第54話 悪魔との契約
紫月さんが自殺した。遺書のひとつも残さずに、九月一日に、たったひとりで命を絶った。
なんで、と俺は意外にもショックを受けていた。ずるずると悲しみを引きずって、最近は食事もあまり美味しいと思えない。何もやる気が出ない。
委員会が一緒だった後輩。
左手首にリスカ痕があった後輩。
一週間だけ一緒に登下校した後輩。
本が好きで声がキレイな後輩。
詩の朗読の約束をした後輩。
笑うととても可愛い後輩。
最後に会った夏の日には、楽しそうに生きていた後輩。
紫月 桜子。彼女とは大した関係ではなかったはずだ。友だちでもなく恋人でもなく、ただ少し接点があるだけの後輩だった。
こんな薄っぺらい関係の人間の死は、すぐにどうでもよくなることだと思っていた。それなのに心臓をぎゅっと握られたように、彼女のことを想うと胸が痛む。
死ぬとき、痛くなかったのだろうか。どうして何も言わずに死んでしまったのか。俺は彼女の死を止めることはできなかったのか。
そんなことを考えながら、二、三週間ほど前に彼女が死んだ場所へと立つ。彼女は、学園の敷地内に併設されている付属大学の最上階から飛び降りて、即死したらしい。
直後はかなり凄惨な光景が広がっていたと聞くが、今はもう、血痕たちは綺麗さっぱり掃除されていた。
彼女がここで命の灯火を消したという過去が、まるでなかったかのように思える。
「紫月さん……なんで?」
こんなことを呟いても、意味はないとわかっていた。彼女はもうこの世にいない。
ざぁあっと風が吹いて、黒い髪が乱された。前髪が視界を悪くして、やや苛立ちながら髪を整える。
そんなとき、知らない女の笑い声が背後から聞こえた。振り返ると、やたらと露出の激しい服を着た、グラマラスな黒髪赤眼の女が立っている。
ここが学校の敷地内であることを考えると、この女は不審者だと言って差し支えなかった。真っ赤な口紅を塗りたくった唇をにぃっと持ち上げ、女は歌うように言葉を吐く。
「花咲薫、十七歳。転生できる回数はあと四回。貴方の来世、彼女に捧げてみませんか?」
「……は?」
本当に頭おかしいやつかと思った。まじで。
――女は、一言で言えば、紫月さんの魂を狩る契約をしていた悪魔だった。悪魔たちは人間界で、
悪魔は良い魂を見つけると、同業者に取られる前に契約をする。死後に魂を狩り取る契約で、器にすぎない人間には基本的に知られていないことだ。この契約は、一度結ぶと破棄できない。
より良い質の魂を狩るほど、仕事の評価が高くなって昇進できる。冥界はどうやら実力主義だったらしい。彼らの目指すことと言えば、自分が良い魂と契約することと、他のやつが契約した魂を穢して昇進を邪魔することだった。
この女悪魔――「K」と呼べと言ってきた――は、類稀なる美しさと清らかさを持った、紫月さんの魂と契約した。そしてKの昇進を妨害するために、他の悪魔たちは紫月さんの魂を穢そうとした。
幼い頃からたびたび呪われていた彼女は、十五歳の誕生日におぞましい呪いをかけられたらしい。
Kの同期がかけた呪いは、〝絶望の葬送曲〟。それは十三ヶ月の間、常に死の影がまとわりついて、普段より死にやすくなるという呪いだった。
そして、その呪いをかけられてから半年後の九月一日に、紫月さんは自ら命を絶ったのだとか。
突飛な話をなかなか消化できずに俺が黙っていると、Kがまた口を開く。
「この呪いは解けないから、どうにか頑張って生き延びるしか道はないの。だからカオルくん、力を貸してくれない?」
「紫月さんはもういないのに、いまさら何をするんですか?」
「ワタシがアナタに呪いをかけるの。カオルくんの来世の命を、もう来世がないサクラコちゃんの命に変えるのよ。それと同時に、この世界は十三ヶ月前に巻き戻る。これがワタシに使える、〝愛憎のよみがえり〟の呪い。ちなみに巻き戻っても、〝絶望の葬送曲〟の呪いがかかる未来は不可避だから」
「その呪いを使えば、また紫月さんに会えますか?」
