第69話 九月一日。願いは叶わない

 どうしたのだろうと不安になっていると、彼女から電話がかかってきた。急いで出て、声を聞く。彼女がまだ生きていることに安堵した。


『おはようございます、薫先輩』

「桜子ちゃん! 良かった。今どこに――桜子ちゃん。泣いてるの? どうした?」


 電話の向こうから、愛しい人が泣く声が聞こえた。彼女は何を悲しんでいるのだろう。早く慰めてやらないと。俺が助けてやらないと。そう思っていると、彼女が涙声で話しはじめる。


『薫先輩、大好きです。……大好き、でした』


 まるで、遠距離恋愛になる直前の恋人への告白のようだった。これから離れてしまう、そんな予感。なにか悪いことが起こる。そんな気もした。


 押しのけるように、俺は普通の調子で彼女に話しかける。今日も、明日も、これからも。俺と桜子ちゃんが、普通に生きていけることを願って。


「俺も、桜子ちゃんのこと大好きだけど。んなことより、どこいるの? 一緒に学校行こうって言ったじゃん」

『約束破って、ごめんなさい。でも、先輩に会ったら……死にたくないって、思っちゃいそうだから』


 途端に鼓動が速くなる。彼女が示しているのは――彼女は、いま死にたがっているということ。俺と会うと死にたくないと思いそうだから、会わない、ということは。


 ――最悪の可能性が、頭をよぎった。


「……ねえ、まさか――自殺、なんて、しないよね? ねっ?」


 どうか、否定してくれ。援交してても良いから、他に何か隠してることがあっても良いから。全部まとめて許すから。受け容れるから。


 お願いだから、死ぬことだけは、やめてくれ。


『愛してました。誰よりも、何よりも』


 願いは、静かに虚しく拒絶される。諦めた色をした声で、彼女は冷めた愛を告げた。


 予想した最悪の結末を否定してくれることもなく、最後の言葉を口にする。


『薫先輩っ』


 澄み渡った明るさで、夏の木漏れ日みたいな声だった。


『私のこと、好きになってくれて、ありがとう。先輩と……できなくて、ごめんなさい。ほんとうは、あなたと、愛しあいたかったんだよ。でも……』


 電話の向こうの彼女はたしかに、誰よりも強かに生きていた。最後のひとときは、離れていてもわかるほどに輝いていた。


 最後まで、彼女の声はキレイだった。


『…………さようなら、ね。薫先輩』

「――桜子ちゃん!!」


 さようなら。はっきりとした別れの言葉。引きとめる暇さえ与えずに、電話の向こうでガツンと音がした。……なんにも聞こえない。風の音さえも聞こえない、無音になる。


「……桜子、ちゃん……?」


 彼女の声が返ってこない。俺のスマホの画面は、通話時間のカウントアップを続けてる。まだ終わってないんだ。まだ、まだ……ああ、そうか。スマホのマイクが壊れたのかも。そうだ、スマホが壊れただけなんだ。それだけだ。


 早足で歩きはじめ、やがては走っていく。早く彼女を止めないと。早く会いにいかないと。ひとりで電車に乗って学校へと向かう。まだ生きてるはずだ。まだ終わってない。カウントアップは止まらない。彼女との電話という繋がりを切ることが怖くて、通話状態はキープしていた。言い聞かせたって怖かった。


 息を切らして学校に着くと、救急車が停まっている。絶望しかけて止まったのは、前回とは違う光景だと気づいたからだ。前の彼女は即死だったから、救急車はいなかった。来たのは警察車両だった。もしかしたら大丈夫なのではないかと、淡い期待を抱いてしまう。彼女の生を願った。









 彼女が死んだときのことは、いつのことであっても、あまり思い出したくない。記憶にこびりついて離れないけれど、できるなら見たくない。


 二回目の彼女は、即死ではなかった。彼女は一回目と違って、併設大学の十六階からではなく、四階建ての高校の屋上から飛び降りた。


 高さも勢いも足りなかったから、すぐには死ねなかったらしい。意識があったのかどうかはわからないが、地面に落下しても、しばらく生きていた。


 いくつかの骨が折れて、内臓も傷つき、たくさんの血が出たのだとは聞いている。前よりも早く学校に着いたせいで、彼女からあふれ出した赤色をまともに見た。こんなにも流れるのかと驚くほどにたくさんの血潮を流して、彼女はそれが原因で死亡した。


