第42話 十二月二十四日 「また付き合おっか」

 遊園地を出て、先輩の隣で電車に揺られる。彼と手を繋いで、彼の肩に寄りかかる。疲れたせいか、眠ってしまいそうになった。


「桜子ちゃん」

「うん……?」


 小さな声で話しかけてきた花泥棒先輩に、曖昧な返事をする。先輩は、ものすごく軽い調子で言い放った。


「俺たち、また付き合おっか」

「うん……ん? 先輩、いま何て?」

「俺の恋人になってよ。もし、桜子ちゃんが望むなら……一年契約が終わっても、そばにいてあげるからさ」

「……私、夢見てるのかな。先輩が、すっごい嬉しいこと言ってくれてる」

「夢じゃないよ。桜子ちゃん、付き合おう。でも一応、契約は一年ってことになってるから……三月の三十一日に、また答えを聞かせて。ずっと一緒にいるのか、契約が終わればお別れにするのか」

「うん……。私は、先輩と結婚、したいな……」


 情けなくも眠気には抗えずに、桜子はむにゃむにゃと寝言のような返事をしただけだった。結局、電車のなかで眠ってしまった。


 先輩にこうして寄りかかっていると、いい夢を見れる気がする。薫先輩が一緒に帰ってくれた日も、彼の隣でいい夢が見れたんだ。あの日のままでいたかった。綺麗なままの私で、彼に触れていたかった。



❀ ❀ ❀



 見慣れた町並みのはずだけれども、夜に歩くと雰囲気が違う。桜子は手を繋いで、花泥棒先輩と一緒に夜のなかを歩いていた。


「ねえ、先輩?」

「うん? なに、桜子ちゃん」

「さっき、付き合おうって言いました?」

「うん。言ったよ」

「本気?」

「うん。本気」

「私が先輩の彼女で、先輩は私の彼氏――で、いいってこと?」

「うん。そうなるね」


 桜子は、「そっかぁ」と返事をした。「ずっと一緒にいたいって言ったら、いてくれるんですか?」と聞いたら、「うん。本気でそう思ったら、いてあげるよ」と言われた。


 突然オッケーされてしまってびっくりだが、彼の恋人になれるなら、願ってもないことだ。蘇った記憶と、彼との新しい関係性。それらをなかなか心から受け入れることができないまま、桜子は彼の隣を歩く。

 今までの一年契約の同居人と、何が変わったのかと問われても、正直よくわからない。けれどたしかに、ふたりの関係は変わったようだ。


「コンビニ寄っていい?」

「はい、良いですよー」


 桜子は、花泥棒先輩の言葉に頷く。通学時にもよく使うコンビニにふたりで入って、桜子は彼の持つ買い物かごに勝手にお菓子を入れていく。これもいつもよくやっていることだったが、今日はお菓子以外にも気になるものを発見した。


「ね、先輩。これ買ってくれませんか?」

「ん? ああ、結婚情報誌だね」

「そう、あのピンクの婚姻届がついてるやつですよ! しかも特大号。ね、先輩。付き合った記念に、これ買ってほしいです!」

「結婚を前提としたお付き合いってこと?」

「はい、私はそのつもりです!」


 なかなか重めの結婚情報誌を両手で持って腕をいっぱいに伸ばして、桜子は彼にそれを見せつけた。じーっと彼を見つめて、全力の買ってくれアピールをする。先輩は、しばらく黙って熟考しているようだった。


「んー、まあ、いいよ。買ったげるね」

「……っ、ありがと! 先輩。大好き!」

「うん、俺も好きだよ」


 桜子は、満面の笑みで先輩にお礼を言った。今日付き合ったばかりではあるけれど、もしかしたら、将来先輩が桜子と結婚してくれるかもしれない。そう考えただけで嬉しくなれる。


 無事に結婚情報誌とお菓子を買ってもらって、桜子はにこにこ笑顔でコンビニを出る。先輩と手を繋いだとき、ふと、そういえば紗衣ちゃんたちに告白の結果を報告していなかったなと思い出した。あまりにも長く待たせたら、ふたりが心配するかもしれない。


