第41話 十二月二十四日 「堕ちるときには一緒に堕ちて」

「先輩の好きな人は、自殺した人だけじゃなかったんですか? ……他に、殺された人もいたの? 好きになった人が、みんな死んじゃったから……私が死ぬことを、毎日心配するの?」


 彼の前の彼女さんへの想いを、今日はほとほと知らされる。桜子の死を心配するのも、前の彼女さんへの想いの裏返し。前の彼女さんは、先輩がこんなにも自分を追い詰めるほどに、彼に強く想われている。


 桜子のせいで追い詰められる彼を見たいわけではないけれど、羨ましくてたまらなかった。桜子も、もっと彼に愛されたかった。彼の本当の一番になりたかった。


「桜子ちゃん。俺は、桜子ちゃんには幸せになってほしいんだよ。俺なんかじゃなくて、ちゃんとした人と、幸せになってよ。俺は、桜子ちゃんを幸せにできるような人間じゃない」


 桜子は花泥棒先輩と一緒に幸せになりたいのに、先輩は桜子が他の人と一緒に幸せになることを望んでいる。やっぱり彼の恋人になんて、なれないのかもしれない。彼のそばに居続けることは、できないのかもしれない。一年契約が終わったら、あっさりと、さようならを言われてしまうのかもしれない。


 まるで何事もなかったかのように、彼は桜子と別れるのだろう。桜子が彼を愛していたことなど、ただのまやかしだったとするのだろう。そして思い出のなかの彼女さんを、いつまでも想い続けるんだ。


 彼に想いは届かない。彼の恋人にはなれない。でも、こうして観覧車という密室空間で、ふたりきりになっているのだから。毎日ひとつのベッドで一緒に眠っているのだから。


 ――このくらいのことは、しても許してくれますよね。花泥棒先輩。


「…………先輩」


 どうしてか「薫くん」と呼びたくなったのをぐっと堪らえて、ただいつも通りに「先輩」と呼んだ。声は震えて、泣きそうだったけれども。

「なぁに」という彼の声のあとに座席から立ち上がると、軽くぐらりとゴンドラが揺れる。


 もうすぐ、このゴンドラはてっぺんを通るはずだ。叶わなくても、ただの押し付けになってしまっても、この想いを知ってほしい。


「これが、私の答えです」


 先輩の座席の上に膝をついて、彼の上にまたがるように覆い被さる。そして彼の唇に、はじめてのキスをした。


 柔らかくて、心臓が痛いくらいにドキドキとして、切なくて嬉しい。今まで決してしてくれなかった唇へのキスを、無理やりにしてやった。彼の唇を奪ってやった。

 どうかこのまま、桜子を忘れないでいてくれれば良い。節操のない女だと記憶されても良いから、今日のことを覚えていてほしい。桜子は酸素を吸うために、一瞬だけ唇と唇の間に隙間を作る。


「桜子ちゃ――」

「まだ、離しませんから」


 再びちゅっと軽く触れたあと、曖昧にしか知らない、おとなのキスをしようとした。吐息が漏れて、水音がする。結局自分ではあまりうまくいかずに先輩にリードされていたような気がするけれど、唇を離したときには、体が喜びで震えるほどに満足していた。


 けれど喜びだけでなく、心には大きな混乱もあった。嬉しいはずなのに、笑うことができない。いつもと同じように、彼を呼ぶ。


「……薫、くん?」

「桜子ちゃん?」

「薫くん。なんで、私。私……なんで、忘れてた、の?」


 彼とはじめてのキスをしたと、思っていた。けれど熱く唇を重ねているうちに、以前彼とキスしたことを思い出した。十五歳の誕生日にキスしてくれた彼のことを、思い出した。


 この記憶は、いったい何だろう。花泥棒先輩とは、入学式の日に出会ったはずなのに。なぜ記憶のなかの桜子は、彼を「薫くん」と呼んでいるのだろう。記憶が帰ってくるのと一緒に、涙がとめどなく流れていく。


「桜子ちゃん。もしかして、思い出しちゃった?」

「薫くんは、私のこと、好きって言ったのに。なんで……先輩は。薫くん、は、私の恋人なのに。わかんない。花泥棒、先輩」


 頭のなかがぐちゃぐちゃになって、何が何だかわからなかった。たくさんの記憶が帰ってきて、けれどそれを簡単には受け入れられずにいて、頭がおかしくなりそうだ。先輩が桜子を抱きしめて、頭を撫でてくれる。


 桜子は、前に花泥棒先輩とキスしたことがあった。中学三年生のときに彼と過ごした日々を、思い出した。けれどその記憶のなかでは、「花泥棒先輩」は「薫くん」だった。そして、記憶のなかでは――桜子と薫くんは、恋人だった。


「大丈夫だよ、桜子ちゃん。俺は、花泥棒。ね、俺のことは、花泥棒先輩って呼ぶことになってるでしょ?」

「……花泥棒、先輩」

「うん。それでいいの。桜子ちゃん。……俺らが初めて会ったのは、いつのことだった?」

「入学式の日に会ったと思ってたけど、本当は、私が中三のときの……八月? でも、なんで私……今まで、忘れてたんだろう?」

「つらいことも、なんか思い出した?」

「つらいことは、何も。……一緒に過ごした、楽しい思い出だけ。薫くんと過ごしたのは、楽しいのしかなかったよ。でも、なんで……なんで、こんな……」

「桜子ちゃん。落ち着いて。ちょっと深呼吸しよっか。それで、さっきの……『私の答え』を、言葉で聞かせてほしい。記憶のことは、あとで話そう」

「……はい」

 

 いま考えていても、きっと頭が痛くなってしまうだけだろう。桜子は先輩に言われた通りに、深呼吸をして落ち着きを取り戻そうとした。ぐだぐだで、全然予定通りの告白にならなかったな、と思った。キスしたときにはてっぺんにいたゴンドラは、ゆっくりと下へ下へとおりていく。


「……あのね、先輩。観覧車のてっぺんで、キスしたカップルは――永遠に一緒にいられるんです。馬鹿な話って思うかもですけど、そういうジンクスを私は信じてます」

「うん。俺も、そういうのは信じてみたいかな」

「私の答えは……先輩が人殺しでも、先輩のことが好きな気持ちは変わりません。地獄の果てまで、愛する貴方と一緒にいたいんです。……殺すときには一緒に殺して、堕ちるときには一緒に堕ちてしまいましょう。ね、花泥棒先輩」

「……うん、そうだね」


 そう言って頷いた先輩は、今までで一番へたくそな作り笑いをした。その表情も、たまらなく愛おしかった。


「桜子ちゃん」

「はい、先輩」

「俺、桜子ちゃんと、一緒に生きていたいって、思ってもいいのかな」


 先輩がものすごく不安そうな顔で、泣きそうな声で言う。まるで、迷子になった、ひとりぼっちの子どものようだった。桜子は大きく頷いて、彼の体を強く抱きしめる。無機質なウィッグの髪の毛が、頬をくすぐった。ホワイトフローラルの香りがしないことが、少しだけ切ない。


「私も、先輩と一緒に生きたいです。ずっと、一緒に……」

「そっか……。なら、良かった」


 その「良かった」にはどこか自嘲的な部分があって、真っ直ぐに受け取ろうとすると、間違ってしまうような気がした。花泥棒先輩が、桜子にまたキスをする。とろけるようなキスのあと、ゴンドラの扉が開いて、小さな密室空間で過ごす、ふたりきりの時間は終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る