第8話 甘味のあとの苦味は前より苦い

さらってごめんね」

「誘拐は犯罪ですよ」

「ごめん、好きなの注文して良いよ」

「いらないです」

「じゃあ適当に注文しとくね」

「はぁ」


 学校近くの洒落じゃれた喫茶店に連れ込まれた桜子は、ピンク頭の変な先輩と向かい合って座っていた。あからさまに不機嫌な表情を貼り付けて、ニコニコ笑顔の彼を睨みつける。


「桜子ちゃん、俺と一緒に暮らそう?」

「は?」


 あまりにも突飛な提案に驚いて、ついつい思いきりドスの利いた声を出してしまった。これは正真正銘の不審者だろうかと、いつでも通報できるようにスマホを構える。


 彼は呑気のんきに店員さんを呼んで、いろいろと注文を始めた。店員さんが去っていくと、彼はまたこちらに向き直る。


「――で、桜子ちゃん。俺と暮らさない?」

「いや、突然なんですか。通報しますよ?」

「まあまあ、そう怖がらないで。俺、桜子ちゃんのこと大好きなんだから」

「今日会ったばかりなのに、私の何が好きだとおっしゃるのです?」


 スマホをぎゅっと握り締めたまま、目の前の変人を睨みつけた。彼はニコニコ笑顔のまま、桜子を見つめている。


「きっかけは一目惚れ。顔がめちゃくちゃタイプだった」

「どストレートに言いますね」

「入試の日に桜子ちゃんを見かけて、可愛い子だなって思った。それで春休み中に、桜子ちゃんとの相性を占ってもらいに行った」

「いや、キモいんですけど」

「相性ばっちりだって」

胡散臭うさんくさい」


 これ以上は付き合っていられないと、さっと席を立った。けれども彼に手首を掴まれたせいで、またもや逃げることができない。


「本当に通報しますよ?」

「今日は帰さないよ」

「いや、恋人でもないのにそんな台詞言われても。……帰らないと、両親が心配するので」

「嘘つき。帰ってもひとりのくせに」


 はっきりと言い切るその言葉に、思わず固まった。親のことを言えば帰してくれると思った桜子の考えは、どうやら甘かったらしい。


「ひ、ひとりじゃない、ですよ?」

「いいや、ひとりだ。桜子ちゃんが家に帰っても誰もいない」

「なぜそんな――」

「今日は、家に帰ったら駄目なんだ。桜子ちゃんの身が危ない」

「……どういうこと、ですか?」


 ただ引き止めるためだけの嘘にしては、彼の表情はあまりにも真剣で、声には心配と焦りが宿っているようだった。


「とりあえず、座って」


 仕方なく、もう一度彼の前の椅子に座る。先程までの険悪な空気におろおろしていた店員さんが、そそくさとコーヒーやケーキを置いていった。


「はい、桜子ちゃん。カフェオレと、桜のチーズケーキ」

「食べませんけど?」

「でもこういうの好きでしょ?」


 そう言われて、目の前に差し出されたコーヒーとケーキに視線を向ける。牛乳がたっぷり入った甘そうなカフェオレと、桜の塩漬けが載った薄ピンク色のチーズケーキ。


 たしかに桜子の好みに合いそうなものだが、こんな変人が差し出したものを大人しく食べるわけにもいかない。しかし美味しそうなのは事実で、昼過ぎである現在、ちょっとお腹が空いていることも事実だ。どうしようかと、しばし悩む。


「……毒見してくれたら、食べます」

「毒見?」

「睡眠薬とか入ってたら困りますから。先輩が少し食べてみてください」

「それで納得してくれるなら、まあ良いよ」


 先輩にカフェオレとチーズケーキを差し出して、試食をさせる。彼は平然とカフェオレを飲み、チーズケーキを食べた。


「普通に美味しいよ」

「そうですか。では頂きます」


 先輩からそれらを返してもらい、恐る恐る口をつける。特に変な味はしない。


 カフェオレは、やっぱり甘くて美味しかった。大部分が牛乳や生クリームでできていて、コーヒーは香り付け程度の、子どもでも飲めそうなものだ。甘みと温もりに、ほっと心が癒やされるのを感じる。


