いつか星がきらめいて
佐藤大翔
いつか星がきらめいて
いつか見えなくなってしまったものってあると思う。
ばばちゃん家のお仏壇の前には、私に笑いかける誰かがいた。お父さんがお酒を飲んでポヤポヤしている時は、お父さんの頭の上にはくるくる回る妖精さんのような何かがいた。近所の神社の池の中にはキラキラ光る、魚ではない不思議な生き物が住んでいたし、毎晩布団をめくって楽しい場所に連れてってくれたともだちだっていた。
「かの、昨日の夜のお星さま、甘くておいしかったね」
「めいせばっかり食べていたよね。かのの分まで食べて、ほんとうに食いしんぼうなんだから」
そう言って、お母さんが起こしてくれた朝、布団にくるまってクスクス笑っていたのだ。あんたたち夢の中でも仲良しなんね、って呆れられたっけ。
そう、一つ下の妹とは、何故だか同じ世界を、夢を共有していた。
幼い頃見た夢はきっと現実の生活と地続きになっていたし、名前の思い出せない大好きな友人も私たちにはいた気がする。彼の名前も、彼女だったかもしれないが、残念ながら、大人になってしまった私には声も姿も思い出せないし、夢の中のお話だったんだろう、なんて風情もなく思ってしまっている。
それでも、きっとあの頃の私たちは不思議な世界と隣り合わせで生きていた。
お母さんの古い手帳は時々変わった記録が残されている。
〇六・三・二
叶星と明星は夢の中でいっぱい話しているらしい。
この時私は3歳になるちょっと前。妹の明星はやっと1歳になったところだ。会話なんてまだ出来ない。
〇七・八・十五
子供たちが仏壇の前をじっと見ていた。頭の白いおじいちゃんがニコニコしているらしい。多分、死んだじいちゃんが見えているんじゃないだろうか。
お彼岸、お盆に祖父母の家に行くと決まって仏間に入ってからしきりに手を振っていたらしい。理由を聞くと「じじがいる」とのこと。だんだん手は振らずにニコニコするだけになったとのこと。いつからかただ手を合わせるだけになった。
〇八・四・八
叶星と明星の言うキラキラさんっていうのは甘くて美味しいらしい。星型でキラキラしているんだとか。
〇八・六・十九
明星は七夕池にお友だちがいるらしい。魔法使いのお魚の仲間らしい。
〇八・六・二十一
叶星も七夕池のお魚と遊んでいるらしい。池の底に国があるみたい。
この年の手記はとても多い。私と明星は、自分たちの見ている世界は、みんなが知っていると思って、大人にも話していた節がある。子どもの想像活動は現実とごちゃ混ぜになっている、それが子どもらしいこと、なんだとか。
でも、あの日の鮮やかさを思い出すことは出来ないのだ。
手帳の向こうの私の目。星屑がきらめいて、姿の見えない彼らと一体どんな思い出があったのだろう。
見えなくなってしまった不思議を思いながら、今日も私はゆっくりと眠る。
十二・七・七
叶星が流れ星の掴み方を忘れたと起きたと同時に泣いていた。
十二・九・八
明星が春からずっと叶星と会えない、キラキラさんをかのは見てくれないと言う。
十五・十一・二十三
夢を見ても思いだせない。大事な何かが思い出せなくなったと明星が言う。
夢ならば、夢のままで。あの日見た夢の続きに「また後で」が来るまで、一緒に眠りにつこう。大人になれば、瞳に星が瞬く夜を思い出すのは難しい。
***
「せんせ、今日の昼休みはサッカーするよね?」
「ちがうよ。今日もオレと一緒に鬼ごっこするんだよ」
「ちがーう!せんせーは今日のお昼は教室で女子会するんだよぉ。ルナたちとお絵描きするの!」
「「「せんせい、誰と遊ぶの!?」」」
ああ困った。小学3年生の元気舐めていた。
私だって出来ることならみんなと遊びたい。一人一人目を合わせてお話ししたい。クラスのみんなと仲良くなりたい。サッカーもしたい。鬼ごっこもしたい。お絵描きもしたい。だけど!体は3つに分かれない!!
