第30話 文化祭一日目、可愛いメイドさん

 桜子は紫の上役としてのシフトが終わると、ひとりで学校のなかをぶらぶらと歩いた。けっこういろいろな展示やゲームがあって面白そうだったが、明日の先輩との文化祭デートのときのために、フライングはせずに楽しみは取っておく。


 十二時五十分くらいになると、桜子は二年A組の近くの廊下をうろうろとしはじめた。花泥棒先輩のクラスは大盛況なようで、人がわんさかといる。なかなか入ることが難しそうだ。

 どうしようかと途方に暮れていると、チャラチャラした感じの黒髪の――男子、と目が合った。どこかで見た顔な気がする。黒髪男子は、あっと声を上げたあと、こちらへと近づいてきた。


「こんちは。ハナの妹ちゃんじゃーん」

「……あ、お兄ちゃんの友だちの陽一よういちだ」


 近くでまじまじと顔を見てからようやく思い出した。この人、花泥棒先輩のお友だちだ。小学校の頃からそこそこ仲良くしていると、先輩が前に言っていた気がする。普段の制服や体操服とはまったく違う格好なので、なかなかわからなかった。


「え、まさかの呼び捨て? まー、いいけどさ。どしたの?」

「お兄ちゃんに、一時に来てって言われたけど、入れなくて困ってます」

「あー、あれか。おけおけ。こっちおいで」

「知らない人にはついていっちゃ駄目って、お兄ちゃんに言われてます」

「知らないじゃないでしょ。ハナの大親友の陽一様だぜ?」

「陽一、どう見ても不審者です」

「なんでよ」

「なんで、そんなミニスカの女装してるんですか」


 陽一はなぜか、パンツが見えるかどうかギリギリくらいの、超短い水色のスカートのウェイトレスコスを身にまとっていた。ピアスをつけたりしているのはいつも通りだが、頭には黒髪ツインテールのウィッグを被っている。陽一が、目を丸くした。


「え、うちのクラスがなにやってるか知らんの?」

「メイド・執事喫茶だと伺っています」

「そーそー。男女逆転 メイド・執事喫茶ね」

「男女逆転……ってことは、もしかして。お兄ちゃんも女装を? いつの間にか腕毛やすねがなくなってたの、それのせいなんですか?」

「いや、脛毛のことは俺ぁ知らないけど。さすがに野郎の脚なんてそんなまじまじ見てねーや。とにかく、アイツも女装してるよ。見てみて冷やかしてやんなよ」

「そうですね、では行きましょう」


 桜子は陽一のあとを付いて、花泥棒先輩を目当てに教室のなか――と言っても、喫茶店本体ではなく、隣の準備室のほうだが――へと入った。「花泥棒の妹の特権で入れるんだぜ?」と陽一が言っていたが、冗談なのか本当なのか、よくわからない。

 仕切りが作られているその部屋で、二年A組の皆さまはお着替えや飲食物の準備をしているらしかった。ミニスカウェイトレス陽一に案内されて、桜子はおずおずと隅にある席へと座る。桜子以外は皆さんひとつ年上なので、なんだかいたたまれない。


 花泥棒先輩、女装姿見せてくれるって言うなら、早く来てほしいな。先輩のことを考えながらぼんやりとしていると、陽一がメニュー表を持ってきた。


「先に注文聞いとくよ。何がいいの? 妹よ」

「私の呼び名、『妹』なんですか」

「だってハナ、俺が君の名前呼んだら嫉妬すんだもん」

「お兄ちゃんはシスコンですからねー」

「妹め、俺の薫たんを奪いやがって……って、そんなドン引きみたいな顔やめてよ。――うちは、食べ物はパンケーキとチーズケーキとチョコレートケーキ。飲み物はブラックコーヒーとミルクティーとカフェオレと緑茶があるよ」

「パンケーキとミルクティーでお願いします」

「あーい。ちょっと待っててねー」


 陽一が去っていくと、桜子は手持ち無沙汰になってしまったので、スマホをいじりはじめた。紗衣ちゃんと彩奈ちゃんと学校で撮った写真や、先輩と夏休みの山梨旅行で撮った写真を眺めたり、先輩とのメッセージのやりとりを振り返ってみたりする。


「いらっしゃいませ、桜子ちゃん。ご注文の品、お持ちしました」

「はー――」


 返事をしようとしてスマホから視線を上げて、桜子は思わず固まった。現実を受け入れた二秒後に、ガタリと椅子から立ち上がる。なんてことだ。なんてことだ。


「桜子ちゃん、どしたの? 俺の女装姿ショックだった?」

「……かわいい」

「ん?」

「お兄ちゃんが、可愛い! 尊い。ホントに尊い。まじ無理……!」


 桜子は顔を覆って、へなへなと椅子へと戻った。花泥棒先輩が可愛すぎて目が潰れそうだ。こんなに可愛いなんて聞いてない。どうしよう。可愛い。


 花泥棒先輩が身にまとっていたのは、クラシカルなメイド服だった。陽一とは違って長めのスカートで、頭には桜色のふわふわロングヘアのウィッグを被っている。本物の女の子だと勘違いして、一目惚れされちゃってもおかしくないくらいに、天使のように可愛い。彼の女装姿がこんなにも素晴らしいだなんて、想定外だった。


 可愛いメイドさんが机の上にパンケーキとミルクティーを載せたトレイを置いて、左手に茶色のボトルを、右手に赤色のボトルを持った。いつもより高めのボイスで、先輩が喋りはじめる。


「パンケーキにかけるソースは、チョコレートソースとイチゴソースのどちらが良いですか?」

「イチゴソースで」

「ソースでメッセージをお書きしましょうか?」

「お願いします」

「文言のご希望は?」

「おまかせで」

「了解しましたー」


 けっこうノリノリでメイドさんをやっているらしい花泥棒先輩が、イチゴソースで、桜子のパンケーキに何かを書きはじめた。桜子は改めて思う。メイド姿の先輩が、めちゃくちゃ可愛い、と。


「はい。できました! 『I love you』とハートマークでーす」


 先輩は、ハートで囲われたちんな愛のメッセージを、パンケーキの上に残していた。メイドカフェでは定番のメッセージかもしれないが、桜子はそれでたいへん満足だった。


「そうだ。クイズしなきゃね。うーんと、リーマンショックは何年に起きましたか?」

「二〇〇八年?」

「正解でーす。じゃ、飴ふたつね。では、ごゆっくりどうぞ。またね、桜子ちゃん」

「うん。ありがとお兄ちゃん。またあとでね」


 桜子はにこにこと花泥棒先輩に手を振って、ふたつの飴玉をポケットに入れると、「I love you」と書かれたパンケーキを食べはじめた。


 パンケーキは冷凍のものを電子レンジで温めたもので、ミルクティーは2リットルペットから紙コップに注いだだけだとは聞いていたけれど、文化祭という非日常の雰囲気のせいか、大好きな人が持ってきてくれた食べ物だからか、ものすごく美味しいと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る