第20話 一緒にお風呂 −中−

 買い物を終えると、桜子が先にシャワーを浴びた。一旦服を着て、自分用の部屋に戻って水着に着替える。その間に先輩にはシャワーを浴びておいてもらい、桜子が水着を着たら、先輩とお風呂場で合流するということにしていた。


 るんるん気分で、桜子は水着に着替え終える。そして鏡で自分の姿を見てみて、愕然がくぜんとした。当たり前のことに、いまさら気づいたのだ。

 胸もお腹も太腿も、先程とは比べ物にならないくらいに肌が出ている。……水着って、キャミソールよりも露出多いじゃん。どうしてさっきは気づかなかったのだろう。


 桜子が先輩に買ってもらったのは、ピンク色の可愛い系のビキニだった。胸元のフリルとスカートのおかげである程度は体型をカバーできているので、セクシーすぎるということはないと思う。高校生女子が着るものとして、よくよくありそうな普通の可愛い水着だ。

 でも、やっぱり露出が気になる。どうしよう。よくよく鏡で自分の体型を見ていると、前より太ったような気がしてきた。最近食べすぎていたのかもしれない。どうしよう。


 桜子はしばらく考えたあと、水着の上からTシャツとハーフパンツを着てから、お風呂場へと移動した。彼に、いきなり水着姿を見せる勇気がなかったからだ。


 曇りガラスの扉の向こうに、先輩の影が見えた。一度大きく息を吸ってから、彼に声を掛ける。


「あの! 先輩。……着替え、終わりました」

「おっけー。こっちも準備できてるよ。ドア開けていい?」

「はい、どうぞ。まだ服着てますけど」

「あら、いつも通りの桜子ちゃんだ」


 先輩がドアを開けて、にこりと笑う。水着姿の彼を直に見て、桜子は目眩で倒れそうになった。

 

 筋肉がついていることは、抱きしめたときの感触で知っていた。けれどいざ直視してみると、その美しさや迫力たるや想像以上で、まるで彫刻みたいだと思うほどだった。彼の上半身が裸である姿をこうしてまともに見るのは、四ヶ月ほどの同棲生活のなかで、今日が初めてだ。


 どうしよう。なんてかっこいいんだろう。前よりもっと好きになってしまった。あの筋肉に触りたい。先輩のたくましい体から、目を離せなかった。

 

「桜子ちゃん。水着見せてくんないの?」

「見せます、見せますけど……先輩の筋肉に、見惚れてしまって」

「俺も桜子ちゃんに見惚れたい。ね、見せて?」


 好きな人から『見惚れたい』と言われたら、さすがに見せないわけにもいかない。先輩の筋肉をガン見しながら、桜子は自分のTシャツの裾へと手を伸ばす。それをめくりあげようとしたとき、彼からの視線を突然に意識した。茶色い瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。


 先程自ら進んでキャミソール姿になった女が何を言っているのだという感じだが、水着姿になるシーンを見られるのは、ひどく恥ずかしいと思った。彼の体を見たことで、自分も彼に何かを思われる可能性に気づいたからかもしれない。それに男の人の前で服を脱いで肌を見せるなんて、なんかいやらしい。盛大な手のひら返しだとは理解している。


 深淵がこちらを覗いているとき、深淵もまたこちらを覗いている――をここで使うのは合っているかよくわからないが、桜子が彼の体を見て興奮したように、彼も興奮するかもしれないと思ってしまった。桜子を抱かない彼が欲情してくれる可能性が低いことはわかりつつも、異性として意識して体を見られるのは恥ずかしい。


 もちろん女として見てもらえれば、恥じらい以外に喜びも得られるだろう。けれど彼の前で服を脱ぐことが、今はできそうになかった。恥のほうが勝っていたのだ。勇気が出なくて、彼に水着姿を見られるまでの時間を、少しでも伸ばしたかった。

 

「先輩、あっち向いててください」

「えー、見たいのに」

「駄目です。恥ずかしいから脱げません」

「はいはい。じゃ、後ろ向くね」


 先輩は唯々いい諾々だくだくと、あちら側を向いた。その姿をしっかりと確認してから、桜子はTシャツとハーフパンツを脱ぎ去って、ピンクのビキニ姿になる。


「先輩」

「脱いだ?」

「はい」

「そっち向いていい?」

「まだ、駄目です」


 足音を立てないように気をつけて、そーっと静かに彼の背後へと歩いていき、広い背中を抱きしめた。思いがけない接触に驚いたのか、彼の体がびくりと跳ねる。


「桜子ちゃん、どしたの?」

「見られるの恥ずかしいから、先に感触を伝えておこうか、と」

「まだ見ちゃ駄目?」

「……もう、いいですよ」


 桜子が離れると、彼がこちらを振り返った。一瞬目が合ったあと、桜子はぱっと視線を下に逸らす。緊張して、恥ずかしくて、顔が熱い。うつむいた顔は、彼のすねあたりへと向いていた。


