第43話 十二月二十四日 「ずっと一緒に」

「……桜子ちゃん。……明日、事情聴取だって」

「……」


 静かな声にこくりと頷くと同時に、ぽろりと涙が落ちてきた。悲しいなんて思わないはずなのに、涙がぽろぽろと溢れて止まらない。


「早くお家帰って、お風呂入って、あったかくして寝ようね。……俺が、そばにいるから」


 先輩の腕に抱きついて、彼に体重を預けるようにして家へと帰る。警察からの電話で告げられたことが、まだ全然信じられなかった。


 ――実家のアパートで、母と父が死んでいたらしい。まだはっきりとはわからないが、喧嘩のすえにお互いを殺してしまったようだとか。


 母のことも、父のことも大嫌いだった。


 殴られて痛かった。蹴られて痛かった。「お前なんか生まなきゃ良かった」といわれて、かなしかった。いやなことが、いっぱいあった。


 死ねばいいのにと、思ったことまであったはずだ。それなのに、いざ死んだと聞かされると、体から、ふっと熱が消えて、どうにも動けなくなってしまった。


 どうやって家に帰ったのか、あまり覚えていない。玄関に入っても、桜子はうまく手を動かすことができなくて、コートのボタンも外せなかった。


 遠慮がちに聞いてきた先輩に頷いて、服を脱がして、お風呂も一緒に入れてもらった。なんにも自分でできなくて、お風呂に入る短い時間でさえも、ひとりになりたくなかった。


 裸を見るのも見られるのも気にならずに、湯船のなかで彼にしがみついて、子どもみたいに泣きじゃくる。言葉にならない言葉ばかり吐く桜子に、彼はうんうんと頷いてくれた。子どもの世話をするように髪と体を洗ってくれる先輩は、どこまでも優しかった。


 ドライヤーが持てなくて、彼の髪を乾かせない。ぐすぐすと泣いていると、先輩は「今日は大丈夫だよ」と言って、桜子の髪を乾かして歯磨きをさせて、すぐにベッドに連れて行ってくれた。


 桜子は、ぎゅっと先輩に抱きついた。体にある力の全部を、彼を抱きしめるためだけに使っていると思えるくらいに、強く。


「先輩」

「うん」

「先輩。先輩は、ずっと、一緒にいてね」

「うん。ずっと一緒にいるから。一緒にいられるように、頑張るから。……だから大丈夫だよ、桜子ちゃん」


 先輩が、ちゅっ、と桜子にキスをした。白雪姫が王子様のキスで目覚めるのと、ちょうど真逆のように、桜子は、彼からのキスのあとに眠りについた。



❀ ❀ ❀



 クリスマスに、朝から先輩と警察署へと行く。いろいろ事情聴取をされたけれど、覚えていられるほどの印象的なことは何もなかったのだと思う。桜子はクリスマスイブ以外には父母の死のことでまったく泣くことはせず、ただ黙々とやるべきことを進めていった。


 大して関わった記憶もない、田舎いなかに住んでいる祖父母に連絡を取って、父母の葬儀の準備や、親権などのあれやこれやの手続きを進めた。大変だったけれど、先輩が手伝ってくれたおかげで、どうにかこうにか形になった。


 父母の遺体を見たときも、葬儀をしたときも、あまり心は動かなかった。本当に死んでしまったのだなと自覚して、虚しいなと思っただけだ。


 大晦日おおみそかも元旦も残りの冬休みも、バタバタと慌ただしく過ごすことになって、先輩にはとても申し訳なく思う。先輩はいつでも優しくて、彼がいればどんなつらいことも乗り越えられるような気がした。


 ただ気がかりだったのは、先輩が観覧車で言っていた言葉。花泥棒先輩は、殺したい人がいて、その人を死ぬように促したら、それは人殺しかと聞いてきた。


 父と母は、どうやら酔った勢いで口論になり、互いに暴力を振るいあった結果、どちらも死んでしまったらしい。


 家のテーブルには、果物の盛り合わせのそばにナイフが、そしてクリスマスのディナーらしいテイクアウトの料理とともに、度数の高いお酒が置いてあったと言う。


 花泥棒先輩は、冬休みに入ってすぐ、桜子の実家に一度行っていた。前に行ったときに忘れ物をしたから、それを取ってくるついでにちょっと掃除もしてくるから、と言って。


 これは考えすぎなのかもしれない。ふたりで暮らしているほうの家に、ナイフのパッケージのゴミだけが捨ててあったことなんて、ただの偶然なのかもしれない。


 母のトークアプリのプロフィール画像が、文化祭の日の朝に電話をかけてきた「すみれさん」と同じだったことについても、いまさら考える必要なんてないだろう。母亡き今、先輩が母とどんな関係であったとしても、もうどうでもいい。


 もうどうだっていいんだ。終わったことなんだ。花泥棒先輩が、父と母の死に関わっているかもしれない、なんて。とんだ馬鹿げた想像だ。彼が警察に捕まっていないから、それがすべてだ。彼はなんにも関係ない。父と母は、勝手に死んだだけなのだ。


「桜子ちゃん、大好き。桜子ちゃんは、死なないでね。ずっと一緒にいようね」

「……はい、先輩」


『桜子ちゃんは』という言葉に引っかかってしまうのは、今は〝死〟というものに敏感になっているからというだけだろう。


 恋人となった先輩に抱きしめられて、肌は未だ重ねることなく眠りにつく。桜子は本当に、先輩がいなければ生きていけなくなってしまったような気がした。


 彼に毎日「死なないで」と言われる。「大好き」と言われる。それに加えて、毎日〝おやすみなさいのキス〟をされることも日課になった。


 本当に、花泥棒先輩は、私の恋人になったんだ。また、恋人に戻ったんだ。結局忙しかったからか、桜子の記憶の話はできていないままだった。


 中学三年生のときに彼に出会って、メッセージのやりとりをするようになって、受験の相談なんかもするようになった。高校に合格したあと、恋人になった。十五歳の誕生日に、彼とはじめてのキスをした。そして桜子は、なぜか彼を忘れて、高校の入学式の日に彼と出会った。彼と一年契約を結んで、一緒に暮らしはじめた。


 ――それが、今の桜子にある記憶だ。忘れてしまった理由や、彼が覚えていたくせに知らんぷりした理由は気になるけれど、それらが解決しなくても、生きるのになにか困るわけではない。だから桜子は、知らないふりをした。彼の良い面だけを見る努力をした。


 彼のパソコンに、なぜか桜子の実家の様子を盗撮したような動画があったことも。ふたりで暮らす家のお風呂に、なぜか監視カメラを仕掛けているようだということも。全部ぜんぶに、知らないふりをする。


 花泥棒先輩と、幸せに暮らせればそれでいい。都合の良い面だけを見ることで成り立つ幸せでもいい。桜子には花泥棒先輩しかいないから、彼に頼るしかないのだ。彼が人殺しでも、彼がなにかを企んでいても――桜子には、彼しかいない。

 

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