第17話 4.9パーセントと検索履歴 −後−

 ある夜のこと。桜子は、先輩のノートパソコンの画面を勝手に見てしまった。彼がトイレに立ったときにふと視界に入り、好奇心から、そのまま画面に近づいていってしまったのだ。


「え……?」


 開いてかれていたのは、インターネットの検索画面。ずらりと並んだ検索履歴の文字を見て、己の目を疑った。


『明日の天気は?』『復讐 後悔』『殺人 懲役何年』『人の殺し方』『殺人 後悔』『夏物 パジャマ』『ナイフ おすすめ』『完全犯罪』


 パソコン画面に浮かぶのは、普段の先輩からは想像もできないような、穏やかでない単語ばかりだった。頭がぐるぐると混乱する。


 ――最近、ミステリー番組でも見たっけ。推理小説とかにはまってるのかな。でも先輩、あんまり本読まないはずだよね。じゃあ、なんでこんなの調べてるんだろう。サイコパスに憧れてるのかな。……まさか本当に、先輩が人を殺したいはずはない。だって、先輩はあんなに優しいんだから。


 頭のなかでの自問自答に、破綻した論理でピリオドを打つ。彼に殺されるかもしれないことから目を背けたかったと言うよりも、彼が人殺しかもしれないと疑う日々になるのが嫌だったから、ここで考えるのをやめにした。


 女遊びをする点ですでに不信感は抱いているが、それをこれ以上大きくさせたくはない。心から彼を愛して、幸福な生活をしていたかった。


「桜子ちゃん?」


 後ろから聞こえた彼の声に、肩が大きく跳ね上がる。ギギギと音を立てそうなぎこちなさで、桜子は後ろを振り返った。

 

「せ、んぱい。えっと、あの……」

「どうしたの? 桜子ちゃん」


 花泥棒先輩は、いつも通りの顔をしていた。けれども彼がいつも通りでいてくれるのは、今だけかもしれない。

  

 あの検索履歴を見てしまったことを知られたら、彼が殺人鬼に変貌してしまう――ということはないと信じているが、知られないほうが良いのは確かだろう。見なかったふりをしたほうが、きっとこちらも早く忘れられる。彼にそのことがバレないよう、いつも通りに振る舞うように努めた。


「先輩は、私のこと、好きですか?」

「うん。大好きだよ」

「えっと。ですよね。私も、大好き」

「ん、ありがと」

「…………」


 どうしよう。もう何も言うことが思い浮かばない。会話が十秒しか持たなかった。今の会話では、どう考えてもおかしいのは桜子だけだっただろう。まるで、こちらが変な検索履歴を見られてしまったかのような反応だった。次はどうするかと、頭を猛スピードで回転させて、その場でフリーズする。


「……」

「なーに? 桜子ちゃん。そんな見つめられたら、穴あいちゃいそう」

「……先輩っ!」


 言葉で無理なら、行動で。単純な思考回路で導き出した答えにより、桜子は彼に突進した。がばっといきなり抱きついたのにも関わらず、彼はこともなげに受け止めてくれる。


「積極的だね、桜子ちゃん」

「……!」


 彼の低めなセクシーボイスに、たった一言で心拍数が急増してしまった。桜子からボディタッチをしたせいか色気ましましの彼に、ペースを乱されてしまう。のぼせてしまいそうだ。これはいけない。


「じゃあ、チュウして。先輩」


 先輩が仕掛けてくるなら、こちらも応戦しようではないか。めちゃくちゃ勇気を振り絞って、桜子は彼にキスをおねだりした。


 彼は今、どんな表情をしているのだろう。ドクンドクンとうるさい心臓の音は、気づかれているのだろうか。彼の胸に顔をうずめて、次の動きを期待した。頭の上に、彼の声が降りかかる。

 

「ほっぺなら、いいよ。チュウしよ」

「……ほっぺで妥協してあげましょう」


 さすがに唇にはしてくれないか、とやや落ち込む。けれどもファーストキスは特別なときに取っておくから、今はこれで良いのだということにして、ほっぺにキスしてもらうために顔を上げた。


 先輩が、ちょっと意地悪気な笑みを見せる。


「桜子ちゃん、顔真っ赤じゃん」

「だって、恥ずかしいんだもん」

「耐性ないくせに、男を煽っちゃだめだよ」

「……ん」


 彼の顔が近づき、唇が頬に触れた。柔らかな感触と熱い吐息が、肌を喜ばせる。たった一瞬の甘い触れあいがとてつもなく嬉しくて、泣きそうになった。彼が支えてくれていなければ、足は簡単に崩れ落ちそうだった。先輩は唇を離すと、先程キスをした頬を撫でる。


「桜子ちゃん。そういう顔、他の男には見せちゃ駄目ね」

「そういう顔って、どういう顔?」

「キスされて嬉しいって顔。……可愛すぎて、やばいから」


 そう言う先輩の顔も、やばいくらい可愛かった。先輩の頬も赤く染まっていて、口元は嬉しそうに綻んでいる。さっきの瞬間が嬉しかったのは、きっとふたりとも一緒だったのだ。


「先輩以外には見せられませんよ。先輩のキスしか、嬉しくないので」

「そっか。そういえばそうだね」

 

 これ以上先輩を見ているのが恥ずかしくて、桜子はまた彼の体に抱きついた。いつも通りの愛の言葉に、いつも通りのハグ、そして初めてほっぺにされたチュウだった。


 検索履歴なんて、もうどうでもいいや。そう思えるくらいには、桜子はでろでろに幸せだった。

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