第9話 なあからめせそ

 ――なーんて、やさぐれていたのが嘘だったかのように、現在の桜子は花泥棒先輩にめろめろぞっこんである。


 またもや桜子は、外にいる先輩を窓越しに眺めていた。と言っても、今回は昼休みの廊下からではなく、授業中の窓際の席からである。


 今日のLHRロングホームルームで、くじ引きで席替えをして、この席を運良く引き当てられたことを、たいへん嬉しく思う。


 なんてったって、この席になったおかげで、サッカーをしている超絶かっこいい花泥棒先輩の姿を拝むことができるのだから。


 みんな同じ体操服を着ていても、彼のことはすぐに見つけられる。大好きだから輝いて見えるのだと言えばロマンティックかもしれないが、おそらく実際は桜色の髪が目立っているからだろう。


 制服では隠されている、今はハーフパンツの裾から覗いている脚が筋肉質で美しい。ごつすぎず、貧弱そうでもない、引き締まった曲線に見惚れる。汗ばむ彼の色っぽい首筋を見て、その汗の匂いを思いきり嗅いでみたいと、変態っぽいことを思いついた。


 あ、シュート決まった。先輩かっこいい。


 同じチームの人――たしか彼の友だちで、陽一とか言う男だった気がする――とハイタッチをする先輩。笑顔が可愛い。体育が男女別で良かったと心から思うのは、他の女にあの笑顔を間近で見て欲しくないからだ。


 花泥棒先輩は、不思議なひと。


 あんなにキラキラ輝いているときもあるのに、すごく嫌われて恨まれてもいる。


 モテモテかと思えば、彼のことを女の敵だと言う女の子もいるし、仲良しの友だちもかなりいるようなのに、一部の男子生徒からはかたきのように思われている。


 このように評価の明暗が分かれたのは、彼が〝花泥棒〟になったことが大きく関わっているだろう。


 彼が女遊びを始めたのは、高校一年の冬休み明けからだったらしい。特進クラスに所属する先輩は、それまでは真面目な模範生で、教師からも生徒からもよくしたわれていたと言う。


 まるで人が変わったように、ある日突然人気者の「花咲 薫」は、調子に乗った遊び人へと変貌した。


 彼氏持ちの女の子を抱いたという話が出回ってから、彼は「花泥棒」と呼ばれ始める。国語総合の授業で、花盗人の話を先生がちょろっとしたことで、誰かが思いついたあだ名なんだとか。


 ――そういう噂話を、桜子は以前、物陰からそっと盗み聞きした。


〝花泥棒の妹〟の目の前で堂々と彼の話をしようとする人はいなかったし、そもそも桜子には個人的な話をするような友人がいなかったのだ。 


〝紫ノ姫〟の扱いは、きっと難しい。クラスメイトの誰も彼もが花泥棒にまつわる噂を信じて、彼に大切なものを壊されるのを恐れて、腫れ物に触るように桜子に接する。


 高校生になっても友だちらしい友だちができなくて、寂しくないわけではない。けれども小中学校でも友だちはいなかったし、今は大好きな花泥棒先輩がいるから、幸せだと思っている。


 入学式の日に初めて彼の家に行って、その夜そのままお泊りした。本当は契約を結ぶのは一旦保留にして帰りたかったのだが、人身事故の影響で、桜子が帰宅に使う電車が止まってしまったのだ――と、先輩に嘘をつかれた。先輩が見せてきたフェイクニュースの画像を、桜子はまんまと信じてしまったのだ。


 お試し期間だと思って泊まれば良いと言う先輩に流されて、なあなあとごはんを食べてお風呂に入った。わざわざ入学祝いだと言って苺のショートケーキを用意していたから、いま思えば、もとから泊らせる気だったのだろう。計画的犯行だ。


 そして夕方頃、学校から連絡メールが届いた。露出狂が出たが、通報によりすぐに捕まったとの内容だった。そいつが出たのは桜子の家の近くだったらしい。

 そのメールを読んだとき、思わずぞっとした。先輩の家に上がらずに真っ直ぐ帰っていれば、桜子は本当に露出狂に遭遇していたかもしれない。そのことを言い当てた先輩を恐ろしくも思ったが、彼のおかげで無事でいられたことを考えると、感謝してもしきれないだろう。彼のおかげで、桜子は嫌な目に遭わずに済んだ。


 そのときに、きっと先輩の存在が、〝私を助けてくれたヒーロー〟として刻まれたのだと思う。彼に恋をしてしまう理由は、いたるところに散らばっていたのだ。


 夜には先輩おすすめの少女漫画を読んで、彼の隣で眠った。ちなみにそのとき読んだのが妹キャラが出てくる漫画で、それを参考に桜子は〝花泥棒の妹〟の演技をしている。

 

 美味しいごはんと温かいお風呂、優しい先輩。あの契約は桜子にとって好都合なもので、彼と一緒にいることに居心地の良さを感じて、出会った次の日には、もう花泥棒先輩と正式に契約を交わしていた。


『桜子ちゃんは、ただ一年間、俺のそばにいてくれれば良い。嫌なことはしなくて良いけど、「何もしなくて良いよ」って言われたらそれはそれで辛いでしょ? だから〝お嫁さん〟のつもりで、毎日この家で暮らせば良いの。うーん、なんて言えばいいんだろ。ふたりで支え合って生きてこう、みたいな? お金はあるから大丈夫。ふたりで一緒に、仲良しの兄妹と夫婦になろうよ』


