第55話 二回目の彼女

「一年F組の、紫月桜子です。一年間よろしくお願いします」


 二〇一七年の四月。また放課後の図書委員会で紫月さんと出会った。


 時を巻き戻ったからと言ってどうということもなく、俺はこの日までを前回とほとんど同じように過ごした。


 突然白髪になったことは、両親にはすごく心配された。病院にも連れていかれたが、原因不明だとのことだった。姉貴と陽一にはめちゃくちゃ笑われた。生徒指導部の先生にネチネチと小言を言われてウザかった。他のやつらは始めは動揺していたけれど、普通にだんだん慣れていってくれたのだと思う。


 かつての紫月さんと変わらない、キレイな声で簡素な自己紹介を終え、彼女が静かに席へと着く。


 前回と同じ火曜日の当番のくじを引き、彼女と一緒の当番になった。ここまでは、ほとんど何も変わらない。


 問題は、これからだ。どうしたら彼女の自殺を阻止できるのか。前回のようにゆっくり軽く仲良くなるだけでは、きっと彼女の心の闇を明かしてもらえない。


 だから俺は、彼女と仲良くならなければならないと思った。



✿ ✿ ✿

 


 四月のある日の帰り道、陽一と一緒に帰っているとき。横断歩道の向こう側で、紫月さんが女子三人と一緒に歩いている光景が見えた。リボンの色からして同級生で、紫月さんはどこかおどおどした感じがありながらも、口元には軽い笑みを浮かべている。


 やっぱり、友だちいたんじゃないか。そう思って、安易にほっとした。


「なーに見てんの、ハナ」

「……別に」


 陽一から面倒くさい空気を即座に感じて、ぱっと紫月さんから目を逸らす。けれどその動きがわかりやすすぎたのか、陽一がニヤニヤとしだした。


「あー、あれ? あのなかに気になる女子いる系? 一年生に一目惚れ?」

「違うし」


 決して彼女に一目惚れはしていない。第一印象は普通だったはずだ。俺がばっさりと拒否しても、陽一のテンションは相変わらずだった。こいつのことは嫌いではないが、こういうところがウザくて嫌だ。


 信号が変わって歩きはじめても、陽一は紫月さんたちのほうを見ている。歩いているうちにだんだんと、彼女たちとの距離は近づいていった。


「あ、お前の好みっぽい子見っけた。黒髪ロングの一番ちっちゃい子でしょ」


 あのなかにいる黒髪ロングで一番小さい女の子は、言わずもがな、紫月 桜子だ。


「別に好きな子じゃないから」

「好みっぽいのは否定しないってことは、好きな人候補ってことね」

「なんでそうなる」

「ほら。あの子、友だちは別方向みたいだし。声掛けてみれば良いんじゃね?」

「やだよ。俺なんて、委員会一緒なだけだし」

「接点あるんだ。じゃ、それ言い訳に話しかけに行こ。空気の読める親友様は、気を利かせてフェードアウトしてやるからさ」


 陽一はバシンと、俺の背中を思いきり叩いた。


「痛い。うざい」

「ん、ごめん。まあとにかく、進展あったら教えてくれよ。――じゃあな!」


 自称空気の読める親友は、勝手な気遣いでさっさと隣から去っていった。まったく、自分のペースで生きている自由人だ。


 たしかにあいつの言った通り、紫月さんは友だちと別れたようで、ひとりでぽつんと立っている。彼女はなぜか突っ立ったまま、ずっとその場から動かなかった。


「……紫月、さん?」


 話しかけても良いものかと迷いながら彼女の名を呼ぶと、小さな肩がびくりと跳ねた。彼女がゆっくりとこちらを振り返る。


「あ、えっと……。図書委員の、花咲、先輩」

「うん。こんにちは、紫月さん。今から帰るとこ?」

「はい。そう、です」


 一回目の彼女も、始めはかなり素っ気なかった。ただ暗くて地味な感じで、コミュニケーションが苦手な子なのだとばかり思っていた。


 けれど今日の彼女を見ると、一回目には気づけなかった、新たな感情を読み取った。彼女の表情は、何かに怯えているようだったのだ。彼女をこのままひとりで帰らせるのは、得策ではない気がした。


「紫月さん、いま時間ある?」

「……一応」

「あそこの公園でちょっと喋らない? 暇つぶしに付き合ってよ」

「……いい、ですよ」


 彼女が怯えたような顔のまま、小さくこくりと頷く。


 あの夏の日に最後に会った彼女とは違う、嬉しさや楽しさがまったく見えない表情に、もしや今の俺は彼女に嫌われているのではないかと思った。悪い予想をしたせいで心が折れそうになるが、ならばこれから好きになってもらうまでだと自分を鼓舞する。


