第74話 花咲 薫の過去の傷 −後−
俺は六年生の一年間、たまに母さんと一緒に行く以外は、基本的に不登校になった。陽一は最低でも週に一回は来てくれて、プリントを持ってくるとともに、俺の話し相手になってくれた。ゲームもよく一緒にやった。
中学校は、『防犯ブザーとGPS付きのキッズ携帯を毎日持っていき、登下校は誰か信頼できる人と一緒にすること』という条件付きで、通うことを母さんに許されるようになった。父さんからの説得のおかげも大きいだろう。外に出るのは怖いけど、いつまでも引きこもっていたら腐りそうだった。
毎日、陽一と一緒に登下校した。やつは親友と言える存在になっていた。
俺は学校を怖いものだと思いつつも、学生らしい青春に憧れていた。普通に友達を作って、イベントも楽しんで、部活に励むっていう、そういうことを夢見てた。
なんとなく楽しそうでカッコいいし、雰囲気もストイックすぎない感じだから――という理由で、俺と陽一は男子バドミントン部に入った。
青柳 明穂と俺とが出会ったのは、そこでのこと。彼女は女子バドミントン部の二年生だった。
俺は部活中でも、しばらくマスクをつけていた。それでもモテた。人に慣れてマスクを外すようになると、さらに好意がわかりやすくなった。いろんな子に告白された。同じクラスにバド部の女子がひとりいて、彼女とは自然と他のやつらよりも仲良くなった。まあまあ楽しかった。
でも、彼女はある日部活を辞めた。突然だった。理由を聞いても全然答えてくれなかったけれど、二年生になる前の冬頃にやっと教えてくれた。部活でいじめられていたこと、青柳には気をつけてほしいこと。進級してクラスが離れたら、そのまま疎遠になった。
当時の俺の印象では、青柳はそこまで悪い人ではなかった。俺のことを好きそうな雰囲気はあったけど、告白してきたことはない。ちょっと言葉遣いが丁寧で、汚い言葉は使わない。
特別うまいわけではないけれど、フォームが綺麗――というか、常に美しくあることを意識してプレイしている感じ。勝つことを目指しているわけではない人。わりとうまくいっている中小企業の社長令嬢なのだという噂を聞いたときは、たしかにそんな雰囲気あるよなって思った。
揉め事が起きると面倒くさいから、中学では校外学習には行かなかった。女子と過剰に関わらないように気をつけて、男子とはほどよく仲良くできるように頑張った。陽一にはかなり助けられた。
バレンタインは、基本は受取拒否。断れずにもらっても、全部捨てた。もったいないけど、人から贈られたものをもう食べられる気がしなかった。でもチョコレートは変わらず好きで、自分で買うことはよくあった。母さんや姉貴がくれるバレンタインチョコも好きだった。誕生日はいつもチョコレートケーキを買ってもらっていて、それは殊に大好きだった。
引きこもっていた頃には悪い想像をして怯えていたが、そこまでの悪いことは起きなかった学校生活。中学一年生のときは、それなりに平穏だった。
事件が起きたのは、夏の大会前のことだ。俺が二年生で、青柳は三年生のとき。彼女にとっては引退がかかった大会の数日前、俺は同級生にカッターナイフで両腕を切られた。
そいつはバド部でそこそこ仲良くしてる男子で、けっこう強いやつだった。夏の大会でも結果を残すことを期待されていた。そんなやつが、部活の休憩時間に俺が女子バドの部員のひとりと話しているときに、突然カッターで切りかかってきた。
標的が俺だったのか、その女子部員だったのかはわからなかった。俺はとっさにその子を庇うように前に出て、自分が切られた。かなりザックリとやられて、血がボタボタと床に滴った。小学生のときに刺されたことがフラッシュバックして、過呼吸になった。
やつは男子生徒数名に取り押さえられ、顧問の先生と陽一が心配そうに俺に駆け寄ってきた。病院に連れていかれ、何針か縫った。
そいつは、大会に出れなくなった。俺も怪我のせいで棄権した。話し合いが何回かあって、彼が嫉妬でこんなことをしてきたのだとわかった。彼は女子バドの部員に好きな子がいた。俺があのとき話していた子だ。
その子と俺とが付き合っていて、俺が強引に彼女とヤったらしい――なんて噂を耳にしていた彼は、俺らが話している姿を目にしたときに、キレた。俺にも彼女にもムカついて、ふたりとも殺したくなった。だからやった、という話。
もちろん俺は彼女とは付き合っていなかったし、そういう行為もしていなかった。双方の親と先生との話し合いの結果、
けれど、俺が怪我させられた話も嘘っぱちの噂も、学校中に広まった。確証のない噂をしないよう、集会でそれとなく注意喚起はされた。でも後の祭りだ。部活にも学校にも居づらくなった。
俺ら三人は、部活を辞めた。陽一も俺と一緒に辞めて、帰宅部になった。心配した母さんと父さんがまた引っ越そうかと言ってきたけど、俺はそれを断った。転校したら、負けたみたいで嫌だった。もう下手に手出しされないように強くなるから。と言って、筋トレを始めた。ほどなくして成長期が来たのか背が一気に伸びて、いい感じの男になっていった。
青柳は大会で特に良い結果を出すことなく引退し、県内で有名な女子校に進学した。翌年、俺は私立のそれなりの進学校を受験し、合格した。自主・自立性を伸ばすことを重視した自由な校内環境で生徒を育て、厳重な警備で外からはしっかり守る――なんてことを謳っていた高校だ。警備面が良い高校に進学することを、母さんは喜んでくれた。俺としても、自由な感じの校風には惹かれてた。
