第5話 アイスクリームは正義

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」


 それぞれ手を合わせて、夜ごはんを終わりにする。


 食器洗いは基本的に先輩の担当で、彼が洗い物をしている間に桜子がお風呂に入るというのが、よくある流れだ。


「私、お風呂行ってきますね」

「うん、いってらっしゃい。溺れないように気をつけてね」

「溺れませんって」

「何かあったら呼んでね。上がったらアイス食べよう」

「はい。じゃあ、いってきます」


 彼は毎日のように、桜子がお風呂で溺れることを心配する。それ以外にも何かにつけて、彼は桜子の心配ばかりしている。



 脱衣所で服を脱いで、ぽいぽいと洗濯籠に放り込んだ。


 洗濯は桜子の担当で、二日に一回まとめて夜に洗って干している。ちなみに今日は洗うほうの日だ。乾いた洗濯物は彼が取り込んで畳んでくれることになっているのだが、最近ふたりはそれを巡って、とある攻防戦を繰り広げている。


 ずばり、〝桜子ちゃんの下着を誰が片付けるか戦争〟だ。


 あの変態花泥棒先輩は、自分が洗濯物畳みの担当ゆえに下着を畳む権利があると主張し、日々桜子の下着を畳むことを狙っている。


 一方の桜子は、恥ずかしいからそれは無理だと断固拒否し、洗濯物を干している日には帰宅したら秒で自分の下着をむしり取っている。


 いまのところは桜子の全勝。ネットに入れて干しているから、一度も見られてもいない。


 そんなに見たいなら抱いてみろと言いたいが、彼は桜子のパンツには興味を示しても、体には興味がないらしい。意味わからん。変態め。でも好きだ。



 曇りガラスの扉を開けて、お風呂場へと入る。


 この家のバスグッズは、ほとんどみんな同じシリーズで揃えたホワイトフローラルの香りだ。


 シャンプー、コンディショナー、ボディソープに加えて、髪や体のケアに使うものが、馬鹿みたいにいろいろと揃えられていた。ヘアマスクだのボディスクラブだの、この家に来るまでは名前すら聞いたことがなかったものたちだ。


 あと桜子は使わないが、彼が髪を染めるのに使うピンクシャンプーも置いてある。何日かに一回使っているようだが、爪や指先に付いてしまった色を自分で落とせないと、彼は「桜子ちゃん、お手伝いして?」とあざとく頼んでくる。


 彼の手に思う存分触れられるその時間が、桜子はけっこう好きだった。筋張っていて大きなたくましい手に、いちいち胸がキュンとする。


 お風呂上がりに使う保湿グッズも、化粧水だけでなく、ゲルにパックにオイルにミルクにジェリーにと、よくここまで買い揃えたなというくらいの品揃えだった。


 彼と暮らすまではリンスインシャンプーと石鹸と化粧水で生きてきた桜子は、初めてこの家に来てそれらを見たときには、思わず震えた。ピンクシャンプー以外のあれやこれやはすべて桜子のために買ったのだと聞いたときには、思わず「ぞえっ?」と変な声が出た。


 ホワイトフローラルの香りに包まれて髪や体を洗い、ぽちゃんと湯船へと入る。


 入浴剤はいろいろなものが個包装で買ってあり、ふたりで交互にその日のものを選んでいる。


 今日は彼が選んだ日で、お湯の色は鮮やかなブルーだった。リラックスできる気がするこの香りは、たしかパッケージには「海の匂い」と書いてあったと思う。実際の海は塩辛い匂いな気がしたが、まあニュアンスが海っぽくて色が海の色だからそれで良いのだろう。かき氷のブルーハワイと似たようなもんだ。……ちょっと違うだろうか。


