第71話 お菓子も、優しさも、名前も −前−

 買い物を終えて公園に戻ると、彼女は俺が貸しつけた傘をさして、ベンチに座っていた。小さな声で、雨の日らしい童謡を口ずさんでいる。


 近づくと、恥ずかしそうにして歌うのをやめた。キレイな可愛い声だから、もっと歌ってくれていてもいいのに。


「おまたせ」

「おかえりなさい、お兄さん。避妊具でも買ってきましたか?」

「違う。そういうことはするつもりない。俺以外とも、絶対やらないで」

「なんでですか?」

「絶対後悔するし、そういうのは好きな人とするべきだと思う。相談ならいくらでも乗るから、変な方向に擦れないでよ」

「……はぁい」


 わかっているのか、いないのか。曖昧な顔で彼女は笑った。ちょっと嬉しそうに見える。俺の言葉は、彼女の心に届いただろうか。


「いろいろ、買ってきた。サンダル買ってきたから、とりあえず履いたら?」

「えっ、と。ありがとうございます?」


 彼女の足元にサンダルをそっと置く。一応ピンクを選んだけど、所詮はドラッグストアクオリティ、可愛いと言えるデザインではない。彼女の足を守る役目だけ果たしてくれれば十分だから、これで問題はないのだが。いつか可愛い靴も履かせてあげたいな、とは思う。


 彼女が足の裏に付いた砂利を払ってから、サンダルに足を入れる。ちょっとシンデレラっぽい光景じゃない? と思った。『シンデレラ』や『白雪姫』といった童話も桜子ちゃんは好きだったから、頭に浮かんだのかもしれない。彼女のことが懐かしい。


「お兄さん優しいね。名前なんていうの?」

「かおる」

「どーゆー字のかおる?」

「〝薫風〟とか〝薫陶〟の〝クン〟と同じやつ」

「あー……あっ、あれか。私はね、さくらこ。簡単なほうの〝桜〟に、子どもの〝子〟で、桜子。薫くん、桜子に優しくしてくれて、ありがとう」

「……どういたしまして」


 過去二回で出会ったときよりも少し幼いからか、今回の彼女はすぐに懐いてきたような気がした。異性というよりも、年上の〝お兄さん〟として見られているような気がする。出会ったばかりの彼女には素っ気ないツンツン対応をされて当然とばかり思っていたので、少し面食らった。


「次、おでこの怪我どうにかしないとね。ちょっと水道のところまで行こう」

「はい、薫くん」


 従順にひょこひょこと付いてきた。こんなに素直で可愛いと、なんか困る。


「うーんと、どうしよっか。雨だから、なんかやりにくいよね。――じゃ、そっちの傘、一旦地面に置いて、俺の傘のところ来て」

「あいあいがさ?」

「そ、相合傘。別にそれ自体が目的ではないけどね。おいで」

「はーい」


 桜子ちゃんは俺の言ったとおりに傘を置いて、こちらへと歩み寄った。俺は彼女に傘をさしながら、水道の蛇口をひねる。


「冷たいし痛いかもだけど、ここでおでこ洗って」

「うん、わかった」


 再び髪がかき上げられ、赤い傷口が露わになる。本当に痛そうで、また鳥肌が立った。


 彼女がバシャバシャと傷口を洗い、しばらくして顔を上げた。すでに雨に濡れていたから見た目はあまり変わらないけれど、水道水で洗ったほうが良かったはずだ。


「今度は、桜子ちゃんが傘持ってて」

「はい。りょーかい!」


 傘をバトンタッチして、買ってきたタオルガーゼを取り出す。


「痛かったら、ごめんね。できるだけ痛くないようにするけど」

「うん、大丈夫。ありがとう」


 傷口の周りの水分を丁寧に拭う。次に袋から取り出したのは、湿潤療法ができるタイプの絆創膏だ。スーパーパワーばんそうこう、というらしい。薬剤師さんに話を聞いて選んだ。綺麗に治るといいのだが。


「絆創膏貼るね。こういう怪我も治せるってやつ」

「それ、お高いやつじゃない?」

「うん。桜子ちゃんのためなら、これくらい全然買える」

「……なんで、初めて会った桜子に、こんなに優しくしてくれるの?」

「桜子ちゃんが、可愛いから」

「えへへっ、褒めても何も出ませんよー。一文無しです!」

「なんか、意外」

「何が? 私、お金持ちに見えてた?」

「ううん、ごめんけど違う。別になんでもないよ」


 今は八月で、これまでの俺が彼女に出会っていたのは次の四月。俺が前に出会った彼女より約八ヶ月ぶん幼いのが、今の彼女だということになる。


 たった八ヶ月、されど八ヶ月。彼女は、俺の知っていた彼女とけっこうキャラが違う。


 前の彼女は、こんなにフレンドリーではなかった。もっと暗くて、出会ったばかりの頃は冷たくて、人に怯えていた。


 この八ヶ月の間で、過去の彼女には何かがあったのだろうか。中学三年生と言えば真っ先に思いつく一大イベントは高校受験だが、それ以外のことで何か悪いことがあったのか。それとも、いわゆる受験鬱というのが、高校に入学してすぐの頃もまだ治っていなかったのか。


「絆創膏、貼れたよ」

「薫くん、ありがとう」

「どういたしまして。またベンチ座ろっか。ちょっと話そう」

「うん!」


 持っていた傘を彼女に渡して、俺は地面に置いていたもう一本を拾う。ざあざあ降りの雨のなか、それぞれ傘をさして公園のベンチに腰掛けた。


 傍から見れば――こんな雨なので、現実的には見る人などいないけれども――おかしなふたり組だろう。

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