 契約内容を説明するとき、彼はそう言った。


 契約を結んだことを、後悔しているつもりはない。でも、まったく後悔していないかと問われれば、きっと即答できない。


 花泥棒先輩への恋は甘くて幸せで、けれど同時に苦くてつらいのだ。


 初めて会った日から、おんなじベッドで眠った。さすがに一緒に寝るのは嫌だと拒否したのだが、彼は『桜子ちゃんが手繋いでくれないと不安で寝れないの』と言ったのだ。


 今まではどうしていたのかと問えば、睡眠導入剤を持ってこられた。薬に頼りすぎる生活の問題点を彼が述べはじめたら、もうお手上げだ。自分なんかが隣にいるだけで安眠できるならどうぞ、とあっさり彼に身を差し出した。


『桜子ちゃん、大好き。死なないでね』


 その言葉を最初に言われたとき、『死にませんけど?』と返したものだ。


 彼に毎日愛を囁かれる。けれど桜子は、彼には他に愛する人がいるのだということを知っている。


 だって、彼は言ったのだ。『俺の名前は呼ばないで』と。なぜかと問うたら、『名前で呼ばれると、前に付き合ってたときのことを思い出してつらいから』と言われた。


『俺は遊び人の花泥棒。……だから、俺に恋なんてしちゃ駄目だよ』


 彼は自ら告白した。自分は、いろんな女の子とセックスするようなクズ男なんだと。


 彼は前に付き合っていた彼女のことを想っている。彼はいろんな女を抱きまくる遊び人だ。


 そんな人を、なぜこんなにも好きになってしまったのだろう。授業に集中できずに彼のことばかりを見つめて想ってしまうなんて、まさにこいわずらいだ。


 トンッと、何かが机を叩く音がした。


「なあからめせそ」


 予想以上に近くから聞こえた声に驚き、ばっと前を向く。そこには、桜子のクラス及び国語総合の担任である中年女性教師、唐田からた先生が立っていた。能面みたいな顔をした先生が、死んだ目でこちらを見つめている。


 なあからめせそ。何かの魔法の呪文かとしばし思ったが、黒板を見て、何と言われたのかようやく理解した。


「……すみませんでした」


 ぽつりと呟き、頭を下げる。無言で頷いた先生はシャーっとカーテンを引いてから、授業を再開した。


 な起こしたてまつりそ。お起こし申し上げてはいけない。今やっているのは「ちごのそら寝」で、これは禁止の表現だった。


 な傍目あからめせそ。わざわざ古文で注意してきたところはちょっとムカつくが、まあ授業中によそ見していた桜子が悪いという自覚はある。


 クリーム色のカーテンのせいで、もう先輩の姿は見えない。窓際の席になってあずかった恩恵は、あっさりと手から離れた。


 な傍目あからめせそ。恋人でもないくせに、この言葉を花泥棒先輩にも言ってやりたくなってしまった。


 浮気するな、って。本当に私のことが大好きなら、他の女なんて抱かないで、って。


 そう、言えたら良いのに。



❀ ❀ ❀



 花泥棒先輩と腕を組み、朝に彼が結んでくれたツインテールを揺らして、桜子は家へと帰る。


「あのね、お兄ちゃん。今日、さくらのクラス席替えしたんだー」

「窓際の席でしょ? 体育のとき俺も見てた」

「え、そうなの!? さくら、大好きなお兄ちゃんのこと見つめてたら、先生に怒られちゃった」

「大好きな桜子ちゃんが見れなくなって、俺も寂しかったよ」

「ふふふっ。私たち両思いだね、お兄ちゃん!」

「うん、桜子ちゃん大好き」

「さくらも、お兄ちゃんのこと大好き!」


〝花泥棒の妹〟のときは、こんなに気兼ねなく言えるのに。



「……花泥棒先輩」

「うん、なに?」

「……なんでもないです」

「そっか」


 家に帰ると本当の恋心を知られるのを恐れて、そんなこと言えなくなる。今日も体は結ばれない。


「桜子ちゃん、大好き。死なないでね」

「はい、死にません」


 当たり前に口にするようになった、この言葉の意味を、いつしか考えなくなっていた。けれど彼の泣き顔を見ると、また桜子は思い出す。


 夜中にふと目を覚ますと、先輩が泣いていた。夜中に彼が泣くのを見たのは、これで三回目。白い睫毛から真珠のような涙が落ちて、桜子はこっそりとそれを拭う。彼が寝言を呟いた。


「ごめんね……助けられなくて、ごめんね……」

「……」


 初めて彼が夜中に泣いているのを見た次の日、花泥棒先輩は教えてくれた。『好きな人が死んじゃったことがあるんだ』と。


 花泥棒先輩はきっと、今もその人のことを想っている。たぶん、前に付き合っていた彼女っていうのは、死別してしまったその人のことなんだろう。桜子は彼女の代替品なのかもしれない。


「桜子ちゃん……」

「他の女のこと想いながら、私の名前なんて呼ばないでください」


 小さく呟く切ない文句は、花泥棒先輩には聞こえない。彼は夢のなかで、「死んじゃった、好きな人」のことを想っているから。


 彼を抱きしめて、桜色の髪を撫でる。


「もう死なないから、大丈夫ですよ」


 彼の首元に顔をうずめて、愛しい匂いに包まれて、桜子はまた眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る