第15話

 洗い場で無意味に手を濯いでいると扉が開く。鏡越しに、能登幹が疲れ切っているのが見えた。


「酷い顔をしているね。舌でも火傷したかい?」


 そんな理由でない事は分かりきっていたが、冗談の一つでも言ってやらないと参ってしまいそうな項垂れ方をしているため、慈悲として口悪く訊ねる。すると案の定、能登幹は微笑し、諸手をひらひらと浮かべるのだった。


「彼女達の話は聞き疲れたよ。公園にでも行って、空を眺めたい」


「詩的な事だ。そういえば君、よく空を眺めているけれど、そんかに好きかい?」


「そうだね。空は自由でいい。邪魔なものは何もないから、憧れるよ」


「自由ね。飛行機は飛んでるし、アレルギーを引き起こす物質が飛び交うような空が自由とは、僕は思えないけれど」


「それはペシミズムだ。そんなんじゃ疲れちゃうよ」


「少なくとも今の君よりは精気のある顔をしているんじゃないかな」


 乾いた笑いが反響する。なんだかんだで同室のよしみ。共に過ごすうちに多少なりとも気心は知れてきたし、仲も深まっていた。食えない奴なのは変わらないが、当初から抱いていた忌避感はもうなく、顔を合わせれば会話をするくらいに打ち解けてはいた。


 しかし、能登幹と話すと何か心に引っ掛かる。それはかねてより抱いていた嫉妬心の影響もあるのだが、それ以上に感情的な、もっといえば生理的な違和感を覚えるのだ。嫌悪でないとはいえ気持ちのいい感覚ではなく、肌を泡立てる直前のような、肌の下から虫が騒めくような、そんな怖気が神経を走るのだ。


「どうかしたのかい?」


「いや……」


 僕は能登幹の問いに答えられなかった。奴に嘘をつくのも、本当の事を言うのも、なんだか憚られた。

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