第44話 彼を好きになれて、良かった。

 バタバタと忙しかった冬休みが明けて学校が始まって、特になんの変哲もない日々を過ごした。彩奈ちゃんと紗衣ちゃんは、桜子が先輩の恋人になれたことを遅ればせながらこっそり伝えたら喜んでくれて、変わらず仲良しでいてくれた。勉強や授業のほうもさほど変わらず、数学はちんぷんかんぷんのままだった。ここ数年はほとんど会うことのなかった父と母が死んだって、日常はやはり変わらなかった。



 一月十六日、火曜日。

「寒いねー」「寒いですねー」と話していたら、先輩がコンビニで肉まんを買ってくれた。熱い肉まんをハフハフと食べてから、家へと帰る。


 洗面台で手洗いうがいを済ませると、すぐさまリビングに行って、こたつの電源を入れて暖房もつけた。早く部屋が温まってくれないと、活動的に生きることができない。冬は怠惰になりやすい季節なのだ。熊みたいに冬眠したいと思うことまである。


「先輩。テレビつけていいですか?」

「うん、いいよー」

「ありがとうございますー」


 リモコンの電源ボタンを押して、パッと明るくなった画面には、物騒な文字が踊っていた。『行方不明女子大生 遺体で発見 連続バラバラ殺人か』


 こたつの上に置いてある蜜柑みかんをむいて、甘酸っぱい果実を口のなかに放り込む。テレビのなかには、立ち入り禁止のテープやブルーシートがあるところで、警察がなにかしている映像が流されていた。


「物騒な世の中ですね、先輩。隣の県ですって。…………先輩?」


 なかなか反応がないのをいぶかしんで、先輩を見た桜子は息を呑んだ。先輩の表情が、あまりにも真剣で、深刻そうだったのだ。


「先輩? どうした、の?」

「桜子ちゃんも、気をつけないとね。……俺、桜子ちゃんがバラバラになったらショックで死んじゃうよ」

「私も先輩がバラバラになったらショックで死んじゃうと思うので、先輩も気をつけてくださいね?」

「うん。わかった」


 隣にやってきた先輩に、桜子は蜜柑を食べさせてあげた。食べ終わったら、こたつ布団のなかで彼と手を繋ぐ。彼の手を自分の太腿を触るように促して、いちゃいちゃもした。冬は寒いから、触れあってあたたまるのに適した季節だ。


「先輩、大好きです」

「俺も好きだよ、桜子ちゃん」

 

 先輩が、桜子の唇にキスをする。クリスマスイブに桜子がキスと告白をして恋人になってから、彼はたくさんキスしてくれるようになった。今まで頑なに唇にはしてくれなかったのが、まるで嘘だったかのようだ。けれど彼の手は太腿より先へ触れてくれることはなく、肌を重ねたことはなかった。


 先輩のことが、桜子はよくわからない。恋人にしてくれたくせに抱いてくれない、彼のことがわからない。


 桜子と先輩は、お風呂まで一緒に入るようになっていた。先輩が『これからお風呂も一緒にする?』と言ったのを、冗談だと思った桜子が、『いいですよー』と軽く言った結果、そのような流れになった。


 初めてまともに彼の裸体を見たときはたいそう心乱されたし、自分のことを見られるのも恥ずかしくてたまらなかったけれど、あっけらかんとした彼と一緒にいたら、桜子も意外に慣れてしまった。お互いの体や髪を洗いっこして、毎日ラブラブいちゃいちゃしている。


 桜子は先輩の恋人である。それにもかかわらず、先輩が桜子の裸を見ても、ちっともドキドキしてなさそうなのが、桜子は心配だった。

 花泥棒先輩は、女の裸なんて見慣れているということなのかもしれない。けれど彼が裸を見た他の女は、彼に抱かれたときに見られたはずだ。


 つまり、おそらくなぜか桜子だけが、一糸まとわぬ姿を彼の目の前に晒しても、彼に食指を動かされていない。彼は桜子とお風呂に入っても、同じベッドに入っても、まったくそういう気にならないらしい。

 桜子はそれが嫌だった。やっぱり彼に女としては見られていないのではないかと思うと、不安になった。桜子は、彼とそういう関係にもなりたいと思っている。怖いと思うところもあるけれど、してみたいと思っているのだ。


 もしかしたら、本当に桜子を相手にはできないくらい、桜子には魅力がないのかもしれない。もちろん、セックスするだけが恋人だとは思っていない。けれど、恋人なのに抱かれないとなると、彼の隣にいることを許されるだけの価値が自分にはあるのかというのも不安になってきた。彼と恋人になるのは、何ヶ月も前から願っていたこと。それが叶ったのに、心配の種はほとんど変化していなかった。今も桜子ばかりが彼を求めて、彼に恋い焦がれている気がする。


 もしかしたら――もしかしたら、桜子が年下だからかもしれない。まだ十五歳だから、子ども扱いして、してくれないのかもしれない。先輩が女を抱きはじめたのは、先輩が高一のときの冬のことだ。そのとき彼は十六歳だったから、桜子が十六歳になったら、先輩も桜子と重なることを許してくれるかもしれない。そうやってポジティブに考えて、桜子は気を紛らした。


 あと二ヶ月。そうしたら桜子も十六歳になる。法律的にも結婚ができる年齢になる。蘇った記憶のなかにあった十五歳の誕生日のときには、桜子がお願いしたら、彼はキスをしてくれたのだ。だから誕生日に聞いてみよう。また誕生日にお願いをしてみよう。桜子は、彼にはっきりと聞くことを決意した。決行は次の誕生日、三月の一日だ。


 先輩の腰に腕を回して、深めのキスをする。大丈夫、愛されてはいる。キスしてもらえるくらいの想いはある。彼からの愛を探して、どうにか安心しようとしている自分に気づいた。


 先輩に恋をして、ひとを愛するって簡単じゃないんだな、と思った。恋人になればハッピーエンド、なんかではない。恋人になっても悩みはある。恋人になっても、切ない想いや苦い想いをする。


 それでも、この恋をできて良かったと思う。恋をしたのが、彼で良かった。彼を好きになれて、良かった。

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