 温かいお湯の中でのびのびと足を伸ばしながら、ふと、こんなに贅沢に暮らしていて良いのだろうかと不安になった。


 花泥棒先輩曰く、彼は桜子に「ひとれ」したらしい。また、桜子は「今年すごく死にやすい」らしく、ひとり暮らしをさせるのは心配だからと、彼は契約を持ちかけてきた。


 学校で〝妹〟を演じて、家では〝お嫁さん〟のように一緒に暮らす代わりに、彼に生活を保護してもらえる一年契約。


 今の生活はものすごく幸せで、彼が他の女だけを抱いていることに嫉妬する以外は、嫌なことなんてひとつもない。彼は桜子を抱かない以外には、惜しみなくあふれんばかりの愛を注いでくれる。


 けれど桜子はあまりにも、与えられすぎていると思うのだ。愛されるのは嬉しいが、こんなにも愛されるような理由は身に覚えがない。一目惚れをしただけの相手にこんなに尽くすなんて、にわかには信じられなかった。彼はもっと何かを考えて、桜子をそばに置いているはずなのだ。


 彼に求められる本当の理由。それは何だろう。


 そして、桜子は何か、大事なことを忘れてしまっている気がする。



❀ ❀ ❀



「先輩、お風呂上がりましたー」


 彼が買ってくれた苺柄のサテンのパジャマを着て、桜子はリビングへと向かった。


 お風呂上がりなので、今度は先輩が桜子の髪を乾かす番だ。先輩は桜子の黒髪にヘアオイルを塗って、根本から優しく丁寧に乾かしてくれる。おそろいのホワイトフローラルの香りが、また部屋に漂った。


「――終わったよ、桜子ちゃん」

「ありがとうございます、先輩」

「うん、じゃあアイス食べよっか」

「はいっ!」


 彼がアイスを冷凍庫から出してきてくれて、ふたりでソファに座ってカップの蓋を開ける。


「やっぱ、綺麗なハート型ってそう簡単に出ないもんだねー」

「そうですね」


 蓋を開けたときにときどきハート型が現れるという、このメーカーのアイスの写真が、ちょっと前にSNSで話題になっていた。製造過程で偶然にできるもので、いろいろな種類のハート型があるらしい。


「まあ、私は美味しければなんでもいいですけど」

「アイスクリームは正義」

「それなです」


 アイス好きの同志として、とんっとグータッチをする。


 熱伝導の良いアルミ製のスプーンを突き刺し、ひとくちのアイスをすくった。それを口に入れるやいなや、桜子はふわんと笑みを浮かべる。


 王道のクッキーアンドクリームは、やはり美味い。甘みのなかに苦みもある、ほろりと崩れるココアクッキーの食感がアクセントになって、バニラアイスと相性抜群だ。舌鼓を打って、パクパクとアイスを口に入れていく。


「桜子ちゃん」

「はぁい?」

「ひとくち交換しよ?」

「了解ですー」


 桜子は自分のアイスのカップを、先輩に渡そうとした。カップごと交換して、相手のアイスをひとくち掬うやり方だと思ったのだ。しかし彼はふるふると首を振ると、自分のスプーンで自分のアイスを掬い、それをついっと桜子の口元に寄せてきた。


「はい、あーん」

「またですか」


 と言いつつ、桜子はぱくりと彼のスプーンに食らいつく。


 やっぱり、ストロベリー味も美味しい。この果肉感と、甘さの中に爽やかさを感じさせる優しい酸っぱさ。可愛いピンクの色合いも高評価だ。


 アイスを食べてにこにこ笑顔の花泥棒先輩も可愛くて、めちゃくちゃに幸せだなと思った。


「おいしいです」

「良かった」

「はい、先輩。あーん」

「あーん」


 今度は桜子がクッキーアンドクリームを掬って、彼の唇に運んだ。


「おいしいね」

「はい、おいしいです」 


 こうしていると、本当にバカップルみたいだ。アイスはひんやりと冷たいが、心はぽかぽかとあったかい。


 先輩にそっと寄りかかって、またアイスを口にする。こんな時間が、ずっと続けば良いのにと思った。

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