第26話 文化祭準備、友だちの予感 −前−

「紫月さん、ちょっとお願いがあるんだけど」

「……はい。なんのご用でしょう」


 九月六日の水曜日の放課後、文化祭準備の真っ最中。


 教室装飾担当の桜子は段ボールに黒の絵の具をぬりぬりしていたところ、代表委員と文化祭委員のふたりの女子に話しかけられた。桜子は作業を中断してふたりのほうを見るも、彼女たちはなんとなくもじもじとしていて、話したくなさそうな様子だった。ふたりが話したくないなら、こちらも話すつもりはない。桜子は作業を再開する。絵筆を段ボールにぺたりとくっつけたところで、代表委員の子がまた話しかけてきた。


「あの、紫月さん?」

「はい、なんですか」

「ちょっとだけ……お時間を頂いても、よろしいでしょうか」

「つまり、何か話さなければならないと?」

「はい、そうです」

「手洗ってきてからでも良いですか?」

「はい、どうぞ」

「では、しばしお待ちください」


  これが数ヶ月間同じ教室で学んだクラスメイト同士の会話だろうか、堅苦しすぎやしないかと思いながら、桜子は手に付いた絵の具を水道で洗い流した。しがない平々凡々な装飾担当にいったいなんのご用かはさっぱりわからぬまま、ふたりのいるところに戻る。


 おふたりさんは桜子を連れて、ひと気のない階段の踊り場の隅っこに移動した。真面目なイメージがあるふたりだったが、この場所ならリンチに最適だろうな、なんて物騒なことを桜子は考える。おそらくたぶん、リンチではないと思うが。どちらかと言うと背の低い桜子は、ふたりを見上げる形となった。


「それで、何なんですか?」

「えっと……ものすごく申し訳ないんだけどね……」

「はい。なんですか」

「……役者のほうに、まわってくれないかな」


 本当にものすごく申し訳なさそうに、文化祭委員の子は言った。役者――つまりは〝幽霊役〟をやってほしいとのことらしい。なるほどやっぱりリンチになる気配はなさそうで安心だが、この件を桜子が承諾することはできない。なぜなら桜子は、ここでは〝紫ノ姫〟だから。


「え。お兄ちゃんに聞いてください」

「え。なんで?」

「うちのお兄ちゃん過保護なんで、あんまり晒し者になるようなことはNGなんです」

「やっぱり、花泥棒先輩の防御壁があったか……ッ」


 代表委員の子が、悔しそうにガンッと己の頭を壁に打ちつけた。とても痛そうである。


「はい。お兄ちゃんシスコンなんで」

「紫月さん、どうにかして頼めないかな?」

「私がやりたいって言えば聞く耳持ってくれるかもですけど、現段階、私は別にやりたいと思ってないですからねぇ」

「そこをなんとか……!  紫月さんが出てくれたら、うちのクラスも最優秀とか部門賞とか狙えると思うんだ!」


 文化祭では、何やらいろいろと賞があるらしい。お客さんに書いてもらうアンケートの投票によって、受賞するクラスや団体が決まるものだった気がする。

 桜子はあまりそういうのに興味はなかったが、文化祭委員の子は、やはり受賞を狙っているようだ。目指すならどうぞお好きに目指してほしいところだが、なぜ桜子が役者をやると、受賞を狙えるようになるのだろう。まったく意味がわからずに、桜子は首を傾げた。


「なぜに、私が?」

「あの、ちょっと言いづらいんだけど……紫月さんって、〝紫ノ姫〟って呼ばれてるじゃない?」

「ええ。そうですね」

「でも、普段なかなか紫月さんと関われる機会ってないし……」


 桜子は沈黙の間に、「花泥棒先輩が怖いから」という文言が見えるような気がした。


「紫月さんはね、ただ座って、お客さんに飴を渡すだけでいいの!  お化け屋敷の最後のところにいる、〝紫の上〟の幽霊役をしてくれれば良いだけだから!」

「……紫の上役」


 桜子の最近の愛読書は、現代語訳版の『源氏物語』である。紫の上の役ならば、まあ悪くはない。


「衣装は予算の関係でかなり端折はしょってるし実際のものに忠実には作れてないけど、見た目はそれなりに十二単っぽくできてると思うの。紫月さんが着たら、きっと綺麗だし。……ほら、いつもと違う紫月さんの姿見れたら、お兄さんも喜ぶんじゃないかなーって」

「……お兄ちゃんが、喜ぶ」


 もし本当に花泥棒先輩が喜んでくれると言うのなら、桜子は飛びつくようにこの件を承諾しただろう。やってもいいかな、という気に少しだけなってくる。

 けれど紫の上役をやった場合、先輩と文化祭デートをする時間が削られてしまわないだろうか。それは困る。先輩との文化祭デートは、何があろうと譲れないのだ。


「あの、私。お兄ちゃんと一緒に、文化祭まわる約束してて。だから、その時間があるなら、検討はしてみます」

「大丈夫! 紫月さんがいない間はちゃんと他の役の人が飴渡しのラスボスやるから! 六条御息所ろくじょうのみやすんどころ役のこの子とか、平家の男子たちとか。むしろ紫月さんのことは、短時間しか出現しないレアキャラみたいな扱いにする予定なの!」


 文化祭デートに影響せずに、もしかしたら、先輩にいつもと違う自分も見せられるかもしれない。そう思うと、がぜん乗り気になってきた。桜子はゆっくりとうなずく。


「なら、今日お兄ちゃんに話してみます。私も少し、役者に興味が出てきましたし。それで大丈夫だったら、明日からは役者班に移る感じで良いですか?」

「うん、そんな感じで! ……ありがとう! 紫月さん」


 ふたりがぱぁっと嬉しそうに笑うのを見て、なんとなく桜子は照れてしまう。小中学校で仲良しの友だちがいなかった桜子は、女の子から笑顔を向けられることにあまり慣れていないのだ。

 

「いえ。こんな私でもクラスに貢献できるなら嬉しいです。じゃあ、今日のところは装飾のほうに戻ってもいいですか」

「うん。本当にありがとう。明日、どうなったか聞かせてね」

「はい。では失礼します」


 代表委員と文化祭委員のふたりと話を終えて、桜子は教室へと戻った。なんとなく、絵の具がとてもいい感じに塗れた気がした。



❀ ❀ ❀



「あの、花泥棒先輩? ……ちょっとお話いいですか?」

「うん、いいよ。どうしたの?」


 最終下校時刻まで文化祭の準備をしてから、先輩と一緒に帰宅し、夕食を終えたあとのこと。桜子は、彼との話し合いの場を設けてもらった。クッションを抱えてソファに座っている桜子の隣に、先輩がやってくる。


「なんか困り事?」

「いえ、そうではなくて。クラスの、文化祭の出し物のことで」

「なに、なんか嫌な役目押しつけられた?」

「違います。嫌な役目じゃないし、押しつけられてもいません。ただ、配置が変わりそうで」

「配置?」

「はい。今までは装飾担当だったんですけど、今日、幽霊役をやらないかというお話をされて。……紫の上役で」

「ああ。そういえば桜子ちゃんのクラスそういうのだったね。えーと、大テーマの教科が『国語』で、『源氏物語』と『平家物語』を小テーマにした『お化け屋敷』であってる?」

「はい、そうです」


 桜子たちの通っている高校の文化祭は、クラスごとに、国語・数学・英語・理科・社会のどれかを大テーマとして設定し、それに関連した展示やゲームや販売をしなければならないことになっていた。

 各クラスで話し合いをして作った企画書を文化祭委員の子が生徒会本部に提出し、本部で協議にかけられた末に、何をやるかが決められる。他のクラスと似通った内容になると、文化祭委員の子がプレゼンテーションでバトルして、どちらのクラスがそれをやるかを決めるらしい。


 また、もうひとつの共通ルールとして、お客さんにクイズを出さなければならないというものもあった。自分のクラスの小テーマに沿った問題を出して、正解したお客さんには飴をふたつ、はずれたお客さんには飴をひとつ渡すことになる。飴を景品にしているのは、勉強には糖分が必要だからだとか。


「うちのお化け屋敷、出口のちょっと前に、飴渡しのラスボスがいるってことになってるんですけど。女子が『源氏物語』で死んだ女の役をやって、男子が『平家物語』で死んだ男の役をやるんですね。それで、私に紫の上の役をやってほしいそうなんです。なんか、紫の上が人気? みたいで、いたほうが賑わうみたいな? ……その、えっと。なので、引き受けても良いですか?」


 めちゃくちゃベラベラと喋ってしまったが、これはもしやマナー違反ではなかろうか。そう思って不安になりながら、花泥棒先輩を見上げる。

 一緒に暮らしている「お兄ちゃん」とは言え、他のクラスの人に、自分のクラスの出し物の話を詳しくするのは、あんまり良くなかったかもしれない。あとで口止めしないと――と考えていると、しばし考え込んでいた先輩が、返事をした。


「まあ、桜子ちゃんがやりたいなら、いいよ。どう思ってるの?」

「私……は、せっかくだし、やってみたいなって、思ってます。紫の上なら、やりたいです」


 桜子が「やりたい」と言えば、先輩はきっと許してくれるだろう。そう期待して、先輩を上目遣いで見つめた。真面目な顔をしていた彼がふっと口元を緩めて、桜子の頭を撫でる。


「じゃあ、良いと思うよ。……楽しんでね」

「はい! 先輩と一緒にまわるのも、すごく楽しみにしてます。あ、さっきの話、他の人にはナイショですよ?」

「うん。大丈夫、わかってるよ。俺も桜子ちゃんとの文化祭デート、めっちゃ楽しみにしてる」


  先輩がものすごく嬉しそうな顔で笑うから、桜子も自然と笑みを溢した。

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