第19話 一緒にお風呂 −上−

 今日は八月の一日、火曜日。天気はあいにくの曇りだが、肌には夏らしい暑さを感じ、豊かな緑が目を喜ばせた。桜子は、すうっと一度、深呼吸をしてみる。いつもと違う空気……な、気がした。


「すごいですね。めっちゃ自然って感じ!」

「なんか空気良さそうだよね」

「はい、先輩!」


 元気よく返事をして、先輩の腕にぎゅっと抱きつく。彼が頭をなでなでしてくれた。嬉しい、楽しい、最高の夏休みだ。


 桜子と花泥棒先輩は、本日レンタル別荘にやってきた。今日から五日間、ふたりは山梨県に滞在する。 広いコテージに広い庭、普段暮らしている町とは大違いのその場所で、桜子ははしゃぎまくっていた――が。


「ねー、先輩。どっか行きましょうよー」

「えー、のんびり過ごそうよ」

「えぇー?」


 着いてから一、二時間ははしゃいでいられたが、しだいにハイテンションだったのも落ち着いてきた。 せっかく旅行に来たというのに、先輩と桜子は今、大きなベッドの上でだらーんとしている。彼はそれで満足しているようだが、桜子はいささか不満だった。


「先輩。私プール行きたかったんですけど。なんで雪美さんたちに同行させてくれなかったんですか」

「桜子ちゃんが溺れ死ぬかもしれないからかな」


 その答えに呆れ、ため息をつく。お風呂に入るときにさえ心配したり、GPS付きキッズ携帯を持たせたりするような過保護な人だとは知っていたが、こんなところでもその過保護っぷりが発動されるとは。ちょっと息苦しい。


 彼ともっと楽しい思い出をつくりたい桜子は、どうにか説得をしようと試みる。


「溺れ死んだりなんかしませんよーだ。私、小学校のときの水泳はイルカグループだったんですよ?  二十五メートルプールなら余裕で泳げるってことです。はい論破。私溺れない!」

「それでも駄目です。プールには行きません」

「……先輩のけち」


 強い口調で却下された。悲しい。腹いせに、先輩に小さなクッションを投げつけてやった。あっさり避けられた。ムカつく。


 先輩が、良いことを思いついたとでも言うように、楽しそうに言った。


「あ、じゃあテレビで映画でも見よっか。夏だしホラーとか――」

「やだー!  プールがいいー!  水バシャバシャしたいのーっ!」


 先輩の言葉を途中でさえぎり、桜子は足をバタバタとさせて暴れ回る。ベッドがギシギシと音を立てて揺れた。プールの代わりにホラー映画なんて御免だ。絶対怖いから見たくない。


 やだやだと言う桜子は完全なる駄々っ子だったと思うが、こうなってしまうのも全部、普段から先輩に甘やかされているせいだ。今までこんなわがまま、親にだって言ったことはない。


「なに、桜子ちゃん。今日は甘えただね。可愛い、大好き」

「……じゃあ」


 桜子は暴れるのをやめると、ベッドの上をごろんごろんと転がって、少し離れたところで横になっていた先輩にぴたりとひっついた。


「その可愛さに免じてプールに行きましょう」

「やだよ。なんで他の男に桜子ちゃんの水着姿見られなきゃなんないの」

「え、もしかして。先輩、そういう理由でプール嫌だったんですか?  やだ、先輩ったら嫉妬深い。そんなところも好き――って、ならなんでこの前水着買ったんですか」


 せっかく水着を買っても、彼がプールに連れていってくれるつもりがないなら無駄になってしまうだろう。いったいなんのつもりで買ったんだ。


 ふてくされた駄々っ子桜子の頭を、先輩がなだめるように撫でる。


「じゃ、水着着て一緒にお風呂入ろっか。それなら水バシャバシャできるよ。水鉄砲とかも買って遊ぼ?」

「……一緒にお風呂。水遊び」

「嫌だった? やっぱホラー映画にする?」

「ううん、嫌じゃない。お風呂が良い。……先輩、大好きです」

「うん。俺も大好きー」


 抱きしめあって見つめあい、やがて仰向けになった先輩の上に、桜子が乗っかった。ふたりでただただ、お互いの肌の温度を感じる。このままくっついていれば、溶けてひとつになれてしまいそうだと思った。いっそ本当に、このまま肌を重ねられる仲になってしまいたい。


 薄着の姿を見れば、彼もその気にならないだろうか。そう考えて、桜子は何度目かの色仕掛けを試みる。


「せーんぱい」

「なに、桜子ちゃん」

「暑いから、Tシャツ脱いでも良いですか?」

「下、何着てる?」

「キャミソールは着てますよ」

「なら、良いよ」


 あっさりと脱衣の許可を得ることができたのに少し驚きつつ、桜子は上半身を起こすと、自分のTシャツの裾に手を掛けた。心臓をドクドクとうるさくさせながら、彼の目の前でキャミソール姿になる。

 肩もデコルテも胸元も、いつもより大胆に露出した姿だ。その姿のまま再び先輩の体にくっついて、意識的に胸元を押しつける。せいぜいドキドキしてしまえ。


「桜子ちゃん、俺とくっついてるから暑いんじゃない?」

「えー、違いますよ。先輩は保冷剤みたいに冷たいです」

「嘘はいけません、桜子ちゃん」

「はい、誇張表現でした。でも今の温度は快適なので、このままでいさせてください!」


 さほどうまくいっていなそうな手応えに悲しくなるも、桜子はめげずに先輩に体をくっつけ続けた。指を絡めあわせて手を握ったり、彼の脇腹を撫でてみたりもする。けっこう楽しい。首筋から鎖骨のあたりを指先ですーっとなぞると、先輩がびくんと身を震わせた。くすぐったかったのかもしれない。なんか面白いな、と思う。もっと触りたい。


「あの、桜子ちゃん」

「はい、先輩」

「そろそろ、買い物行かない?」

「……はい、良いですよー」


 色仕掛けタイムは、悲しいことに今日も失敗で終了だ。彼からおとなしく離れて、起き上がってTシャツを着る。同じく起き上がった先輩の姿を見て、桜子は首を傾げた。


「先輩。暑かったですか?」

「ん? なんで?」

「顔、赤いような気がして」

「気のせいだよ」

「そうですか」


 彼が色仕掛けで照れてくれたら良いなーという、願望が目に影響を与えていたのかもしれない。まったくお花畑な脳味噌だ。


 身支度をある程度整えたあと、ふたりは手を繋いで近所のスーパーへ買い物に向かった。

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