第10話 一喜一憂フルーツサンド −前−

 今日は金曜日。気分は最悪。先輩にもたれるようにして家へと帰った。


 玄関扉を開けた途端にどっと疲れが押し寄せて、くらりとその場に倒れそうになる。傾いた桜子の体を、先輩が抱き寄せた。


「桜子ちゃん、大丈夫?」

「だいじょばないです」

「トイレ行く?」

「それより横になりたいです」

「ん、わかった」


 先輩の力を借りて、どうにかソファまで移動する。ソファに勢いよく倒れ込むと、桜子はうんうんと唸り始めた。


 こんな様子だが、別に病気になったわけではない。なんてことはない、ただの生理痛だ。二日目でつらいだけ。でもとにかくお腹と腰が痛いしだるいし眠い。今日のは過去最悪にやばい。なんだこの苦行は。なんの試練なんだ。


「桜子ちゃん、スカートしわしわになっちゃうよ」

「良いです別に。動きたくないです」

「俺が脱がしたげよっか?」

「勝手にしてください」

 

 先輩の言葉を大して聞かずに、ぶっきらぼうに返答する。どうしようもなくイライラして、もう何もかもが嫌だった。


 カチャリと小さな音がして、腰回りの締め付けが緩くなるのを感じる。なぜだろうと、自分の下半身に目を向けると、制服のスカートに先輩の手が掛かっていた。彼の手がファスナーを下ろすと、下に穿いていた黒いハーフパンツの生地が現れる。


「え、なにしてるんですか」

「え、スカート脱がすんだけど」

「え」


 理解が追いつかずに唖然としている間に、先輩に軽々と腰を持ち上げられて、シュルリとスカートが下ろされた。なんてことだ。先輩に服を脱がされてしまった。


「なんで、勝手に脱がすんですか」

「勝手にしてって言われたから? 嫌だったならごめん」

「……嫌じゃない、ですけど」

「うん。スカート、ハンガーに掛けてくるね」

「ありがとう、ございます」


 彼がスカートを持ってソファから離れると、桜子はクッションに自分の顔面をうずめた。ホルモンバランスの乱れのせいか、しくしくと涙が出てくる。生理中って本当に面倒くさい。


 彼が優しくしてくれたのに、不機嫌な感じの反応しかしなかった自分が、嫌で嫌で仕方がなかった。スカートを脱がされて恥ずかしかった。

 先程の彼の様子を思い出し、嫌な予想を作り上げる。さっぱり平然とした顔で桜子の服を脱がした彼は、女の服を脱がすのには慣れっこなのではないかと。他の女にも、あんなふうにしているのかもしれない。そう思うと、すでに高かったイライラ度がさらに上がった。


「桜子ちゃん、痛い?」

「痛い」

「お薬飲む?」

「飲まないです」


 ぐすぐすと泣きながら答えると、ソファの頭側が沈むのを感じた。クッションから少し顔を上げてみると、ソファに座った先輩が、桜子の頭を撫でてきた。


「……先輩」

「つらい? 大丈夫?」


 先輩の手の温かさを感じると、さらにたくさんの涙が溢れてきた。先輩はこんなに優しいのに、自分はなんて嫌なやつなんだろう。心が自己嫌悪でいっぱいになった。


「ごめんなさい。先輩。生理なんかで、こんなだらだらしちゃって……イライラしちゃって、ごめんなさい」

「んーん、大丈夫。つらいなら、ちょっとお薬飲んでみない? ほら、これ」


 頭を撫でていないほうの先輩の手には、見慣れない白い錠剤のシートがあった。小さなピンク色の文字を読んでみると、どうやらCMでよく見る鎮痛剤のようだった。


「……飲んだことないから、怖いです」

「大丈夫。これちゃんと効くやつだよ」

「薬の効果には個人差があります」

「うん、知ってる」

「効かないかもだし、副作用あるかもです」

「大丈夫、大丈夫。効果てきめん、超安全」

「なんか軽い。信じられない……」

「本当に大丈夫だよ。実証済み」

「誰が実証したって言うんですか」

「誰だろーね。ほら、飲もう?」


 先輩がニコニコ笑顔で、薬を飲むことを勧めてくる。今の笑顔に限っては、なんだかうざいと思ってしまった。飲みたくないって言ってるのにしつこい。薬の効果や副作用の件は何かをはぐらかされた気がする。ムカつくし怖い。


 けれど、ここまで言われたら、一度くらい飲んでみても良いのかもしれないという気にもなった。先輩がさらに念押しする。


「桜子ちゃん。桜子ちゃんが痛い思いしてると俺もつらいから、一回飲んでみてくれると嬉しいかも」

「でも、飲んでも痛いかも」

「効かなかったり悪くなったりしたら、ちゃんと病院連れてくから。ね?」

「……じゃあ、飲みます」


 先輩の言葉を聞いて、桜子は薬を飲んでみることを決めた。先輩はきっと心から桜子を心配して、桜子のためを思ってこの薬を勧めてくれているのだろう。

 未だなんとなく抵抗はあるが、ものは試しだ。食わず嫌いみたいなものかもしれないし、合わなかったらもう飲まなければいい。


「ありがと、桜子ちゃん」

「仕方なく飲むだけですから」

「うん、ありがとう」


 ゆるゆると緩慢な動きで起き上がろうとすると、先輩が体を支えてくれた。こうやって、いちいちときめくような優しいことしないで欲しい。叶わないのに、もっと好きになってしまう。


 先輩が慣れたような手付きで錠剤をシートから出して、桜子の口内に入れる。テーブルの上のコップを手に取ると唇に寄せて、水を飲むのも手伝ってくれた。


 もしかして、他の女を抱くときにピルとか飲ませてるのかな。なんてことを頭の片隅で考えた。


 うまく飲めずに口の端からこぼれた水を、先輩がワイシャツの袖口で拭う。唇に彼の指が触れたとき、このままキスして欲しいと思った。


 もちろん、してくれなかったけど。


「……ありがとう、ございました」

「うん、お大事に。このままソファでゆっくりしてて良いよ。今日の夜ご飯はなんか注文にしよっか。何食べたい?」

「サンドイッチたべたいです」

「うん、わかった」


 先輩が柔らかく微笑んで、桜子の頬をさらりと撫でる。「大好きだよ」と言われたら、また涙が零れた。


 先輩がブランケットを掛けてくれて、ぼんやりとしていると、いつの間にか眠っていた。

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