第60話 嘘からはじめる男女交際 −中−

「……あの。まあ。ス……カートのなかは、見たけど」


 なにが正解なのかわからない。自分の言葉が彼女を殺したらと思うと、ものすごく恐ろしい。彼女への疑いを晴らそうと思って言った言葉にも、彼女を殺す可能性は含まれているのだから。


 尻すぼみになったこの言葉を聞いた女子三人は顔を見合わせ、また下卑た笑みを見せた。あれが、彼女らの求めていた正解だったらしい。でもその正解が、紫月さんを傷つけないとは限らない。


「こんなダサい女のスカートのなかなんて見せられたんですか?! センパイ可哀想……っ」

「いくらビッチだからって、関係ないセンパイのことまで巻き込んじゃ駄目だよ〜。紫月ちゃん、ちゃんと謝んな?」

「っ……、ごめん、なさい。花咲先輩。ごめんなさい」


 涙声で謝る紫月さんの頭を、ひとりの女子生徒が「ちゃんと頭下げないと!」と言って押さえつけた。紫月さんの髪が、ぐしゃりと乱れる。


 人は、こんなにも堂々と人をいじめられるものなのか。俺の思っている常識がおかしいのか、彼女たちがおかしいのか。


 それとも、こんなことを平気でできるようになるくらい、彼女らは紫月さんに酷い扱いをすることに慣れてしまっているのだろうか。


「首、痛そうだし。手、離したら? そういうの、本当やめたほうがいいよ」

「あっ、そうですね。花咲センパイったら優しー。こんなノーパン変態女のことまで心配してくれるなんて!」

「でも先輩。実際どうです? こいつキモくないですか?! パンツ穿かないで学校来るとか、ほんと信じらんないです!」

「言ってやってくださいよ。『ノーパンなんて気色悪い』って。『ドン引きした』って!」


 ノーパンだの変態だのパンツだの、よくそんな大声で言えるものだ。大多数がドン引きしている二年A組の様子が見えていないあたり、相当な馬鹿らしい。心底軽蔑する。


 そして全員が傍観者に徹したクラスメイトに、彼らを責めるのはお門違いだとは理解しつつも、やや失望した。俺自身がいじめられているわけではないのに、強い孤独感を覚える。味方が、いない。


 味方がいないなら、俺はひとりで紫月さんを助けないといけない。彼女を助けるものが誰もいないなら、せめて俺だけでも手を差し伸べてやらないと。彼女は、またきっと死ぬ。


 乱暴に押さえつけていた手が離れ、紫月さんが顔を上げた。黒い瞳は潤んで、頬には涙の痕が残っている。彼女のこんな表情を見てばかりだな、と思った。


 もっと幸せそうに笑ってくれればいいのに。愛らしいその顔の色を変えさせるのは、苦痛や悲しみではなく、喜びや楽しみならばいいのに。


 救いの手を、どう差し伸べればいいのか。自信を持てるうまい案なんて、なにひとつとして思いついちゃいない。頭に思い浮かぶのは、ラブコメ漫画のご都合主義なシーンばかりだ。


 なにをすればいいのかわからない。失敗したら、彼女はまた自殺するかもしれない。それでも何もせずにいるよりかは、結果としてうまくいかなかったとしても、何かしていたほうが良いだろう。


 彼女の心が壊れる寸前なのか、壊れかけなのか。彼女の死にたい気持ちはすでに芽生えているのか。それがわからないのは怖いけれど、もう同じ後悔はしたくない。

 

 もしうまくいかなくても、生きてさえいればどうにかなるはずだ。彼女を傷つけることになっても、彼女が自殺さえしないでいてくれたら、俺は全力で彼女の心の傷を癒そう。


 そう決意して、俺は口を開く。一回目と二回目との運命を大きく変える、一言を口にする。


「……まあ、ノーパンがキモいとまでは思わないけど。でも自分の恋人がノーパン登校はかなり心配だし、穿いてくれたほうが嬉しいかもね」


「……はっ?」


 四人のなかで誰よりも大きく目を見開いたのは、紫月さんだった。目玉が零れ落ちそうなくらいに、まんまるに大きく見開いている。


 これでうまくいくかは、わからない。けれど何もしないよりは、マシなはずだ。

  

「俺の彼女のこと、いじめないでくんない? こういうこと言いたくないけどさ、栗田はわかるよね。……俺らのことは放っておいて、おとなしくしてたほうが身のためだよ」


 中学時代のバド部の後輩――栗田を睨みつけると、彼女の顔から威勢が消えた。中学校であった事件のことなんかを、いまさら思い出したのだろう。心なし傷ついたようにも見えたが、ざまあみろだ。


 栗田が弱々しい声で、謝罪の言葉を口にする。


「は、はい。花咲センパイ。……すみませんでした」

「うん、わかればいいから。し――桜子ちゃん。ちょっと良い?」

「ふぇっ? は、はい……?」


 紫月さんは、下の名前で呼んだせいか、頬をぽっと赤くした。目を白黒させる彼女の手を取って、俺は教室から逃げ出す。俺の顔も、少しだけ熱くなる。


 廊下にまで響くほどのざわめきが二年A組から聞こえるかと思ったら、B組も湧き、次にC組も。俺らが歩くよりも速く、ざわめきは隣のクラスへと順々に伝播していく。


 内容は、花咲 薫の交際相手についてのことだった。今まで誰に告白されても断ってきた俺だから、ある種の大ニュースのようになってしまっているのだろう。普段よりもたくさんの視線が、俺と紫月さんに突き刺さるのを感じる。


 ざわめきもうるさいし、自分の心臓の音もうるさい。どこか静かなところに行きたい。朝のHR前の屋上なら、他の人はいないだろうかと思いついた。


 俺は彼女を連れて、屋上へと向かう。このあたりまで来ると、もうざわめきもほぼ聞こえない。鍵のかかっていない金属製の扉の先には、案の定、誰もいなかった。ここなら、完全にふたりきりになれる。


 扉をバタンと閉じたあと、繋いでいた手をそっと離した。彼女を見つめて「ふたりっきりだね」と言うと、小さな肩が大きく跳ねる。泣きそうな、そして恥ずかしがっているような表情で、彼女は震えた声を出した。


「花咲先輩、なんで……っ。彼女とか、あんな嘘ついて……。バレたら、どうするんですか」

「ごめん、勝手なこと言って。付き合おう」


 紫月さんが、ぱちくりと瞬きをした。驚きや動揺のせいか声も出せないようで、ただ瞬きをして俺を見つめることしかしない。もう一度、俺ははっきりと告げる。風に当たって落ち着いたのか、今のほうが先程よりも、いくらか冷静だった。

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