「笹川先生は……今日はみんなに紙芝居読みたい気分かも〜」
私の周りの3年2組の子どもたちが急に目をキラキラさせた。
「紙芝居!?何読んでくれんの!?」
「リクエスト読んでくれる?」
「図書委員長より上手?担任の山田せんせいよりおもしろい!?」
わぁ〜、何とか今日もケンカにならずに乗り切れそう。
「みんなのおすすめ、図書室行って選ぼうか。教育実習生だけどきっと山田先生より上手に読めるぞ〜」
「笹川先生は山田先生みたいにおじさんじゃないもんね!」
「確かに!お母さんより若い。お姉さんだもん」
「……笹川先生フレッシュだよ〜。教育実習生は大学生ですから〜」
あ、これはもしや、無限の体力だと答えたようなものかしら……?
子どもはなぜ、若い=面白い、の考えになるのだろう? 元気でいっぱい遊んでくれる先生だから、なのかしら。担任の山田先生よりも、実習生の若い先生は友だちに近い、みたいなイメージなのかしら。
まあ、考えたところで答えは出てこない。子どもたちは私にとっては不思議星人なのだから。
「笹川せんせー! 早く行くよぉ! のろのろしていると置いてっちゃうんだからね!!」
「こらー! 廊下は歩きなさー……って」
言い終わらないうちに、子どもたちの姿はもう無かった。
本当に子どもって気まぐれだ。自分もついこの間までは立派な「子ども」だったはずなのに、全然理解が追いつかない。
「なんで私、子どもだった時のこと忘れちゃっているんだろ」
うーん、と首をかしげてみる。自分がランドセルを背負って走り回っていたのは、つい最近だったように思えるけれど。
「先生、多分忘れてないよ。見えないふりしているだけなんだよ」
キュッとジャージの袖が引っ張られる。振り向くと3年2組の子どもが2人ニコニコしながら立っていた。
「昴さんと北斗さん?」
「あ、先生、名前覚えてくれたんだ! あっているよ」
4つの黒目がちな目がキラキラと光った気がした。それがすごく懐かしいように感じた。
「大人は見えないふりが上手だけど、先生、笹川先生は多分見ないふりしているけど、見ないふりしてない、と思う!」
「出来てそうで出来てないっぽい」
くすくすと2人は笑った。内緒話でもするようにこっそりと笑った。
ますます分からない。見えないふりなんてしていない。私は全部見えている。目に映ったもの全部をちゃんと見ている……はずだ。
「昴さん、北斗さん、先生は何を『見てないふり』しているのか教えて欲しいな」
「んー、夢?」
「夢じゃない?? そうだよ、夢を見れていない」
2人はキャッキャと2人だけで話を完結している。私は何もわからないままだ。置いてけぼりで、謎は謎を呼ぶ。
「夢って何のこと? 寝ている時の?」
「寝ている時のだけじゃないよ。『夢』はもっとずっと、ずーっとあるじゃん」
「え?」
「先生、オレたち、そろっと校庭行きたいんだけどいい? 全然『夢』の正体気付かなそうだし!」
「いや、ちょっと待って」
「じゃーね!」
走って目の前から消えかかる昴さんと北斗さん。待って、って2人の肩に手を置く。
もやもやのままだ。寝る時に見る夢。いい夢見ろよ、みたいな。将来の夢。私の夢は、みたいな。他に何があるだろう。ずーっと長い夢。見ないふりをしているけれど、見ている夢。答えを探して、ぐるぐると頭が回り続ける。
「ねぇ、もうちょっと詳しく教えて」
「でもぉ……」
モジモジと顔を見合わせて2人の子どもは困っていた。
「ごめん、校庭で他の子と待ち合わせ?」
「ううん、今日はやっとお天気だから北斗と2人でコビト探しに行こうって」
「最近雨降りだったから今日は、って。先生、また明日続きのヒントあげるね。よーく考えていてね」
だからさ、またね、って2人は駆け出して行ってしまった。
『夢』って何よ。私は何を見えないふりしているんだろう? 明日、彼らがヒントを出してくれる前に答えが出せるようにしなければ。夢、ゆめ、ユメ。
「……あ!紙芝居読みに図書室行くんだった!」
