合わない?」
「ん? なんて?」
「俺の恋人になりませんか?」
「うーん……?」
桜子ちゃんは自分の頬へと手を伸ばし、むにむにとつまんだ。あれ? と首を傾げてさすり、俺を見る。
「現実?」
「うん、現実なはず」
「薫くんが、『桜子ちゃんの彼氏になりたいよぅ』って言った?」
「そうは言ってないけど、意味的にはそう」
「わたしのかれし?」
「そう、きみのかれし」
「わたしは、あなたのかのじょ」
「そう、おれのかのじょ」
「へぇえ……」
桜子ちゃんは目を丸くした。自分で言っておきながら、俺も実はちょっと驚いている。ほとんど勢いで言っていたから、理解や覚悟の順番があべこべだ。
彼女が座椅子に座り直して、ふたりの太腿の密着感が強くなる。
「じゃあ、いい彼女になるね」
「おっけー、ってこと?」
「うん。私は貴方の彼女。貴方は私の彼氏」
「ん、りょーかい。うん。……学校では、ヒミツね」
「ん、知ってるよ」
なんともあっさりと、此度の俺らは恋人になった。何度も繰り返していれば、こんな交際の始まり方もあっておかしくはないだろうか。彼女と付き合うのは、これで三度目。今度こそ、本当に「いい彼氏」になりたいと思った。
「えー……紹介します。こちら、今しがた恋人になりました。紫月 桜子さんです。はい。で、こっちは……俺の姉貴」
「雪美です。よろしくね、桜子ちゃん?」
「はい、よろしくお願いします。雪美さん」
姉貴が何か言いたげな顔で俺を見る。なんとなく、言いたいことはわかる。
「桜子ちゃん、薫に脅迫とかされてない?」
「え、されてませんよ!」
「失礼だな、姉貴」
「いや、だってさ。……ねえ?」
桜子ちゃんが横目でチラリと俺を見る。こちらも、わかっている。
「あー……と。あれ、桜子ちゃんにはまだ言ってないんだけどさ。桜子ちゃん、春から俺と暮らさない? 姉貴が借りてる部屋があるんだけど、彼氏さんと同棲始めるからあんまり使わなくなるんだよね。手続きとかは、必要なら俺も手伝う」
「え、薫くん。私と一緒に暮らしたいから付き合おうって言ったの?」
「薫。付き合ってれば他は無条件で良いってわけじゃないのよ」
「いや、別に同棲するために言ったんじゃないって。説得力ないだろうけど、桜子ちゃんのことが好きだから、一緒にいられる時間が欲しいだけ」
ふたりがじぃーっと俺を見つめる。品定めをするような目だ。やましいことは何もない。堂々としていればいい。なのに、どこか落ち着かない。冷や汗が流れる。
「……嘘はついてないみたいね」
「私もそう思います」
「よし、認めよう」
ふたりの眼力が和らぎ、空気がゆるむ。無事に嫌疑は晴れたらしい。良かった良かった。
「ああ、ありがとう。じゃあ、そっちに泊まる頻度はだんだん上げてくね。ちゃんと時間かけて、母さんにも納得してもらえるようにするから」
「おう。頑張れ、薫」
姉貴は俺の頭を撫でて、悪戯っぽく笑った。
前回の俺と桜子ちゃんとは、学校で他人のふりをしていたせいで、一緒に過ごせた時間が明らかに少なかった。だからすれ違いが起き、ずっと拗れたままになってしまった。そして彼女が殺されたのは、彼女の暮らすアパートでのことだった。
すれ違いを避けるため、今回は暮らす場所を一緒にする。青柳などの脅威から身を守るため、学校での対応はそのままに。彼女が虐待や殺害をされないために、あのアパートからは遠ざける。四度目の方針はこれで行くつもりだ。
姉貴は、たぶん味方につけられた。桜子ちゃんも、同棲について不満がある様子ではない。あとは母さんと父さんと話して、桜子ちゃんの母親には前回と同様に手切れ金を渡せばいい。
今度こそ、何もかもがうまくいく気がした。そう思わないとやってられなかった。
✿ ✿ ✿