「ねえ、先輩。友だちにメッセ送りたいんで、ちょっと待ってもらってもいいですか?」

「うん。いいよ」


 観覧車に乗るときから切りっぱなしだったスマホの電源を入れて、パスコードを入力してロックを解除する。


 ぱっと明るくなった画面を見ると、通知欄に、何件かの不在着信が入っていた。桜子は首を傾げる。


「あれ? お母さん……と、誰だろ」

「どしたの?」

「なんか、トークアプリの電話機能のほうで、母から不在着信があって……でも他にも、知らない番号もあるんです。なんなんでしょう?」

「ちょっと見せてもらってもいい?」

「はい、これです」

「うん、ありがと。――知らない番号メモったから、俺、ちょっとネットで調べてみるね」

「はい、ありがとうございます。お願いします。私は母のほう確認しておきます」

 

 先輩のスマホで見知らぬ電話番号について調べてもらっている間に、桜子は母に、何用か問うメッセージを送った。トーク履歴を見てみると、何ヶ月も母と連絡を取っていなかったのだな、ということに気づく。


 なかなか既読つかないな、と思いながら「お母さん」という名前で登録してあるそのアカウントのプロフィール画像を眺めていると、だんだん既視感を覚えはじめた。前にどこかでこの画像を見た気がする。


「桜子ちゃん。その番号、近所の警察と病院のみたい」

「警察ですか? え、もしかして私……捕まっちゃったりします?」

「どうだろうね? 俺の知らない間にどっかで犯罪でもしてたの? 桜子ちゃんがグレちゃってたなんて、お兄ちゃん悲しい……」


 眉を下げて悲しそうな顔をする先輩を、桜子は軽くはたいた。警察と病院だなんて、なんとなく不穏な感じがするものだというのに、彼がこんなふうにふざけているのは気に食わない。


「もう、ふざけないでくださいって。本当に――あ、またかかってきました」


 これがどちらの番号なのか桜子はわからないが、スマホが震えてまた電話がかかってきたようだ。何の用か、間違い電話だったらいいのにな――と思いながら画面の上をスライドして、桜子は電話に出る。変な手汗を掻いていて、鼓動はやや早かった。


「はい、もしもし紫月です」


 聞こえてきたのは、あまり感情がなさそうな、男の人の低い声。男の人は、警察だと名乗った。父と母の名を出されたあとに、その娘かと聞かれて、桜子は「はい、そうです」と答える。


 次いで電話の向こうから聞こえてきた言葉に、桜子は己の耳を疑った。一瞬、息の仕方がわからなくなった。震える声で聞き返せば、到底受け入れられない現実を、再び伝えられる。


 手に力が入らなくなって、すっとスマホが地面に落ちそうになった。先輩がすんでのところで拾い、液晶画面バキバキの悲劇は免れる。


 桜子は固まってしまって、スマホを落としたときと同じ手の形をしたまま、まったく動けなかった。先輩が、桜子の目の前でひらひらと手を振る。ゆっくりと彼を見上げ、電話で言われた内容を彼に伝えようとしたが、唇がパクパクと動くだけで、声はまともに出てこなかった。


「桜子ちゃん、どうしたの?」

「…………」

「桜子ちゃん? とりあえず、俺が代わりに出ても良い?」


 心配そうな先輩の言葉に、無言で頷くことしかできない。全身がカタカタと震えて、頭が真っ白になっている。先輩がなにかを警察と話しているのは聞こえたが、なにを言っているのかはまったくわからなかった。


 なぜ。まさか。ほんとうに?


 自分でもどうしてこんなにショックを受けているのかわからないくらい、桜子はものすごいショックを受けていた。寒くて、寂しくて、先輩にあたためてほしい。あたためてもらえないなら、桜子も死んでしまいそうだと思った。震える指先で、どうにか先輩の袖口を掴む。


 先輩が、桜子の手を包んでくれた。どうやら電話は終わったらしい。

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