 病院でさらにわかったのは、桜子ちゃんが妊娠していたことだった。もちろん、彼女が死ぬと同時にその小さな命も潰えている。


 俺とはそういうことをしていないから、他の男との子どもだ。彼女はいろんな男と体を交えていたから、誰の子なのかわからなかった。


 桜子ちゃんは、自殺した。でも、それは、ほとんど殺されたようなものだった。


 俺は、あとから知ったことだけれど。


 桜子ちゃんは、学校で性的暴行を受けていた。いわゆる集団レイプというやつだ。青柳 秋穂は桜子ちゃんにも俺と別れるように言っていて、けれど彼女も俺も応じなかったから、酷い手段を取ったのだった。


 青柳という女の情報を、俺はできうるかぎりシャットアウトしていた。ゆえに彼女が〝逆らってはいけない女王様〟として一部の生徒たちの間に君臨しているのも知らなかった。


 親の寄付金のおかげか、教師も彼女を野放しにしていたらしい。彼女は手駒をいくらか抱え、それらを使うことに慣れていた。好き放題にやっていた。


 俺は愚かにも、あの女の本性を忘れていた。彼女が中学のときにいじめの主犯をしていたこと、俺に危害を加えるようなデマを流したこと。それらを頭の片隅に情報としては覚えていたが、日常に影響する実感としては持っていなかった。


 一回目の高一の夏を乗り越えて、二回目を過ごして、桜子ちゃんへの恋に溺れて……その過程で、青柳のことを忘れていたのだ。他のトラウマも、遠い記憶になっていた。


 覚えているままでは、普通の高校生活は送れなかった。また不登校になっていた可能性もある。だから回復した隙に遠ざけ、別のものに夢中になって逃げ、綺麗サッパリ忘れ去った。つらい記憶を無意識に封じ込めていた。


 今では全部、まざまざと思い出せる。人の視線と女性に怯える日々が帰ってきた。恋人の死と結びつけられたこの記憶は、この先ずっと消されることはないだろう。この恐怖を忘れられる日は、おそらくもう二度と訪れない。


 あの女は――数人の男子生徒に命じて、桜子ちゃんのことを襲わせた。加担した男子生徒は脅しに屈してしまったと証言したが、襲う代わりに多額の金を受け取っていたとのこと。金に目が眩んだ節もあったのだろう。金まで使って、あの女が彼女を襲わせた理由はと言えば。


『花くんにレイプ動画を送りつければ、別れてくれると思った』


 そう、たったそれだけのことだった。俺と桜子ちゃんを別れさせるためのものでしかなかった。


 あの女は桜子ちゃんのレイプ動画をトークアプリで俺に送りつけたが、俺が彼女のアカウントをブロックしていたせいで既読がつかなかった。


 彼女も、つい忘れていた。俺という「想い人」に拒絶された、彼女にとっての「つらい記憶」を。


 思い出した彼女は、怒った。憤りのままに、動画をインターネット上に晒した。クラスでの性的嫌がらせの画像も改めて拡散した。傷ついていた桜子ちゃんを、さらに追い詰める行為だった。


 桜子ちゃんの母親もまた、頭のおかしい女だった。彼女に暴力を振るうだけでは飽き足らず、援助交際をさせることで金を稼がせていた。バイトをしていないなら身体で稼いでこい、ということだった。彼女の卑猥な画像を撮ってSNSに上げるということも、彼女の母親はやっていた。俺は……本当に、気づけていなかった。


 つまり、桜子ちゃんは。

 学校で性的暴行を受け、母親に援交をさせられ、妊娠して自殺した。



 桜子ちゃんの葬儀の日。泣いているクラスメイトがふたりいた。彼女のクラスの代表委員と文化祭委員の子だったらしい。自殺者や犯罪者が出たせいで、文化祭は中止になるらしいけど。


 彼女がいじめられていたときには、何もしなかったくせに。ただの傍観者だったくせに、彼女が自殺したら泣くのか。直接いじめていたわけではない、ただのクラスメイトに対してさえ腹が立つ。


 何の役にも立たなかったのは、俺も同じなのに。彼女の自殺を止められなかったのは、俺もなのに。むしろ、俺のほうが酷かったかもしれない。


 ……俺と付き合わなければ、彼女は襲われなかったのだろうか。性的な嫌がらせをされても、あの動画ほどに酷いことはされなかったのだろうか。


 彼女が死を選ぶ理由を作り出したのは、俺なのか。また、俺のせいなのか。俺なんかと関わったから、彼女はあんなにも傷ついたのか。


 わからない。どうすれば彼女が死ななかったのか、わからない。


 ――なんで、君はそんなに約束を破るんだ。一緒に学校行こうって、約束したじゃん。しばらく会えなくても、俺はずっと好きだって。絶対好きだって、言ったじゃん。なんで、信じてくれないの。なんで相談してくれないの。俺は……君にとって、どうでもいい存在だった?



 桜子ちゃんが死んだ今だって、俺は桜子ちゃんのことが好きだ。好きだからつらい。大好きなひとが、もうこの世にいないことが。自ら命を絶ってしまったことが、つらい。





『なあ。薫?』

「……なに、陽一」


 陽一が、俺に電話をかけてきた。今は何日だろう。


『学校、来ないの?』

「うん、いかない」

『ごめん』

「なにが」

『お前の……カノジョの、噂。デタラメだったんだな。俺、ちゃんと見極められてなかった。本当にごめん』

「うん。うん……。でも、お前は悪くないよ」


 陽一が、学校内外の噂に詳しい理由。噂を流すことに関しても、強い影響力を持っている理由。全部ぜんぶ、俺のせいなんだ。噂のせいで俺が傷ついたことがあるから、守ってくれようとしてただけなんだ。だから……陽一は、悪くない。悪いのは、救えなかった俺なんだ。





 彼女の葬儀の何日かあと。久しぶりに学校に行った。担任から電話があったから、仕方なく。人と関わりたくなくて、俺は登校拒否になっていた。


 授業を受けてもなにもわからないまま、午前が終わって昼休みになる。現在高校の屋上は封鎖されているから、彼女が立っていたはずの屋上の真下の四階へと向かった。窓から外を眺めて、彼女が死ぬ場所を変えた理由を考える。そして、察してしまう。


 大学の最上階から飛び降りれば即死できることは、彼女だってわかっていたはずだ。それでも彼女はそうしなかった。


 飛び降りた場所からして、彼女が最後に見た光景は。彼女が、この場所で死ぬことにした理由は。


「……ああ、そっか」


 ここから見えるのは、中庭だ。彼女と昼休みに何度か一緒にごはんを食べた、ベンチが見える。


 俺らがよく行っていたデートスポットとも言える場所。そこが、ここからは見えるのだ。


 自惚れかもしれない。彼女が、最後まで俺との思い出を胸に抱いていたかもしれないなんて。彼女が襲われる前、彼女の母親が家に帰ってくる前、まだ普通のカップルとして仲良くしていた俺らが過ごした場所を、最後に見ていたかもしれないなんて。


 一迅の風が吹く。髪が揺れる。


「サクラコちゃん、また死んじゃったねー」

「……Kですか」


 相変わらずの露出度高めの悪魔が、俺の隣に現れた。隣にいてほしいのは桜子ちゃんであって、こんな女ではないのに。


「貴方の来世はあと三回。また、彼女に捧げてみますか?」

「はい、もちろん」

「今すぐに?」

「ええ、今――いや。明日が良いです」

「身辺整理も必要だもんね。了解。じゃ、また明日」


 悪魔Kは会話を終えると、風とともにあっさり消え去った。彼女を死なせてしまったことについて、もっと何か言われるかと思っていたのに。


 彼女を助けるには、きっと彼女をもっと前から知らなければならなかったのだろう。特に母親との間の問題は、かなり深刻で長年続いていたもののようだった。


 俺がKに来世を捧げると、この世界は十三ヶ月前に巻き戻る。十三ヶ月前、まだ中学三年生の桜子ちゃんに、俺は会ってみることにした。


 制服のポケットから、桜のヘアピンを取り出す。桜子ちゃんの「宝物」に、Kが魔法をかけて複製した代物らしい。Kと俺との〝愛憎のよみがえり〟の呪いの契約の証であるとともに、やり直せる回数のカウンターでもある。


 今の花びらは四枚。一枚は、一回目の巻き戻り後にKに潰された。明日巻き戻ったらまた散らされて、残りの花びらは三枚になる。再びヘアピンをポケットに忍ばせた。


 生きるのには、金がいる。何をするにも金がいる。俺は、宝くじや馬券の当選結果、株の動向についてを調べた。十三ヶ月前から今までに購入可能だったそれらのデータを、できるかぎりに記憶する。定期試験のときも高校受験のときも、こんなに必死に覚えたことはなかった。


 そうして翌日。俺は、二〇一六年の八月に再び戻った。


 Kはヘアピンの花びらを一枚潰して返してきた。これで花びらは残り三枚。やり直せるのはあと三回。そっと握って、己を鼓舞する。


 今の俺は、高校一年生。彼女は中学三年生。今度こそ彼女を自殺させないことを決意して、三回目の時を始めた。

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