第64話 中庭でお昼ごはん
当番が図書室に行くのは、昼休みはごはんを食べたあと、放課後はHRと掃除が終わったあと。俺らは火曜日担当で、今日は五月の三十日。火曜日だ。
俺は桜子ちゃんを誘って、中庭で一緒にお弁当を食べる約束を取りつけた。
はじめは嫌だと首を振っていた彼女だが、ピクニックデートという名称で誘い直したら、ゆっくりと頷いてくれた。そういうロマンとかを気にする子なのかもしれない。
俺と桜子ちゃんが付き合いはじめて、もうすぐ二週間が経つ。一応それなりに仲良く――とまで言っていいかはわからないが、まあぼちぼちやっていた。
俺が栗田を牽制したからか、桜子ちゃんへのいじめは、表面上はなりをひそめたらしい。彼女のパンツはもう盗られていないようだし、最近のクラスの状況を聞いてみても、これと言って何か被害があるのだとは言われない。だから、たぶん大丈夫なのだと思う。
しかし、このまま安易に安心することはできない。なぜなら彼女の左手首には、未だに新しい傷ができ続けているからだ。彼女は長袖を着て隠しているつもりのようだが、注意深く気にしていれば、ふとしたときに見える。
「薫先輩、あーん」
「あーん」
桜子ちゃんは頬を赤くして、俺に卵焼きを食べさせてくれた。彼女お手製の卵焼きはほんのりと甘じょっぱくて、かなり美味しかった。
今の彼女は機嫌が良い。彼女は感情の起伏が激しい子のようで、すぐにいじけるし怒るし「別れましょう」と言ってくる。かと思えば、本当に幸せそうに笑ったり、可愛らしく甘えてきたりもする。
面倒くさいところもあるけれど、それもひっくるめて、彼女を愛おしいと思っていた。
「美味しいよ、桜子ちゃん」
「ありがとうございます。……すみません。卵焼きくらいしか、あげられるのなくて」
「ううん。美味しいし、本当に嬉しい。ありがとう」
「……どういたしまして、です。薫先輩」
中庭で、彼女と一緒にお弁当を食べる。そんなありきたりな青春のワンシーンを、俺は心から愛していた。二回目の彼女としかこういうことはできなかったから、より大切に感じているのだとも思う。
お弁当を食べ終わったあと、図書室に行く前に、俺は彼女に尋ねた。
「あのさ、桜子ちゃん。聞いてもいい?」
「はい、なんですか?」
「その……なんで、リストカットしてるの、かなって」
「えっ」
彼女が目を丸くする。和やかな空気が壊れる。彼女との間に生まれた良い感じの雰囲気を、俺が無粋な話を振ってぶち壊しにするのは、よくあることだった。
だって不安なんだ。桜子ちゃんは、前の時にもリストカットをしていたから。前の桜子ちゃんは、俺には何も言わずに自殺したから。
彼女を愛しく思うほど、彼女を失うのが怖くなる。
「なんか、悩んでることまだあるの? まだクラスの子に嫌なことされてる?」
「クラス、は。関係ないです」
「じゃあ、他のことで何かあるの?」
彼女が小さく縮こまる。尋問みたいで怖がらせてしまったかもしれない。慰めるように頭を軽く撫でる。恋人になってから、これくらいのスキンシップは普通にできるようになっていた。
小さな声で、彼女はぽつりと答える。
「……バイト、先で」
「うん。バイト先で?」
「なんか、体、触られるんです。変なとこ。あと、なんか……他の人のミス、私のせいにされて、減給もされて。意味わかんないことで、いっぱい怒られる。そういうのが、嫌で、バイトある日に、切っちゃいます」
黒い瞳から涙が落ちる。バイト先でのことも、今までひとりで我慢していたのかもしれない。彼女は学校に友人がいないし、親御さんともあまりうまくいっていなかったはずだ。彼女の相談に乗れるのは、きっと俺だけだ。
「それは、つらいね。そんなバイト先なら辞めちゃえば?」
「辞めたら、お金足りなくなります。奨学金とかもあるけど、働かないと、お母さんに怒られちゃう」
「でも、このままじゃ桜子ちゃん壊れちゃいそうだよ。自分の体に傷つけるなんて、普通じゃないし」
「普通じゃなくても、私はずっとやってきてるんです。……先輩には、たぶんわかんないですけど」
「桜子ちゃん」
また「別れましょっか」と言って逃げていきそうな雰囲気を醸し出した彼女の体を、ぎゅっと抱きしめた。一回目の彼女のことを――初めて彼女のリスカ痕を見た日のことを思い出す。
あの日、俺はもっとうまくやれたんじゃないか。彼女の悩みを聞くとか、何か。何かしていれば、彼女は死ななかったかもしれない。
今の彼女の体は、あたたかい。生きている。この熱を、もう失わせたくなかった。生きていてほしかった。
「桜子ちゃん。……もう、死なないでよ」
「別に死にたくてリスカしてんじゃないですけど? なんなんですか。ウザい」
「うん。ごめん。俺、あんまりわかんないくせに、いろいろ勝手なこと言うからさ。嫌だったらごめん。俺はただ、桜子ちゃんと一緒にいたいだけだよ」
「もうっ、本当になんなんですか! そんな辛気臭いこと言って、馬鹿みたい。私、別に死ぬつもりないですってば。ね、薫先輩。……好きな人と付き合えたのに、死ぬわけないじゃないですか」
「……ほんと?」
「はい。早く図書室行きますよ」
彼女は笑って俺の頭を撫でる。俺が彼女の身を解放すると、「手、繋ぎましょ?」と言って手を差し出した。ちょっとデレてくれたっぽい。
今の彼女には、自殺する予定はないらしい。俺が一緒にいることで、少しはこの世界に引きとめることができているのだろうか。そうならいいな、と思う。
五月三十日、火曜日の昼休み。彼女と初めて一緒にお弁当を食べた。中庭のベンチは俺らのよく行くデートスポットになり、思い出の場所になった。
彼女を自殺に追い込む事件が起きる、およそ一ヶ月半前のことだった。
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