第13話 はじめましてお姉様


 五月七日の日曜日。五連休の最終日。


「おはよう、桜子ちゃん」

「おはようございます、十七歳の花泥棒先輩。……お誕生日、おめでとうございます」

「うん、ありがと」


 ベッドのなかで桜子は、彼の誕生日を祝った。



❀ ❀ ❀


 

 いつもより念入りに部屋のお掃除をする。いつもより服装や髪型に気を遣う。


「桜子ちゃん、そんな神経質にならなくても大丈夫だよ」

「初めてお会いするんですから、そりゃあ神経質にもなりますよ。もう緊張で死にそうです」

「えー、やだ。死なないで桜子ちゃん。そうだ、姉貴家に入れきゃ良いんじゃない?」

「駄目です。お姉さんにそんな扱いしちゃ――」


 インターホンの音が鳴り、桜子は「ぴぇっ」と声を上げて肩を跳ねさせた。花泥棒先輩が玄関に向かいはじめ、慌ててそれに付いていく。


 ガチャリとドアが開き、真っ赤なハイヒールが入ってくるのが見えた。細い足首から徐々に視線を上げていき、綺麗な膝となめらかな太腿を通過して、デニムのショートパンツに黒のロゴTシャツというラフな格好をした、美しい女性の顔を見る。


 ワンレングスの長い黒髪に、先輩と同じ茶色の瞳。先輩とよく似た整った顔立ち。彼女は、花泥棒先輩のお姉さんだ。


「お邪魔しまーす。久しぶり、薫。元気してた?」

「うん、元気。荷物預かるよ」

「ん、ありがと。――はじめまして、桜子ちゃん。薫からいろいろ聞いてるわ。あたしはこいつの姉で、花咲はなさき 雪美ゆきみって言うの。よろしくね」


 気さくな雰囲気のお姉さんが、笑顔でこちらに手を差し出す。桜子は先輩と出会ったときのように、緊張しながらの握手をした。

 

「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします! 私は、紫月 桜子と申します。えっと、先輩には、いつもお世話になってます!」

「ふふふっ、かぁわいい。薫にはもったいないくらいのいい子って感じね。私のことは、姉上でも雪美でも何でも良いよ」

「馬鹿な姉貴だけど、性格は悪くないから安心してね桜子ちゃん」

「うわ、薫ったら酷い。彼氏と喧嘩して傷心中の姉ちゃんにそんなこと言うなんて。この生意気坊主め」


 お姉さんが先輩にデコピンして、先輩が「痛っ」と言って自分の額をさすった。先輩がお姉さんを睨みつける。彼のそんな表情を見るのは初めてで、桜子は驚くとともに、新たな先輩を知ることができて嬉しさも感じた。


「ま、早く入れば?」

「桜子ちゃん、こんな弟だけど仲良くしてやってねー」

「はい、仲良くさせていただきます! あと、ゆ、雪美さんとも、仲良くなりたいですっ!」

「うん、女子同士仲良くしよー」


 雪美さんが靴を脱いで玄関から上がって、花泥棒先輩の隣を歩いていく。姉弟間の空気を邪魔するのも忍びないと思い、桜子はふたりの少し後ろを歩いていった。



「薫、誕生日おめでとー」

「うん、ありがとう」


 宅配のピザやチキンにサラダ、桜子が先輩からのリクエストで作った肉じゃがをテーブルの上に並べて、三人は花泥棒先輩の誕生日パーティーを始めた。

 洋食のピザたちのなかに紛れ込む肉じゃがは違和感ありまくりだったが、本日の主役である先輩が喜んでいたので良しとしよう。そう、それは別に良いのだ。


「おめでとうございます、先輩」

「うん、ありがと桜子ちゃん。大好き」

「……はい」


 肉じゃがは問題ないが、問題は別のところにあった。桜子は、あぐらをかいた先輩の脚の上に座らせられていたのだ。


 先輩が左腕でお腹のあたりを抱きかかえているせいで退こうにも退けず、あまりにも近すぎる距離感に心臓がドキドキとうるさくて、顔が明らかに火照っている。

 何か食べようにもなかなか手を動かすことができないし、こんな体勢では先輩も食べにくいだろうに。それに雪美さんにこんな姿を見られていると思うと、なんだかいたたまれない。


 顔の熱を冷ましたくて、先輩が注いでくれたリンゴジュースを飲んでみたが、焼け石に水だった。恥ずかしすぎる。


「姉の前でいちゃつくな弟よ」

「姉貴がいなければもっといちゃついてたよ」

「うわ、惚気のろけんな」

「嫉妬は惨めだよ、姉貴」

「……桜子ちゃん、ちょっと私の代わりにこいつ殴っといて」

「え」


 こういうときにどうするのが正解なのか、誰か教えて欲しい。何をすれば良いのか、てんでわからず、桜子は固まった。


「ほら、桜子ちゃん」

「は、はい……」


 ニコニコ笑顔の雪美さんから妙な圧を感じて、桜子は拳をぎゅっと握りしめた。けれど、いくらムカついたときに殴りたいと思ったことが何度もあったとしても、いざ殴ろうとなるとやめたくなる。


 大好きな花泥棒先輩に痛い思いをさせるなんて、やっぱり嫌だった。桜子は妥協策として拳をほどいて、ペシペシと軽く先輩の腕を叩く。


「先輩。えっと。雪美さんもいらっしゃるわけですし、この体勢だとごはんも食べにくいので、降ろしてもらっても良いですか? ……あの、いちゃいちゃしたい? なら、あとで、で。……ね?」


