第59話 嘘からはじめる男女交際 −上−
五月十八日、木曜日。紫月さんがクラスでいじめられていることを知った次の日の、朝のHR前。紫月さんが、俺らのいる二年A組の教室にやってきた。
怯えたような表情の彼女のそばにいたのは、三人の女子生徒だった。紫月さんと一緒に下校しているのを、ときおり見かけたことがある女子たちだ。
「花咲センパーイ」と、女子のひとりが俺を呼ぶ。俺は陽一と話していたのを切り上げて、彼女らのほうへと向かった。女子三人のうちのひとりが、笑顔で挨拶をする。
「花咲センパイ、おはよございます」
「ん、おはよ。なんの用?」
いま気づいたが、彼女は中学のときにバドミントン部で多少関わりのあった後輩だった。男女で別の部として分かれていたとは言え、練習場所が近いことなどもあり、いわゆる顔見知りだった。俺と同じ高校に来ていたとは、今日まで知らなかったが。
中学時代のバド部の後輩が背伸びをして、俺の耳元に顔を寄せる。内緒話をするように、彼女は囁いた。
「ね、センパイ。昨日のこの子のパンツ、何色でした?」
「……は?」
思わず低い声が出る。後輩は俺の耳元から顔を離すと、ニコリと笑った。他の女子ふたりも、なぜか笑みを浮かべている。彼女たちの浮かべる笑みが、もはや下卑たものにしか思えない。
何がパンツの色だ。いったい何を企んでいるんだ。普通に考えて、こんなこと、恥じらいもなく聞ける内容ではないだろう。本当に、なんなんだ。
俺は、紫月さんのほうに視線を向ける。黒い瞳と一瞬目があったあと、すぐに逸らされた。彼女は唇をぎゅっと引き結んで、今にも泣きそうな顔をしていた。
泣きそうな紫月さんに、笑う女子たち。おそらくこれも、いじめの一環なのだろう。
求められているのが何なのかはわからないが、俺の答え次第では、さらに紫月さんを傷つけてしまうことになりそうだ。こういった方向では全然働きを見せない残念な脳味噌で、俺は答えを搾り出す。
考えるために昨日のことを思い出すのも、なんだか恥ずかしかった。そして何より、紫月さんに対しては申し訳なく思う。彼女だって、見られたくなかっただろう。俺だって、あんなふうに見たいわけではなかった。
ラッキースケベだとも思えない。あんなの、まったくラッキーじゃない。彼女のつらそうな泣き顔を思い出して、彼女をいじめるやつらへの腹立たしさを感じる。
正しい答えは、考えてもわからなかった。このまま考え続けていても、ただやつらへの怒りを増していくだけになりそうだ。俺はゆっくりと息を吸ったあと、事実を小さく答えた。
「……俺、見てないから知らんけど」
俺が見たときの紫月さんは、パンツを穿いていなかったのだ。だから、これは嘘ではない。パンツの色なんて見ていない。強いて言うなら透明かとも一瞬思ったが、なんか余計に卑猥な感じがしたので、そう口に出すのはやめておいた。
バド部の後輩の瞳に、どこか喜びのような色が浮かぶ。わざとらしく、彼女は小首を傾げた。
「あれぇ? そうなんですかぁ。紫月ちゃんのほうと、なんか手違いがあったのかなー? 花咲センパイ、ごめんなさい。ちょっと待っててくださいね。――ね、紫月ちゃん。どういうこと?」
バド部の後輩以外のふたりのうち、ひとりが紫月さんの腕を掴んで、もうひとりが紫月さんの耳元でなにかを囁く。紫月さんは、ぶんぶんと首を振った。この様子を見るに、俺の答えは模範解答ではなかったらしい。
たぶん、紫月さんが彼女らの命令に背いたのだと誤解されたのだろう。見ていないパンツの色をどう答えろと言うのだと
紫月さんがちらりとこちらを見て、またすぐにうつむいた。髪の間から覗く耳が、ほんのりと赤くなっている。彼女の瞳から雫が落ちたように見えたのは、きっと見間違えではない。
紫月さんの耳元で何かを話す女子の声は、こちらには聞こえない。問い詰められているのか、紫月さんは、震えた小さな声で喋っていた。
断片的に聞こえるのは、彼女が昨日俺の前でした行為の内容。何度か同じ内容を言い直していて、いかがわしい言葉を使うように無理やり命じられているようだった。今度ははっきりと、彼女の瞳から涙がこぼれるのを見る。
待っててくださいとは言われたが、黙って見ていることにも、そろそろ我慢ならなくなってきた。
「あのさ。紫月さん泣いてるし、そういう……嫌がってることするの、やめなよ」
「あ、すみません。花咲センパイ。紫月ちゃんが頑固なもので!」
「いや、紫月さんじゃなくて。やめてほしいの、君らのほうなんだけど」
教室前の廊下でこんなことをしていれば目立つのに、他の誰も止めるのを手伝ってくれやしない。こちらを一瞥はするけれども、通り過ぎるときは足早で、みんな素知らぬ顔だった。
俺が、どうにかしないといけない。俺が止めないといけない。間違えてはいけない。俺のせいで、彼女へのいじめを悪化させてはいけない。
いじめの解決方法について昨夜ネットで二時間以上調べても、やっぱりわからなかった。苦肉の策として、いじめられっ子を助けることで恋が動き出すラブコメ漫画を読んだ。もはや現実逃避だったと思う。そんな俺の頭には、現実的でない漫画のコマばかりが浮かんでいた。
下手なことをすれば悪化する。悪化したら、彼女はまた自殺するかもしれない。フィクションの漫画の真似をしても、現実の問題が解決するかはわからない。
紫月さんが自ら命を絶った過去を、この場で俺だけが知っている。彼女を現にいじめているこいつらだって、彼女が自殺するかもしれないと、本気で思ったことはないのだろう。いま一番にこの場で緊張しているのは、きっと俺だった。
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