第70話 八月の雨の日
三回目も俺は、自分の部屋に巻き戻った。二〇一七年の九月から巻き戻れば、十三ヶ月前は二〇一六年の八月で夏休みの真っ最中。高校で青柳と再会したことをきっかけに精神を病み気味になり、ほとんど家でだらだらしていた頃であった。
巻き戻って真っ先にしたのは、金を得るために覚えた情報をアウトプットすること。手書きよりもスマホのメモ帳に打ち込んだほうが早いと判断し、指が痛くなるくらいの猛スピードでメモをしていく。
それが終わると、次はカレンダーを見て予定を立てることにした。中学生である桜子ちゃんと接触を図りたいが、どうすればいいだろう。
彼女が暮らしている家の近所をぶらついていれば、会えたりしないだろうか。なんてガバガバな考えをして、明日から彼女の家の近くを徘徊することにする。決して不審者やストーカーではない、はずだ。グレーのパーカーと、不織布マスクの箱をクローゼットから出しておく。
来世を捨てれば彼女とやり直す機会を得られるなんて、ラッキーだなと思う。悪魔が俺に頼んでくれて良かった。一回目の彼女を一番に愛していたのが俺だというのは、にわかには信じ難かったが、二回目の彼女の話を聞いて考えると、たしかにその通りなのかもしれないと思えるようになっていた。
桜子ちゃんは、どこでも不遇な扱いをされていた。学校でも、家でも、バイト先でも。たしか悪魔は、彼女の魂があまりにも清らかで美しすぎるから、それを穢そうとした別の悪魔に呪われてしまったと言っていた。悪魔なんかの都合で彼女が不憫な目に遭っているのは腹立たしいが、文句を言っても仕方がない。俺が全力で彼女を助けて幸せにしてやるまでだ。
何日間か、彼女の家の近所の公園やコンビニ、図書館をウロウロとした。一週間以上そんなことをしても、彼女はいなかった。こんな方法じゃ駄目なんじゃないかと思えてきた。
八月二十二日の月曜日。今日も彼女を探しに行こうと思ったら、天気はあいにくの雨だった。気分が萎えるが、出会える可能性を少しでも上げるためには、行けるときには行ったほうがいいだろう。そう言い聞かせてモチベーションを上げ、朝食を終えたあとに、また桜子ちゃんの家の近所へと向かった。
かなり激しく降っていて、電車に乗っていると、窓に叩きつけられる雨の音がうるさく聞こえた。仕事がある大人や部活がある学生じゃなければ、わざわざ外に出る人は少数派だろう。
やっぱり彼女はいないかもしれない。こんな天気だから、家でのんびり過ごしているか、中三だから受験勉強でもしているかも。
ビニール傘をさして、彼女の暮らす町を歩く。彼女の家と最寄り駅との、ちょうど真ん中あたりにある公園へと足を踏み入れる。
思わず「あっ」と声を上げた。探していたが、まさかいるとは思わなかった。
ベンチにぼんやりと座る、ひとりの少女。彼女は傘をさしておらず、髪も服もぐっしょりと濡れていた。黒のパーカーに白のTシャツ、グレーのショートパンツという出で立ちだ。どうしてか靴は履いていない。彼女の顔の左半分を濡らす水は、赤かった。怪しまれては困るので、俺はフードとマスクを外す。
「君、こんなところで何してるの?」
中高生を補導する警察官みたいな台詞だな、なんて思いつつ、彼女に傘を差し出して声を掛けた。黒い瞳がゆっくりとこちらを見上げ、瞬きをする。あからさまな作り笑いをして、震える声で言った。
「ヤらせてあげるので、貴方の家に泊めてくれませんか」
「……はっ?」
予想外の言葉に、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
何を言っているんだ、彼女は。こんな、自分の体を売るような台詞なんて。彼女は青柳のせいで襲われるまでは、男に体を許したことなんてなかったはずなのに。
「――って、言えって、お母さんが」
舌打ちしそうになった。危ない危ない。
また彼女の母親らしい。めったに帰ってこないと聞いていたが、今日は珍しく帰ってきてしまった日だったのだろうか。
彼女をつらい目に遭わせてばかりいる女に、どうしようもない憎しみを覚える。桜子ちゃんを生んでくれたことにだけは感謝しても良いが、彼女を苦しめていることは許せない。
憤りを隠して、普通の調子で彼女と話す努力をした。
「お兄さん、高校生ですか?」
「うん、そうだよ。高校一年生」
「じゃ、私より一個年上だ。どうです? ヤってみません?」
「あ……いや、それは」
イエスと言えなかったことを後悔する念が、1ナノメートルくらいだけ心に残った。理性が臆病な欲を制した。
彼女と繋がってみたい気持ちがないわけではない。桜子ちゃんのことを覚えている俺は、今でも彼女が大好きだから。
けど、これは、なんか違う。俺を覚えていない、俺を好いていない彼女に体を許されることは、俺が本心から望むことではない。
「そんなことしちゃ、駄目だよ。自分の体は、大事にしないと」
「どうせSNSに自分のエロ画像上げてるような女ですから、いまさらそんなことないですよ。こんな体、大事じゃないです」
「そういうの、本当はお母さんがやったんじゃないの?」
「あたり。お兄さんすごいですね。エスパーみたい」
桜子ちゃんは、こんなことで楽しそうに笑った。
顔や名前は出していないけれど、彼女の母親は、桜子ちゃんの卑猥な画像を上げるSNSアカウントを持っていた。二回目の彼女が自殺したときの警察の取り調べに答えた内容によると、娘を通して承認欲求を満たしていたらしい。本当に狂っているとしか思えない。
桜子ちゃんは、ほとんど母親の言いなりだった。どんなに酷いことをされても抵抗しなかった。二回目の人生で援交の話を母親が持ちかけてきたときに初めてはっきりと抵抗し、それゆえに母親が、SNSで知り合った男と無理やりに行為に及ばせたらしい。母親が仲介した男の相手を桜子ちゃんはさせられ、彼女が体を売って稼いだ金は、母親の好きなように使われた。
もう二度とこんなことはさせない。彼女の心の傷をこれ以上拡げてはいけない。母親のことを、今回はどうにかしなくては。
「顔に、血みたいなのついてるけど。それはどうしたの?」
「家追い出されたときに、灰皿投げられて。おでこに怪我しちゃいました」
彼女が前髪をかき上げると、ぱっくりと割れた傷口が露わになった。痛々しい様子に鳥肌が立つ。絶対痛い。やばい。痛いのは嫌だけど、できることなら代わってやりたい。
「それは……病院は、行かなくて大丈夫なやつ?」
「わかんないです。いつもはお母さん、私に怪我させたあとは、病院連れてってくれたり、病院代くれたりするけど……今日は、追い出されちゃった。どうしていいか、わかんない。痛い。……でも、お金ないし、どーでもいいや!」
彼女がまた泣きそうな顔で笑う。彼女は、悲しそうに笑うことがとても多い。
もっと、幸せそうに、笑ってよ。
「……ちょっと、待ってて」
「えっ、お兄さん!?」
彼女にビニール傘を押しつけて、俺は公園から駆け出した。ゴロゴロと雷が鳴る音が聞こえる。
今日は本当に天気が悪い。そのうえ桜子ちゃんは怪我をしてるし、彼女の母親の酷さをまた知るし。こう考えれば、まったく良い日ではない。でも、俺はやっぱり嬉しかったんだ。
――また、桜子ちゃんに会えた。抱きしめたい。キスしたい。今はまだ駄目だろうけど。
自殺した彼女に、また会えたことが、とてつもなく嬉しかった。巻き戻れば彼女が生きていることは知っていたが、実際に会うとやはり違う。
今日が雨で、良かった。いや、彼女が雨に打たれていることは良くないけど。でも。
こんな天気なら、俺が情けなく泣いてることが誰にもバレないから。だから、良かった。
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