お昼休みに紙芝居を3つ読んだ。リクエストされた「すてきなケーキ屋さん」と「しゅりけん忍者戦隊」、「かぐや姫は宇宙人」を読んだ。「かぐや姫は宇宙人」は図書室にいた1年生にアンコールされて、2回読んだけど、途中でチャイムが鳴ってしまった。
5時間目の授業は、昼休みにはしゃぎ過ぎたせいでガラガラな声のまんまで、3年2組の子どもたちと「さようなら」を言う時には、かわいそうな声になっていた。子どもたちに笑われて、私もつられて笑ってしまった。
「先生、また明日ね!」
「昴さん、北斗さん、また明日!」
「先生さ、『夢』まだ見れてなさそうだね」
また明日、と言って2人は玄関目指して走って教室を出た。黒目がちな瞳がキラキラとしていた気がする。パチパチと瞬きの度に、星屑が零れるようなきれいな瞳を彼らはしているのだ。
『夢』を彼らは見ているのだ。昴さんの瞳の星屑も、北斗さんの瞳の星屑も、きっと『夢』を見ているから輝くんだ。真っ黒な瞳は宇宙のように、ずっと広くて『夢』まで見られるのだろう。そんな気がする。ちょっと不思議な妄想を胸の奥にしまう。彼ら以外に『夢』を知っている人はいるのかしら。
教室を見渡せば、担任の山田先生だけが机に向かっていて、子どもたちはみんな校舎の外だった。
「山田先生、さっき子どもたちに、私は『夢』を見れていない、って言われたんです。山田先生は子どもたちの言う『夢』を見たことありますか?」
山田先生は口をぽかんと開けて、その後ニッコリ笑った。
「笹川先生は、私と違っていつでも『夢』が見られるようになるさ。まぁ、私もずいぶん前に見たっきりなんだけどね」
なんで山田先生の見た『夢』ってなんだろう。どうして私はいつでも見れそう、なんだろう。山田先生はもう、『夢』を見られないのだろうか。
「笹川先生、子どもの瞳は宇宙を映しているんだよ。笹川先生の瞳も子どもたちから見て、同じように宇宙を映しているように見えたのだろうね」
想像力は止められないし、『夢』も同じように広がり続けるのだろうね、なんて優しく山田先生は語った。今だけは私も3年2組の子どもに思われていたのかもしれない。明日の準備を手伝いながら、彼らの瞳の奥にある星屑をぼーっと思う。
きれい。あの子たちの瞳と同じになれたら、私も『夢』が見られるのだろうか。少しだけおすそ分けしてくれないかしら……
その日の夜は、暗闇に身体を溶かすように眠った。
夢の中で、昼間見たようなキラキラ光る星屑に手を伸ばして、両手で包み込んだ。手のひらいっぱいの星屑は金平糖のようにコロコロと転がる。温かくて、眩しくて、小さい欠片は舐めると甘くて、幸せな味がした。口の中と胸の奥がじんわりとポカポカして、懐かしい声に呼ばれる夢を見た。
「かの、かの。もっと遊ぼう」
昼間聞いたくらいの子どもの声だ。でも、さっき私に「おやすみ」を言ったあの子の声にとても似ている。
「かの、もうおしまいなの?」
私を「かの」と呼ぶのはあの子だけ。ああ、やっぱりだよ。思い出した。「かのせ」も「お姉ちゃん」も小さいあの子はどうしても呼べなかったんだ。私は、笹川叶星は「かの」だった。大きくなったあの子の前でも私は「かの」だから。
「ねぇ、かの。続きはまた後でなの?」
待って、待って。せっかく見られた夢をお終いにしないでよ。ねぇ、
「めいせ!!」
手を伸ばして妹の名前を呼ぶ。ゆっくりと瞼を開けると部屋は暗がりで、二段ベッドの下の段から明星がモゾモゾと起きる音がした。
「なぁーに、かの。呼んだ?」
夢の中で呼ばれた声より幾らか低い明星の声。夢の中は舌っ足らずで、高かった。ああ、さっきまでは私も明星も子どもになっていたのかも。パチパチと瞬きをして、小さな星屑を瞳の奥で転がしながら、また夢の中に私は溶けた。
朝起きると視界がスッキリ鮮やかな気分だった。
小学校に行くと、昨日より子どもたちがもっとキラキラしているように見えた。
「先生おはよ。今日はいい気持ちみたいだね?」
黒いランドセルを揺らしながら北斗さんは言った。ニコニコする彼の瞳は昨日よりずっとたくさんの星が光って見えた。2つの小さな宇宙は私をじぃっと見つめていた。