 なんてことを言っているんだと、自分で言っていて恥ずかしさで死にそうになりながら、先輩を見つめた。数秒間誰も喋らずに、ただふたりが見つめ合っているだけの時間が続く。


「あの、先輩――びゃ!?」


 おもむろに動いた先輩のまさかの行動に驚いて、桜子は変な声を上げた。彼がにやりと笑って、してやられたみたいで悔しくなる。なんと花泥棒先輩、桜子の額にキスしてきたのだ。


 ほんの一瞬で離れたけれど、たしかに彼の唇がくっついていた。おでこに火がついたかと思うくらいに、彼の唇が触れたところに熱を持つ。


「桜子ちゃん、大好き」

「私も先輩のこと、好きですけど」


 本当にもうやめてほしい。こんなに甘やかさないでほしい。どろどろに溶けて、なにもかもなくなってしまいそう。


「可愛い。愛してる」


 先輩はぎゅっと一度強く抱きしめてきたあと、桜子の身を解放した。何事もなかったかのように、彼は一切れのピザを食べはじめる。桜子は一瞬でものすごく疲れた。


「ラブラブね。妬けるわぁ」

「姉貴、なんでまた彼氏と喧嘩したわけ?」

「あいつの仕事が忙しくて、あんま構ってくんなくて、寂しくて八つ当たりした」

「姉貴って、自分の何が悪かったのか、いつもわかってるのに直さないよね」

「ひどい。つらい」


 雪美さんと話すときの先輩は、いつもよりちょっと辛辣だ。けれどそれが身内ゆえの親密さなのだということはわかるから、その扱いに羨ましさも覚える。


 私も先輩に罵られたいな。……いや、それはマゾっぽいから違うか。なんて、ふたりの会話を聞いて、ポテトフライを食べながら考える。


 ピザやチキンが片付いたら、雪美さんが買ってきてくれたホールのチョコレートケーキを食べた。雪美さんは彼氏さんと同棲しているらしく、今日は帰りたくないからと、この家に泊まることになった。


 三人でカーレースゲームをしたら桜子はボロ負けしたが、規格外に強い先輩に雪美さんと一緒にブーイングしたことで、彼女と仲良くなれた気がする。入浴などを終えると雪美さんは、桜子の部屋のベッド――今まで桜子は一度も使ったことがない――で、眠ることになった。一方、桜子と花泥棒先輩は、今日も今日とて彼の部屋のひとつのベッドで一緒に眠りにつく予定だ。


「……先輩、これってそんなに良いことなんです?」

「え、太腿最高じゃん。すべすべで気持ちいい」

「いやーん。先輩のえっちー」

「めっちゃ棒読みだね」

 

 ベッドの上で桜子は、ただいま先輩に膝枕をしていた。ショートパンツを履いているせいで剥き出しになった太腿に、彼の柔らかい髪がさわさわと触れていて、ちょっとくすぐったい。


 先輩に衣食住の世話をしてもらっている桜子が持っているお金は、彼が「自由に使っていいよ」と渡してくれたものだけだった。なんとなく無駄使いするのは良くない気がしてあまり使っていないが、先輩への誕生日プレゼントを買うかどうかには、かなり迷った。


 先輩が何欲しいのか分からないし、そもそも欲しければ何でも自分で買えるくらい彼はお金を持っているし、買っても喜んでもらえるかわからない。でも、彼の誕生日は全力でお祝いしたい。


 さんざん悩んだ末に、今の自分にはサプライズでお祝いなんてハードルが高すぎるからと、先輩に直接誕生日祝いの要望を聞いた。すると彼は、『肉じゃが作ってほしい』『膝枕されたい』と言ってきた。だから桜子は肉じゃがを彼の祝いの席に用意して、今は彼に膝枕をしている。


「ねぇ、先輩」

「なに、桜子ちゃん」

「……やっぱなんでもないです」

「なんか悩み事あるなら、なんでも言っていいよ」


 先輩に話したいことなら、山ほどある。雪美さんには「薫」って呼ばれてるけど、そのときは前の彼女さんのこと思い出さないの、とか。こんなに私を愛してくれるのに、また学校始まったら、他の女を抱くの、とか。


 でも今そんなことを言って空気を悪くするのは、なんだか嫌だった。他の女の話なんてしたくない。今は身も心も、ふたりきりでいたい。


「先輩」

「ん?」

「先輩の頭、なでなでしたいです」

「いいよ」

「ありがとうございます」


 桜色に染まった髪に指を通して、地肌に触れて、ふわんと漂うホワイトフローラルの匂いを嗅ぐ。


「桜子ちゃん」

「はい、先輩」

「愛してる。……死なないでね」

「はい。死にません」


 もし叶うなら、ずっと先輩のそばで生きていたいです。その言葉を直接伝える勇気はなくて、心のなかでひとり呟く。


 ゴールデンウィークの間は、先輩はずっと桜子のそばにいてくれた。彼を独り占めできて、幸せだった。でも、ゴールデンウィークの間だけだった。そんなふうに、彼が桜子のそばに居続けてくれたのは。


 先輩は、たまに桜子の面倒を見るのを雪美さんに頼んで、自分ひとりでどこかに行ってしまうようになった。雪美さんと過ごすのは楽しかったけれど、その間に先輩が他の女と会っているのだろうかと考えると悲しくなった。そういう夜に彼が帰ってくると、桜子はベッドの上の彼の腕のなかで、しょっちゅう泣いた。

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