 紫月 桜子。彼女の明るい笑顔をもう一度見たい。いいや、一度だけじゃ全然足りない。


 何度も彼女の笑みを見て、そして九月に笑う彼女を何よりも見たい。


 九月一日を越えた未来で、君が笑う姿を見ていたい。


「じゃ、行こっか」

「はい。先輩」


 おとなしい彼女は、俺の二歩後ろあたりを歩いた。俺は彼女の表情を見たかったが、彼女は見られたくないから後ろにいるのかもしれない。そう思って、無理に見ようとはしなかった。


 駅からちょっと歩いたところに、こじんまりとした公園がある。そこのベンチに、彼女と一緒に座った。


 紫月さんが、俺と自分との間にドサリと鞄を置く。別に近くに座ったからと言って変なことをするつもりはなかったが、心の壁を立てられたようで、なんだか悲しくなった。


 彼女は口を開こうとしない。改めて思うと、こんなふうに自分で女子を引き止めたのは、彼女に対してが初めてだったかもしれなかった。


 今までは女子には好かれて当たり前だったし、自分が彼女たちに興味を持つこともなかったから、どう思われるかを心配した記憶がまったくなかった。正しく言えば、紫月さん以外の女子からの評価は、大して気にしたことがなかったのだと気づいた。


「紫月さん」

「はい、先輩」

「紫月さんは、あー……何の教科が好き?」


 口から出たのは、新学期の自己紹介カードに書かせられるような、お粗末な質問だった。彼女は一年生だから特に、こんなことは最近聞かれたばかりだったかもしれないのに。


「……国語、ですかね」


 俺のつまらない質問に、紫月さんは真面目に答えを返してくれた。とりあえず会話が成立したことにひどく安堵して、俺はさらに会話を続けようとする。


「そっか。俺は化学が好きかな。うん。……好きな食べ物ってある?」

「昔、おばあちゃんちで食べた……桜のチーズケーキが、美味しかったです」

「ああ、そうなんだ。俺はケーキだったら、チョコレートケーキが好き。えーと、部活とかは入るの?」

「部活はやらないです。これから、バイト始める予定なので」

「そっか。そうだったね――じゃなくて、そうなんだね。うん。……あははっ」


 話すことがもう思いつかなくなって、乾いた笑いをすることしかできなかった。普段はもっとうまくやれているはずなのに、どうして彼女の前ではこんなふうにコミュニケーションが下手になってしまうのだろう。


 一回目の彼女とのほうが、うまく話せていたようにも思う。

 

「……先輩は、どうして、私なんかに……話しかけて、くれるんですか?」

「え。なんか、気になったから……?」


 本当のことは、口が裂けても言えるはずがなかった。一度死んだ君を、今度は死なせたくないから、仲良くしたいんだ。なんて。


「先輩、もしかして私のこと知らないんですか?」

「一年F組、出席番号十四番、女子、紫月 桜子ちゃん。図書委員」

「そういうこと聞いてるんじゃないんですけど。……まあ、知らないなら良いです」

 

 紫月さんが、ふっとため息をついた。呆れと安心が混ざったように思える、静かな息だった。


「もしかして、俺が知らないだけで有名人だったりした?」

「いいえ。……別に。知らないなら、ずっと知らないままで良いですよ」


 俺はいったい、彼女の何を知らずにいたのだろう。一回目の時のことも含めてしばらく考えてみたが、まったく見当がつかなかった。「まあ、ずっとなんて無理でしょうけどね」と言って、彼女は自嘲的に笑う。


 その後は何も話をすることなく、ただふたりで黙っているだけの時間が続いた。あたりがだんだん暗くなってくる。


「そろそろ、帰る?」

「そう、ですね」

「暗いし、家まで送ろっか?」

「……いいえ。それは、大丈夫、です。……ひとり、で、たぶん、大丈夫」

「紫月さん?」


 彼女の『大丈夫』の言葉は、まったくそうには聞こえなかった。こちらを見た彼女が、いまにも泣きそうな顔でくしゃりと笑う。


 彼女のこんな笑みを見たのは、今日がたぶん初めてだった。見たかった笑みはこれではないのに、新たな彼女を知れて嬉しさを感じる。


「先輩。『大丈夫だよ』って、言ってくれませんか」

「……大丈夫だよ、紫月さん」

「ありがとうございます、先輩。もう、帰れます」


 心のこもっていない俺の言葉に、どれほどの価値があったのかはわからない。けれど彼女にとっては『大丈夫』と言われることに意味があったようで、彼女は鞄を肩に掛けると、さっとすばやくベンチから立った。


 もう彼女は泣きそうではなく、ただ暗くて地味で――俺がなんとなく可愛いなと思う、普通の紫月さんだった。


 ふたりで駅へと歩いて、別々のホームへとわかれていく。紫月さんの乗るほうの電車はすぐに来て、彼女をあっという間に遠くに運んでいった。


 紫月 桜子。委員会が一緒の後輩。一回目の時には、九月一日に自殺した後輩。彼女がどうして自殺したのかは、今日はまだまだわからなかった。


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