部活は途中でやめたけど、わりと充実した中学校生活だった。小学校よりもずっと楽しかった。
卒業式の少し前、俺の腕を切ったやつに話しかけられた。彼は改めて謝罪して、あのときの話を前よりも詳しくした。件の女子とは幼なじみで、本当にずっと前から好きだったこと。そして――あのデマの発信源は青柳だったこと。
腕に傷痕は残っているが、俺は彼には大して恨みを抱いていなかった。そのときは傷に無関心で、もうどうでもいいと思っていた。
思えば、この頃からそういう傾向があったのだ。いつもはつらい記憶を封じ込めて、平気な顔で生きている。たまにフラッシュバックすると、数日間すごく苦しくなる。でも、あるとき突然どうでもよくなる。トラウマが遠い記憶になるターンと、生々しく蘇るターンとが、交互に繰り返されていく感じ。
だから、遠い記憶だったそのときに、恨み言なんてひとつも言えなかった。部活を辞めたあとにどんな感じで過ごしていたかをテキトーに伝えたり、他愛ないことを言ったりして会話を終えた。
無事に中学校を卒業して、俺は高校生になった。高校でも陽一は一緒で、しかも同じクラスになれた。ふたりで仲良くバカな男子高生をやっていた。
しかし平穏な愛すべき日々は、あの女によって終わりを告げられる。
「久しぶりっ、花くん。元気だった?」
「……青先輩、どうしたんですか」
「花くんに会いたかったから、来ちゃった」
「来ちゃった、って……」
ゴールデンウィーク明け、青柳が俺のいる高校に転校してきた。たいへん困惑した。
連絡先を交換してから、俺は彼女への返信という義務に悩まされることとなる。連絡を取っていると、腕の傷痕がジクジクと疼くような気がした。つらかった。この女のせいであんな目に遭ったのかという疑念が、あのときのことを何度も思い出させ、過去の痛みを蘇らせていた。
俺が他の女子と仲良くしているのではないかという話題になると、特に話が長くなった。それが面倒くさくて、女子と関わるのを極力やめた。ちょっとした会話も避けるようになって、陽一ばかりと一緒にいた。他の男子とは、まあそこそこに話したりした。
それでもメッセージの量は日に日に増えた。高一の夏頃が最も酷かった。彼女が送ってくるのは、たいてい夜。律儀に返信していたために睡眠時間も削られて、ようやく眠れても悪夢を見ることがしばしば。あの誘拐未遂のこととか、鉛筆削りの刃のこととか、女子高生のこととか。
夏休みは外に出る気になれなくて、ほとんど引きこもりだった。昼間は陽一とよくゲームをした。WEBデザインやイラストの仕事をするようになった姉貴に、プログラミングの基礎的なことを教えてもらった。楽しくてハマった。青柳への返信を考えてくれるプログラムを作った。返信がちょっと楽になった。あとは、夜の睡眠不足を補うように寝ていた。夜は青柳とのやりとりに忙しかった。
夏をピークに青柳からの連絡は減り、メンタル面も少しずつ落ち着いてきた。翌年一月に告白されたが、断ったら完全に音信不通になった。呪縛が解けたようだった。
そうして四月、桜子ちゃんに初めて出会った。
一回目の彼女と、俺は少し仲良くしてしまった。彼女が足を挫いたから登下校を一緒にするとか、委員会のときに喋るとか。青柳から解放されて、舞い上がっていた節があったのだろう。彼女と仲良くなれれば、俺も「普通」になれる気がした。それでいて、彼女が俺の傷に共感してくれることも密かに求めた。
俺と仲良くした女の子は、嫉妬されて恨まれる。嫌な目に遇う。中学のときのあの子のように、いじめられる。俺はそのことをすっかり失念していた。遠い記憶にしていたせいだ。
もしかしたら青柳は、一回目の彼女にも何か嫌がらせをしていたのかもしれない。嫉妬深いあの女ならあり得ると、二回目の桜子ちゃんが死んだあとで気づいた。
一回目の桜子ちゃんが自殺して、俺は高一の八月からやり直し。二回目は改良版・返信生成プログラムを作って、さらに楽にうまい返信ができるようになった。未来の展開知ってる俺って最強、なんて厨二病も発症させていたと思う。本当に馬鹿だ。
一月の告白をキッカケに今度はメッセージ量が激増し、青柳をブロック。関係が絶たれた。
一回目の記憶のせいで桜子ちゃんに執着していた俺は、彼女とめちゃくちゃに絡んだ。いま考えれば、目をつけられて当然だった。でも二回目の俺は盲目で、桜子ちゃんのことしか見てなくて、青柳があんな酷いことをするなんて考えられなかった。めちゃくちゃ馬鹿だった。浮かれたアホな童貞だ。
九月に再び桜子ちゃんが自殺して、同様に八月からやり直し。また過去の記憶のフラッシュバックや悪夢に苦しみ、フードとマスクの装備なしには外に出られない俺ができあがった。
そうしてあの日、俺は中学三年生の桜子ちゃんと出会ったのだ。あどけない彼女に、はっきりと命名できる「恋」をした。彼女がパーカーを着ていたから。血を流していたから。泣いていたから。
彼女をみつけて、恋におちた。今度こそ、絶対に離したくないと思った。
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