二月十三日。火曜日。公立高校の入試日であり、これまでの桜子ちゃんが母親に腕を切られた日である。
俺は学校を休んで、彼女をデートに連れ出した。姉貴のマンションに泊まっていたので、彼女とは夜からずっと一緒にいる。
「わぁ、かわいい〜。もふもふだ〜」
「桜子ちゃんのほうが可愛いよ」
「うん、ありがとう。ふふっ、照れるねぇ」
ここは、前に青柳とデートをしに来たあの公園。あのときは浮気疑惑によって、桜子ちゃんを大泣きさせてしまった。今の彼女はふれあい広場の白うさぎと戯れ、にこにこと楽しそうにしている。
「うさぎ、好きなの?」
「うん、好き」
「……うさぎってさ、寂しすぎると死ぬとかいうよね。本当なのかな?」
「うーん? どうなんだろう?? ――君は、寂しすぎると死んじゃう? うん?」
どうなんだいー? と尋ねながら、彼女はうさぎを持ち上げた。今日着ているのはふんわりとした水色のワンピースで、なんとなくワンダーランドのアリスっぽい。メルヘンチックな光景だ。
「薫くんは、動物触らないの? 苦手?」
「んーん、苦手じゃないよ。でも、桜子ちゃん見てるほうが楽しいからさ」
「そっかぁ。……桜子のこと、好き?」
「うん、大好きだ」
ふれあい広場でしばらく遊んだあと、売店のソフトクリームを食べた。彼女が何かを食べている姿は好きだ。美味しそうにしてて可愛いし、餌付けてる感じがするのも楽しい。
初めて一緒に何かを食べたとき――二回目の彼女とクレープを食べたときは、そっけなくて不機嫌な態度だったけど。あの頃が懐かしい。
ソフトクリームを食べ終えて、手を繋いでのんびりと歩く。寒い季節だから種類は少なめらしいけど、ここには色とりどりな花が咲いていた。彼女の顔がほころぶ。
「お花きれいだねぇ。甘い感じの匂いもするー」
「そうだね」
「プリムラオブコニカに、パンジー、スノードロップ、
札に書いてある花の名前を、キレイな弾む声で読み上げる。無邪気であどけない彼女にも、もう慣れた。
中三のときに出会った彼女と、高一のときに出会った彼女とでは、かなり違うのだなと改めて思う。俺との出会いが彼女を変えたのだろうと、過去の記憶がある俺だけが知っている。
一回目は、友だちでも恋人でもなかった。二回目は恋人になり、放課後の図書室でファーストキスをした。三回目は「変なタイミング」だった。彼女が泣いていたからキスをした。
「桜子ちゃん」
「ん? なぁに、薫くん」
くるりと振り返り、長い黒髪がなびく。笑う顔が眩しくて、咲き誇る花は綺麗だ。
「……ちょっと」
彼女の頬に手を添えた。もっちりとしてやわらかい。ぱち、ぱち、と瞬きをして、睫毛が揺れる。
花の甘い香りがして、彼女は可愛らしいワンピースをまとっていて、今日はロマンティックなデートをしている。はじめてのキスに相応しい、気がした。
「いい、よ」
何かを察したらしい彼女がぽつりと発し、頬にほのかな赤みと熱を宿らせる。心が繋がったようだった。ずっとすれ違ったままだった心を、重ねられたと錯覚した。今の彼女と今の俺とは、そんなことなかったはずなのに。
やわらかく、やさしく、かろやかに触れる。深くはしない。
唇同士がただ重なっただけのキスなのに、かなりドキドキとさせられた。今回のファーストキスが、たぶん一番、近い心をもって触れたものだったから。
「薫くん……」
「桜子ちゃん、……好きだよ」
「わたしも」
目元を緩め、涙目になる彼女。愛おしくてたまらない。糖蜜に体を溶かされるようだった。
「もう一回、して?」
可愛く強請る恋人に、静かに応える。彼女の髪は、今日もシャンプーのいい匂いがした。
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