 ――どう、思われたんだろう。意外と太ってるな、とか、おっぱいちっちゃいな、とか、足短いな、とか思われてるかな。私のことを、先輩はどんな感じで見ているんだろう。少しでも可愛いと思ってくれていたら、嬉しい。女として見てくれたら、恥ずかしいけど嬉しい。願わくば、もっと私を好きになって欲しい。


 頭のなかでぐるぐると、いろんな思いが交差する。不安と、期待と、羞恥と、強い恋情。早く答えが欲しい思いと、現実を知るのが怖い思いがあった。


「桜子ちゃん」

「……はい」


 先輩の声に、ゆっくりと顔を上げる。彼は桜子の手を取って、ふわりと軽く抱きしめた。


「可愛いよ、桜子ちゃん。この世界で誰よりも可愛い」

「それは言いすぎでは?」

「ううん。可愛い」


 先輩にはっきりと『可愛い』と言ってもらえて、桜子の頬が緩む。不安になる必要なんてないくらいに、彼はいつでも桜子を肯定してくれるのだ。こんなに愛されてしまって良いのだろうか。こんなに幸せに生きていて、罰は当たらないだろうか。

 

「じゃ、お風呂入ろっか」

「はい、先輩っ!」


 先輩に手を引かれて、お風呂場へと足を踏み入れる。ふたりで一緒に、広い浴槽のなかの水へと足を浸けた。向かいあった状態で、桜子は先輩に抱きしめられる。先輩が桜子の首筋に顔をうずめた。ちょっとくすぐったくて、恥ずかしくて、でも嬉しい。


「桜子ちゃん。可愛い。好き。可愛い。大好き。可愛い。好き……」

「先輩、語彙力死んでますね」


 ぬるま湯のなかでぴったりと、お互いの肌が触れあっている。なんだか、ものすごくイケないことをしている気分になってきた。悪いことは何もしていないはずなのに、変な背徳感がある。

 けれどもその感情はまったく不快ではなく、むしろぞくぞくとするような、甘やかな喜びに近しいものだった。たぶん今この瞬間が、過去一番に彼と密接に触れている。もっと彼が欲しいな、と思った。


「せーんぱい」

「なーに、桜子ちゃん」

「チュウしたい」

「駄目ですよ、桜子ちゃん」

「やだ。チュウしたい。キスしてほしいなー、花泥棒先輩!」


 他の女とはしょっちゅうチュッチュしてるのだから、桜子とだって、やろうと思えばできるだろう。先輩の顔を両手で持ち上げて頬を包んで、キスまであと五センチくらいのところまで近づく。


「桜子ちゃん、付き合ってない男とキスするなんて駄目だよ」

「じゃあ、付き合いますか?」

「そういうことじゃないんだけど」

「他の女とはするのに、なんで私とは駄目なんですか?」

「……桜子ちゃんが、大事だから」

「意味わかんないです。キスしたって死ぬわけじゃあるまいし」

「桜子ちゃん」

「んっ」


 ふいに、先輩が桜子の首筋にキスしてきた。不機嫌になりかけていたのが一瞬で吹っ飛んでいく。キスは駄目なんじゃないの? と思っていると、肩へ鎖骨へ、その下へと、だんだん位置を変えて唇を触れさせてきた。くすぐったい。


「せ、先輩……?」

「唇は、まだ駄目。でも、他のとこならしてあげても良いよ。止められなくなっても、責任取れないけど。どうする?」

 

 どことなく熱っぽい感じのする先輩の瞳に射抜かれて、桜子の熱も上がるような気がした。やっぱり唇は駄目なようだが、これは彼といちゃいちゃできるチャンスかもしれない。


「先輩。それは、唇以外なら、キスしてくれるってこと? 止まらないくらい、いっぱい?」

「うん」

「じゃあ。いい、ですよ。いろんなとこに、キスして?」

「うん、わかった」

 

 先輩の唇が、また首筋へと触れた。貪るように何度も首に触れられて、いろいろなところにキスをされる。桜子も、彼の体に何度かキスをお返しした。


 普段と違う場所で、普段と違う格好で、ふたりとも、どこかおかしくなっていたのかもしれない。桜子と花泥棒先輩は、お互いの体の唇以外のところに、何度も何度もキスを重ね続けた。

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