 チーズケーキは、桜の華やかな香りとなめらかなクリームチーズのほどよい酸味の組み合わせがよく合っていた。底に敷かれたしっとりとしたビスケットはきっとたっぷりのバターが使われていて、ほんのちょっぴり塩が効いている。これもまた美味しかった。


 桜子がケーキを食べるのを、彼は微笑みを浮かべて眺めている。その視線を意識すると、なんとなく居心地が悪くなってきてしまった。


「……で、結局なんなんですか?」

「今日、四月七日。桜子ちゃんの家の近くに露出狂が出る。このまま家に帰ると桜子ちゃんはそいつに襲われかけて、それがトラウマになる」

「はあ」

「それだけじゃなく、桜子ちゃんがひとりでいるとすごく危険なんだ。占い師の人が言うには、桜子ちゃんは『今年すごく死にやすい』んだって」

「へえ」

「……だから、俺と一緒に暮らそう?」

「今のところ、先輩が一番私にとって危険人物なんですが」


 甘いケーキの後だからか少し苦味が増したように感じるカフェオレを飲みながらそう返すと、先輩は、情けなくへにゃりと桜色の眉を下げた。


「俺、桜子ちゃんのこと好きなの」

「はい、それはどうも」

「好きな子のこと守りたいのは当然でしょ?」

「何かあったらまず警察か消防です。先輩の出る幕はありません」

「警察が助けてくれないこともあるって、桜子ちゃんだって知ってるでしょ?」

「……先程から、なぜそんな知ったような口ばかり利くのですか」


 今日、それもたった数十分前に初めて会った相手のことだ。それなのに、なぜこんなふうに、あたかも知っているかのように喋るのだろう。


「俺は、桜子ちゃんのこといろいろ知ってるよ」

「ストーカーなんですか?」

「うーん、どっちかって言うと超能力?」

「あっそ」


 超能力だなんて馬鹿馬鹿しい。高校生にもなって、そんなことを信じるとでも思っているのだろうか。


「桜子ちゃん、これからバイト始める予定でしょ?」

「そうですね」

「バイト始めたら、セクハラとパワハラに悩まされるよ」

「それは大変ですねー」

「だからそんなことで苦しまなくて済むように、俺が養ってあげる」

「そのお金はどこから出るのでしょうね」

「金ならあるし、桜子ちゃんと暮らすための家ももうある。……だから、契約しよ?」

「…………契約?」


 うんうんとおざなりに聞き流していたが、「契約」というワードに首を傾げた。なんというか、こんな不審者から「契約」なんて真面目そうな言葉が出たことに驚いたのだ。


「ようやく真面目に話聞いてくれるの?」

「真面目な話なら聞きますよ」

「じゃあ俺の家で話そう?」

「ここではできない話ですか?」

「実際見てみたほうが、わかりやすいじゃん」

「まあそうですね」

「じゃ、食べ終わったら行こう」

「……わかりました。変なことしてきたらぶっ殺しますね」


 そう言うと、先輩は驚いたように目を見開いて、ぱちぱちと瞬きをした。言葉のあやのつもりだったが、さすがに『ぶっ殺します』は物騒だっただろうか。


「あれ? 本当に来るの?」

「行かないほうが良いなら行きませんけど」

「いや、来てほしいけど。……尖ってる時代の桜子ちゃんだから、断られると思ってた」

「なんですか『尖ってる時代』って」

「ツンツンしてて可愛いってこと」

「……ごちそうさまでした」


 チーズケーキを食べ終えて、両手を合わせて礼をする。まだ残っているカフェオレを飲みながら、アイスコーヒーをストローでクルクルとかき混ぜている先輩を見据えた。


「何か問題が起きたら、遠慮なく通報しますから」

「うん、わかってるよ」


 そうしてコーヒーとケーキを奢ってもらった桜子は、のこのこと花咲先輩に付いていった。別に餌付けられたわけではなく、どうにでもなれと軽い気持ちで来たわけでもない。


 単に自分にとって都合の良い展開になるのなら、利用してやろうと思ったまでだ。桜子に不利な「契約」なら結ばなければ良い、納得できるものなら結んでしまえば良い。


 結局のところ桜子は、楽に生きることができるなら儲け物だと思って彼に付いていったのだった。


 やはり男に寄生して生きている母と同じ血が流れているのだなと思いながら、彼の半歩後ろを歩いていた。

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