第52話 どこにでもいる女子高生 −後−
紫月さんと俺は、使う駅は一緒で、乗る電車は反対方向だったようだ。いつも使うのとは反対の電車に彼女とともに乗って、隣り合って座り、しばしガタゴトと揺られる。
電車で誰かの隣に座るなんてよくあることで、普段は隣の人のことなんて気になりもしない。けれど彼女が隣にいると、実はかなり密着しているのだな、と気づいた。
スカートとズボンの布の隔たりはあるとは言え、ぴったりと互いの太腿がくっついている。彼女のシャンプーの爽やかな香りがして、自分の今の体臭はどうなのだろうと心配になった。おまけにうとうとしはじめた紫月さんがこちらにもたれてくると、もう心臓がうるさくてたまらない。
女子からモテることにはモテるが、所詮は誰かと恋人になったことはない童貞だ。小さい頃は姉貴がベタベタに可愛がってくれていたはずだが、思春期になってからはほどほどに距離を置いている。つまり俺は、女の子の体の感触になんて、そんなに慣れていない。
肩に触れる柔らかさを感じながら、スマホゲームに励むことでどうにか気を紛らわそうとした。が、いつもより全然うまくできなかった。ゲームをするのはやめにして、窓から景色を眺めていく。特に面白くもない風景を、目的の駅に着くまでずっと見続けた。
「紫月さん、次の駅で降りるよ」
そう声を掛けて、彼女の左腕を軽く叩く。触れてしまってから、彼女の左手首には傷があったことを思い出した。痛くさせてしまったかもしれないと心配していると、彼女が小さく身じろぎする。
「ん……んっ? あれ? 私……あっ、すみません、先輩。寄りかかっちゃった」
目元をこする紫月さんの声は、今まで聞いたことのあった声より幼く、どこか甘えるような響きがあった。なんだか猫みたいで可愛い。
「うん、大丈夫。疲れてたんだね」
「……本当、重ね重ねすみません」
「全然気にしないで。大丈夫? 立てる?」
「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます、先輩」
彼女の手を取り席を立ち、ふたりぶんの荷物を抱えて改札を出る。普段は降りない寂れた駅から、彼女の家へと歩いていった。
「ここ……が、私の家です。わざわざありがとうございました。先輩」
「ん、玄関まで運ぶよ?」
「いえ。ここまでで平気ですから。本当、ありがとうございました」
薄汚れたアパートの前で、彼女が深々と頭を下げる。きっと、委員会が一緒なこと以外に接点のない俺のことは、玄関先まで上げたいとは思っていないのだろう。そう考えたから、俺はその場で彼女に鞄を返した。
「うん。どういたしまして。はい、鞄」
「はい。ありがとうございました。確かに受け取りました」
「じゃあ、また明日ね」
「はい、花咲先輩。また明日」
彼女が軽く口角を上げて、小さく手を振る。今日は彼女のことを、可愛いと思ってばかりだなと思った。俺の口角も、勝手に上がっていた。
あまり笑わないけれど、ときどき見せる笑みがとても可愛い、おとなしくて儚い雰囲気の後輩。それが一回目の彼女に抱いた印象だった。
なにか問題を抱えていることは察しても、深く踏み込むことはできなかった。委員会が一緒というだけの後輩を心配するよりも、仲の良い友だちと遊んだり、自分のことを考える時間のほうが多かった。
一年F組の紫月 桜子。彼女が誰にもなんにも言わずに命を絶ってしまうくらい追い詰められていたことを、一回目の俺はまったく知らずにいた。
✿ ✿ ✿
「1Fの紫月はやめといたほうがいいぜ、ハナ」
「はぁ?」
彼女が足を痛めた日から四日後の朝の
「放課後デートしてんだろ? 俺のこと差し置いて。あいつはやめとけ」
「デートじゃねぇし。なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだよ」
「え。俺が薫たんの大親友だから?」
そう言って陽一は、俺の腕にべたべたと絡みついてくる。「薫たん」と何回も呼びながら、めちゃくちゃ体を触ってきた。気色悪い。
「うわ、キモい。もう友だちやめるわ。離せ」
「ごめんって。仲直りしよう? な? 薫たん――っておふざけはこのへんにしておいて。親友として警告。あの女は良くない」
「なんで」
陽一はようやくうざ絡みをやめると、スマホをいじりながら喋りはじめた。
「ハナはほら、清純派な女子が好きなんだろ。紫月って見た目はそんな感じだけど、実際はメンヘラビッチの非処女だぜ」
「あ?」
「んな怖い顔すんなって、特進一の美男子が。あいつは見た目だけ。騙されるな。お前、顔は良すぎるんだから気をつけないと。誘われたら断れよ?」
「お前は何ポジションから俺にそんなこと言ってんだよ。俺は紫月さんとそういうことする気はないし、わざわざ紫月さんの悪口聞く趣味もない。てか、紫月さんが怪我したから登下校一緒にしてるだけなのに、話飛躍しすぎだろ」
「俺が言いたいのは悪口じゃねぇって。まあ聞けよ」
俺は、実はこのとき嫌だったのかもしれない。彼女が他の男と付き合ったり、性行為をしたりしているという話を、聞いてしまうことが。居ても立っても居られずに、さっと席から立ち上がる。
「俺、トイレ行ってくる。紫月さんの話ならもう聞かないからな」
「じゃあ、あいつがビッチだって証拠もいらないんだ?」
「ああ。何も見ないし何も聞かない」
「あっそ。あとで痛い目見ても知んねーぞ」
このときこいつの話をちゃんと聞いていたら、彼女の苦しみに気づくことができたのだろうか。そんな後悔を、幾度となく繰り返している。
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