第66話 そういうこと

「花くん。今の彼女とは、別れたほうが良いと思うわよ」

「いきなりなんすか。青先輩」


 六月十九日、月曜日の昼休み。ひとつ年上の女子生徒である青柳 明穂に、俺は呼び出された。


 はてさて彼女はいったい何を言っているのだろう。俺は桜子ちゃんと一緒にお昼を食べる約束をしているから、用があるなら早くしてほしいところなのだが。


 青先輩は栗田と同様、中学のときにバドミントン部で関わりがあった人である。親がどこだかの企業の社長で事業がうまくいっているらしく、いわゆる「お嬢様」っぽいところのある人だった。


 彼女が俺に好意を寄せているのは知っている。中学のときもそういう噂は聞いていたし、彼女の態度からもそれは察していた。


 前の冬休み明けの一月にとうとう告白されて、今は恋愛には興味がないからと断った。一回目も、巻き戻ったあとの二回目もそうだった。


 一回目と二回目、青先輩関連で多少変わったことと言えば、トークアプリで彼女をブロックするようになったこと。


 連絡先は前から交換していて、彼女とのやりとりに一回目の俺は疲れていた。律儀に返信していると会話が終わらず、睡眠時間を削られていたのだ。高一の夏頃が最も酷く、そこから次第に少なくなって、振ったことをキッカケに音信不通になった。


 高一の八月に巻き戻った二回目の俺は、一回目よりも返信がうまくなった。会話を早く切り上げられるようになり、ときおり無視スルーすることも覚えた。連絡頻度はだんだん減った。


 一月に告白され、これでまた音信不通になる――と思っていたのだが、彼女の行動に違いが生じたのはここからだ。振ったあとから、彼女はメッセージの量を激増させた。とても面倒くさかった。


 無視してみてもそれは止まらず、毎日数百件のメッセージが送られた。電話まで掛けてくるようになった。学年末考査前でもその調子で、勉強を邪魔されてムカついた俺は、思わずブロックしてしまった。


 冷静になるとまずかったかと焦ったが、別の手段で接触を図られることはなく、何か危害を加えられることもなかった。それでそのまま放置した。それなりに平穏な日常を送っていた。


 よって、今のこの状況は、ぶっちゃけ言うと気まずい。ブロックした負い目があるから、俺の立場が明らかに弱い。けれど桜子ちゃんとの関係を邪魔されようものなら、おとなしくしていられる自信はなかった。


「可哀想な花くんに、優しい私が教えてあげる」


 青先輩は、もったいぶってそう言った。こう言っては悪いが、彼女の華やかなメイクはいけ好かない。素朴な桜子ちゃんのほうがずっと可愛い。早く彼女に会いたい。


「それは、ご親切にありがとうございます。何を教えてくれるんですか?」

「あの子……実はメンヘラビッチなの。あ、私がこんな言葉を使ってたって、お父様には言わないでちょうだいね」

「先輩のお父様と話す機会なんてないですし、それは心配ないですよ。内容については何を根拠にそう言っているかは知りませんが、恋人をそのように言われては不快です。やめてください」


 本当に、どいつもこいつもうるさいものだ。なにがメンヘラビッチだ。あんなに純粋で綺麗な彼女を、よくもそんなに酷く形容できるものだ。腹が立つ。


 露出狂の被害に遭ったり、学校で性的な嫌がらせをされたりしたのだって、彼女が何か悪いんじゃない。加害者が悪いんだ。彼女が非難される筋合いはない。


「騙されてるだけよ、花くん。花くんに似合う人は、もっと他にいるはず。あんなノーパン女なんて――」

「似合う似合わないとかどうでもいいんですけど。互いに好きならそれでいいじゃないですか」


 どうでもいいから、とっとと会話を終わらせろ。そんな気持ちで言葉を吐くと、青先輩はびくりと肩を揺らして、眉間に皺を寄せた。恐る恐るというように問う。


「……花くんは、もしかして、あの女が好きなの?」

「はい、もちろん」


 俺が即答したのを聞くと、彼女は「そう」とだけ言って、悲しげに睫毛を伏せた。この人も、俺ほどではないにしろモテる人だった。好む好まざるは置いておいて、綺麗な人だとは思う。


 他の男の前でこの表情を見せればすぐに同情を誘えただろうに、ときめかない俺が見ることになったのが残念でならなかった。


「花くんがそう思うなら……仕方ないわね。許してあげる。彼女が裏切ってたりしたら、私が助けてあげるから。いつでも頼ってね。連絡もいつでもしていいわ」

「それはどうも。では、失礼します」


 俺は足早に青先輩のもとから去った。『遅くなってごめんね』と桜子ちゃんにメッセージを送りながら、彼女と昼ごはんを食べる約束をしている中庭へと駆ける。


 着くと、彼女はぼんやりと空を眺めていた。目が合った途端、嬉しそうに綻ぶ。


「遅れてごめんね。お腹空いてたでしょ?」

「いえいえ。薫先輩のこと待ってる時間も好きですから。一緒に食べましょう?」

「うん。そうだね」


 ぴったりと身を寄せ合って、彼女と一緒にごはんを食べる。ごはんのあとは、互いの指を絡めあったり髪を撫でたりして、いちゃいちゃした。


 きっとこの日が、二回目の彼女との出会いから別れの結末までへの道のりの、ちょうど折り返し地点だった。



 ✿ ✿ ✿



 六月二十三日の金曜日、帰り道。手を繋いでいつもどおりに家まで送っていくと、彼女が玄関先でふいに言った。


「そういえば、私、バイト辞めたんです。最近新しいの探してるところで」

「あっ、そうなんだ。頑張ってね」

「はい。それで、バイト辞めたから、土曜日が空いてるんです」

「じゃあ、ゆっくり休めるね」

「……ねえ、薫先輩」

「うん、なに?」


 桜子ちゃんは俺の背へと手を伸ばし、数秒間抱きしめてきた。やがて爪先立ちをして、俺の耳元に唇を寄せる。どこか色っぽい声で囁いた。


「明日……うちに泊まっていきませんか? 親は、帰ってこないですよ」


 目を見開いていると、耳にやわらかさが触れる。きっと彼女の唇だ。


 まさか。いや、あり得ない。でも、もしかして。もしかすると、そういうことなのか? ……と、妄想が脳内をぐるぐると駆け巡る。


「薫先輩。……待ってますね」

「う、うん。わかった」


 彼女がひどく蠱惑的に笑う。これは、やっぱりそういうことか。そういうことなのか? そういうことなのか??


 親がいなくて、家にふたりきりで、年頃の恋人で――なんて、漫画で読んだことのあるシチュエーションだ。俺の破廉恥な勘違いな可能性も多大にあるけれど、コンビニに寄ってから帰宅した。万が一の場合に備えてだ。


 彼女のことがバレると面倒くさそうなので、親には陽一の家に泊まりにいくということにしておいた。ふたりでゲームと勉強をするのだということにして、陽一にも話を合わせてくれるようにメッセージで頼んだ。


 やりとりの流れで、彼は余計なことまでいろいろ教えてくれた。変に緊張して全然眠れなくなった。



 ✿ ✿ ✿



 六月二十四日の土曜日、午後三時頃。俺は初めて私服で彼女の家を訪ねた。ということはつまり、俺が彼女の私服姿を見るのも初めてである。


 深呼吸してからインターホンを押し、玄関扉が開くのを待った。


「いらっしゃいませ、薫先輩。どうぞお上がりください」

「はい、お邪魔します」


 学校では校則に従って膝下丈のスカートを穿いている桜子ちゃんは、今日はゆるっとした感じのピーチピンク色のショートパンツを穿いていた。家のなかだからなのか靴下は履いていない。


 普段はちらりとしか見えない膝小僧だとか太腿だとか、アキレス腱のラインとか。そういうものに何度も何度も視線がいく。


 上の服は白のパフスリーブシャツで、いわゆるカジュアル清楚系な格好だった。何を着てても好きだと思うんだろうけど、かなり性癖に刺さる。


「かおるせーんぱいっ!」


 彼女が甘えたような声で俺の名を呼び、ぎゅっと抱きついてきた。その体のぬくもりとやわらかさを、いつも以上に強く実感する。

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