「うん、会えるよ。しかも、もしかしたらサクラコちゃんを助けられるかもしれない!」
こんなファンタジーな話、とてもじゃないが信じられない。けれど、もしも彼女とまた会える可能性があるのなら、賭けてみても良いのではないかとも思えた。どうせ何もしなければ、彼女と会うことはできないままなのだ。
なぜ自殺したのかを知りたい。
また彼女の声を聞きたい。
また彼女の笑顔を見たい。
「じゃあ、乗りますよ。来世を捧げるので、彼女にまた会わせてください」
ほとんどその場の勢いで、俺はあっさりと来世を捨てた。悪魔は満足げに笑う。
「ええ。会わせてあげる――……」
その言葉のあと、特になにか前触れがあるわけでもなく、スッと意識が遠のいた。
瞼の裏に、あの日笑っていた彼女が見える。
「終わったわよ、カオルくん」
「けっこう早いっすね。あ、俺の部屋だ」
気がつくと、住み慣れた自分の部屋にいた。ミンミンと蝉が鳴いている。服は気づかぬうちに、制服から部屋着になっていた。
「そう、その日の自分のいた場所に移動するのよ。記憶とかは引き継がれるけど、体は十三ヶ月前のものだし。――今日は、二〇一六年の八月十八日の木曜日。まだ夏休みね。あ、そうそう。これ持ってて」
「……何ですか、これ」
Kが渡してきたのは、桜の花を模した小さなヘアピンだった。彼女は薄っぺらいピンク色のプラスチックを指先でつまむと、一枚をパキリと折って粉々に潰す。
小さなものとは言え、こんなふうに木っ端微塵にするには、かなりの力が必要だろう。怪力なようなので、怒らせないほうが良さそうだ。
「これはサクラコちゃんの宝物。と同時に、アナタとワタシの契約の証。この花びらの折れた枚数が、アナタが彼女を救えなかった回数ね。最後の一枚になったら、そのときがラストチャンスだから。ま、とりあえず頑張ってみてちょうだい」
「はい、わかりました」
「それじゃあね……っと。あ、あともうひとつ。ワタシがカオルくんに声を掛けたのがなんでかって、知りたかったりする?」
「教えてくれるなら、聞きますけど」
「それはね、サクラコちゃんのことを一番愛してたのがアナタだったからだよ」
「……何、言ってるんですか」
その言葉を聞いて、思わず乾いた苦笑が漏れた。
俺には、彼女を愛していた覚えなどまったくない。ただの後輩としか思っていなかった俺よりも、もっと彼女を愛していた人はいただろう。
例えばクラスの友だちとか、バイト仲間とか、家族とか――と考えたところで、彼女の交友関係について、まったく知らなかったことに気づく。
悪魔は愉快そうに笑った。
「嘘じゃないんだけどねー。ま、バイバイ!」
窓も開いていないのに室内に強い風が吹いて、Kがどこかへと消え去る。白い前髪が風に揺れ、視界を遮った。
「……さようなら」
誰もいない虚空にそう呟いて、花びらが四枚になった桜のヘアピンをポケットのなかに入れると、乱れた前髪を撫でつける。そこで、何かがおかしいことに気づいた。
髪が、白い。
「……は?」
前髪を目元まで引っ張って、近くで髪の色を見る。やはり真っ白だ。恐る恐るスマホのインカメラ――スマホの日付も写真のフォルダも、二〇一六年八月十八日の状態に戻っていた――で自分の顔を見てみると、髪全体が白髪になっていた。
「うっそだろ、おい……」
何度見ても白髪。一本二本と抜いてみても白髪。頭のなかに、浦島太郎の玉手箱のくだりがふとよぎる。
「事前に言ってくれよ、あの悪魔め……!」
ほぼほぼ確実に、〝愛憎のよみがえり〟の呪いで時を巻き戻ったせいだろう。
別に白髪になってしまうことは、彼女とまた会えるならどうってことない。事前に知っていても、きっと俺の選択は変わらなかっただろう。
だが、声を大にして言いたい。心の準備をする時間が欲しかった、と。
――俺の二回目の日々は、こうして二〇一六年の八月十八日に始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます