第25話 九月一日 −後−
「……あのね」
ようやっと先輩が口を開いたとき、桜子のアバターは虫あみを構えているところだった。桜子は木にとまるカブトムシに焦点を合わせて、そいつを捕まえようとしながら、先輩に「はい」と頷く。すんと一度鼻をすすった先輩の声は、涙声であるようにも聞こえた。
「大好きな子がね」
「……はい」
「前に……九月一日に、自殺したんだ」
「え」
ついボタン操作を誤って、今度は桜子もカブトムシをとり逃がした。衝撃で体が固まってしまって、ゲーム画面のなかのアバターも突っ立ったままになる。桜子は画面から目を離して、先輩の横顔を見つめた。彼が静かにゆっくりと、言葉を紡いでいく。
「遺書も残さずに、死んじゃったんだよね。……彼女の苦しみに気づいたのは、彼女が死んだあとだった。本当、馬鹿だよね。俺は、何にも知らないまま……夏休みが終われば、また会えると思ってたんだから」
先輩がパタンとゲーム機を閉じて、ひどく自嘲的に笑う。桜子は、胸が締め付けられるような思いがした。きっと先輩が言っているのは前の彼女さんのことだろうが、今に限っては嫉妬の念がさっぱり湧いてこなかった。
死別した彼女さんの死因が自殺だったなんて、まったく思ってもみなかった。彼女が自殺したことで自分のことを責めているような先輩に、なにか言葉を掛けたくなった。
詳しいことを知らない桜子が、なにを言っても意味はないかもしれない。けれど彼が苦しんでいることがあるならば、どうにかして癒やしてあげたいと思った。桜子は、彼のことが好きだからだ。
なにか言おうと唇を開いて、けれどなにも言葉が出てこない。どう言えば良いのだろう。結局なにも言えなかった桜子の頭を、花泥棒先輩がぽんぽんと撫でた。
「ごめんね、桜子ちゃん」
「な……んで。私に謝るんですか」
「んー、なんでだろうね」
先輩が甘えるように――いや、縋り付くように、桜子の肩に体重をのせた。その重みを、余さず受け止めなければならないと、強く思った。先輩のすべてを受け入れられる存在でありたい。苦しいことやつらいことを、相談してもらえる存在でありたい。なんでも聞いてあげるから、ずっと隣にいさせてほしい。口を開いた先輩の息が、桜子の肩にかかった。吐息の熱もすべて吸収してしまいたいと、桜子は思う。
「俺はね、できるなら、桜子ちゃんとずっと一緒にいたいよ」
「じゃあ、一緒にいましょうよ」
「でも俺、汚い花泥棒だから」
「なにが、汚いんですか」
「全部が汚い。俺は、桜子ちゃんと一緒にいられるような人間じゃないの。だからね、俺のことなんて、早く嫌いになったほうがいいよ」
「なにそれ。嫌いになったほうが良いって言うなら、嫌われるようなことしてくださいよ。……先輩が優しいから、嫌いになれない」
「俺は優しくないよ」
こんなこと、言わないでほしい。私の好きな人のことを、『汚い』『優しくない』なんて、言わないでほしい。けれどそう思っても、今の先輩に、桜子の言葉は届かない。きっと前の彼女さんのことを想って、彼は自己嫌悪や罪悪感に
桜子はゲーム機を自分の膝の上に置くと、先輩の頭に触れた。こちらに倒れそうな先輩を、胸の上で抱きしめる。桜色の髪を撫でながら、今の桜子が伝えられる言葉を、紡いだ。
「私はね、先輩。先輩と一緒に、生きていたいですよ。先輩の全部を知ってるわけじゃないですけど、私は先輩のことが大好きです。私は、先輩がそばにいてくれる限り、自殺なんてしませんから。……だから、ずっと一緒にいてください。先輩」
「そっか。……ありがとう」
「はい。――で、結局このまま徹夜するんですか? それとも寝ます?」
「今日は不安だから、一緒に起きてて欲しい。わがまま言ってごめんね」
「いいえ、良いですよ。このまま高額虫とりまくりましょう。ヒレ付き魚影も逃さず釣ります。もうちょっとしたら、ゲーム再開しましょうか。私が、まだ先輩の頭なでなでしたいので」
「うん。ありがとう」
パジャマの胸元がだんだん湿ってくるのを感じながら、桜子はひたすらに先輩の頭を撫でた。どうか少しでも、彼のつらさを和らげたい。彼のことを癒やしたい。
桜子と花泥棒先輩は、結局徹夜でゲームをやった。六時過ぎまでゲームをしたあと、顔を洗ったり、桜子が朝ごはんの支度をしたり、先輩が桜子の髪を梳いてヘアアレンジをしてくれたり、いつも通りの朝を過ごして、ふたりで一緒に学校に向かった。
始業式の校長先生のお話のときは完全に眠気でやられていたが、どうにかこうにか無事に午前授業が終わると、帰宅した桜子と先輩は、速攻でベッドでお昼寝をした。夕方頃に目覚めたあとは、まったく普段通りの生活を送った。
先輩と一緒に、今日もおんなじベッドに入る。手を繋いで、「死なないで」「大好き」と言われる。花泥棒先輩と一緒に過ごす、二〇一七年の九月一日の金曜日は、そうして平和に終わった。
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