「先生さ、そろっと『夢』わかった?」
ぽかんとしていると、後ろから小さな少年が走ってきた。北斗さんの大親友、昴さんだ。
「あ、先生おはよう。いいことあったみたいだね!」
「あった……かなぁ? 元気なみんなに会えたのはいいことかもなぁ」
私の答えを聞いて、くすくすと2人は顔を見合わせて笑った。
「ちがーう!『夢』だよ、絶対。オレたちと同じ目ぇしているもん」
「だから君たちの言う『夢』って何さ」
んー!!とうなって、やれやれ顔で北斗さんは話し始めた。
「わくわく、とか、ドキドキ、とか、これおもしろい! 楽しい! すてき! って思うことあるでしょう。そうするとさ、黒目の奥でお星様がね、ピカピカって光るの」
「そんなことある?」
「あ、ほら。先生の目も今ちょっとチカって光った」
確かに、と彼らは私の瞳をじいっと見つめて、くすくすと笑いあった。そんな彼らの目に小さな星屑が輝いた。
こんな不思議なことあるかしら。彼らの瞳の星屑は子どもだからで、私の瞳にも同じものがあるなんて……昨日からのモヤモヤの正体が分かるだろうか。胸の奥がキュッとなって、ゾクゾクとした。心臓の音がいつもより大きく鳴っている気がする。
彼らは興奮したように言った。
「ねぇ! すごい、すごいよ! 先生の目からお星様こぼれちゃう。あぁ、どうしよう! きっと今晩はいい夢が見られる。先生とも夢で会えるのかもしれない!」
二人は手を取り合いながらにこにこしていた。
「ねぇ、ねぇ、ねえ! チカチカ光るお星様って、どこにしまわれているか分かる?」
私が首を横に振ると、昴さんは得意げに、自分の左胸を二回叩いた。
「黒目の奥でずっとお星様は光っていないでしょう。静かにすーっと見えなくなっても、みんな大事にココにしまっているんだよ」
先生、お胸トントンしてみてよ、と昴さんに促されて2回胸をノックする。
「キラキラのお星様がいっぱい詰まっている音がするでしょう。カラカラ転がって、お胸の奥がポカポカするでしょう?」
じんわりと温かくて、心音とは別に、胸を高鳴らせる素敵なものが詰まっている、そんな予感がした。
「あ、わたし、これ知っている」
目の前の世界が一瞬できらめいた。自分の目の奥に星がいくつも流れた気持ち。そう、瞳の奥に流星群がきっと今通った。心臓がドクドクと走った後みたいに早く鳴って、カランカラン、と胸の奥に落ちた。星屑が落ちる音だった。
「満足の気持ちになった?」
そうだ。『夢』はワクワクするもの、素敵なもの。キラキラして、ドキドキして、そして温かく、甘くて幸せな気分になるものだ。でも。
「まだ、全然満足じゃない」
昴さんと北斗さんは口の端をニィと引き、やっぱりね、と心の底から嬉しそうにハイタッチをしていた。
今なら分かる。昼休み紙芝居を楽しみに待っていた3年2組の子どもたちも、アンコールまでした1年生の気持ちですら分かる。子どもたちは不思議星人なんかじゃない。
子どもの頃、世界の全部にワクワクしていた。生活の全てが楽しい遊びで、毎日新しい発見の連続で、わからないことですら面白いの原動力だった。正体不明なんかどこにもない。みんな不思議な仲間だった。
勉強したこと、教科書だけが正しいはずない。風は歌う。残した人参は泣く。かぐや姫は月で幸せになるし、砂場を掘り続ければブラジル人に会いに行ける。
いつの間にか、忘れた振りをしていたのだ。私はずっと『夢』の中にいることを、思い出せない振りをしていたのだ。世界はずっと鮮やかで、宇宙よりも広く深い。まだ、分からないことだらけじゃないか。だって、全部本当か確認してないのだもの!
「昴さん、北斗さん。先生忘れてなかったよ。大人になってもね、目はキラキラするんだよ」
目の前の4つの瞳には満天の星。好奇心の星たちのきらめきは止まらない。
「ねぇ、先生! 今日は何して遊ぼうか!?」
いつか星がきらめいて 佐藤大翔 @soosoo
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