31【合点】三

 鬼壱は緩々と語り、傍らに置いていた黒鞘の太刀を手に取ると、すらりと半分ほど抜刀して見せる。


 そして「きき」と太刀に声を掛ければ、縁側から「おう」と落ち着いた柔らかい青年の声が返ってくるのだ。


 鬼壱を除く全員が、縁側へと顔を向ける。


 広間の片側は庭に面している。その縁側に、いつからそこにいたのか一匹の大きな黒猫がべたりと腹這いになって背中を向けていた。

 長い尻尾がしたりと床を叩く。その尾は先端にいくにつれ、夜明けのような赤銅色に染まっている。

 他に人の姿はなく、誰も「猫がしゃべった」と驚きを言葉にすることもない。


 猫がしゃべることもある。


 この場に座する全員が、そう心得ているのだ。


「あれがぎりです。鬼神の名前は「」」


 鬼壱は太刀を納刀しないまま傍らに置き、ヨズミに向けて「黒服さんに入ってたのあいつですよ」と弐朗たちにはわからない説明をする。

 その説明に「なるほど!」と景気よく指を鳴らしたヨズミだったが、少し間をあけると、「そういえばビィ、どうしたかな」と今更なことを呟くのだ。

 弐朗が「ビィなら居住棟の近くふらついてました。俺がビィの部屋の風呂と服借りて出る時には、床で寝てたんで、ベッドに突っ込んどきました」と答えれば、ヨズミは「ならばよし!」で簡単に済ませてしまった。


 弐朗が猫撫でたさにそわりとヨズミと鬼壱を窺う、その一瞬の隙に、刀子が縁側に移動し黒猫の首裏を掴んで「とったどーー!」とはしゃいでいる。


 弐朗は「いいの!?」と思わず鬼壱を見詰めてしまうが、鬼壱は特に止めるでもなく刀子と黒猫の様子を眺めている。どうやら鬼壱はわりと放任主義らしい。積極的に関わる気力がないだけかもしれない。

 刀子に無理矢理腹やら喉やらを撫でられている黒猫もまた、持ち主に似て無頓着か、刀子の好きなようにさせている。


 一頻り撫でて気が済んだ刀子が「これはよいけだまさま!」と手を離せば、黒猫はのそりと身体を起こして刀子を見上げ、「もういいかぁ?」と確認をとってから、ヨズミと鬼壱の前、鬼壱が皿と湯呑みを避けたテーブルの上にどふりと寝そべった。


「お前が好きに撫でさせるとか、珍しい」

「……懐かしい気配にちと気が緩んだな。手厚く奉られてー…結構なことじゃあねぇか。息災で何よりだ。で、なんだよぅ。鬼使いの荒ぇ奴だな。もう手前で大方説明したろうに」

「お前、俺にも説明してねぇことがあんだろうが。さっきの狂い、切るなっつったの、お前だろ。おかげで俺が真轟さんに「何故抜かない」「切っていいんだよ」「切るところを見せたくないのかな」って散々文句言われちまったじゃねぇか。お前ならあれの始末ぐらい、簡単につけれたんじゃねぇの。あと、地下で何やったんだよ、お前。お前が何かやったから崩れたんじゃねぇの」

「あれは血刀使いの成れ果てじゃあねぇからなぁ。切って仕舞いになるんなら切ってもよかったんだが……なんつぅかな、根深ぇ恨みつらみみたいなもんを感じてな。切って、お前が今以上に呪いだの因果だの背負い込んじまうと、われとしても動きづれぇ。だから切るなと言った。お前だってこれ以上の面倒ごとは御免だろう? 地下では別に何もしちゃねぇよぅ。あっちが我見て勝手に狂いやがったんだ。あれはどうもー…我の気がかんに障ったらしいな。身体借りてた奴じゃあ、どうにも対処できそうになかったから、抜けて鞘に戻った。あのまま入ってたんじゃあ、やり合うことになってたろうな。あれはわわにも噛み付いてやがったし、よっぽど妖刀が嫌いなんだろうよ」

「なるほど。よし」


 よし。なのか?

 今聞き捨てならないこと言わなかったか?


 弐朗は何度も瞬きを繰り返し、ちら、とヨズミと虎之助の様子を確認する。

 どちらかが突っ込むようならこのまま黙って聞いていようと思ったが、二人が口を挟む様子もなく、弐朗は痺れを切らして勢いよく挙手をした。

 ヨズミに「はい、弐朗クン」と指名され、弐朗は視線を奇鬼には向けないまま、ヨズミを見つつ口を開く。奇鬼に視線を向けなかったのに深い意味はない。なんとなく、見てはいけないような、畏れ多いような気がしたからだ。


「今の話聞いてると、なんかあの狂い切ったら呪われる、みたいな感じに聞こえたんスけど、気のせいですかァッ! 面倒ごと背負い込むとかァ! トラッ、お前もなんか言え!」

「何かって、何をですか。別に今更、始末した奴等に呪われようが恨まれようが気にしませんけど」

「気にしろよ! 気にしてください! あ、あと、ポロが血刀使いじゃないってのも気になるッス。あんなに崩れるのはやっぱ狂いとしか思えねぇんスけど。顔グチャグチャでわかりにくかったスけど、犬でしたよね、あれ。あれが血刀使いの成れの果てじゃないなら、なんなんスか」

「我の見立てでは、十中八九ありゃあただの人間だ。妖刀に切られて気配を帯びたか、もしくは憑かれたか。詳しい事情はわからんが、そんなところだろう。あやかしの気配はただの人間には障る。器に収まりきらなけりゃ、あとは溢れるか、器を壊すか。なぁに、我は用心しただけだ。切ったところで大したこたぁねぇだろうよ。そこな使い手は歯も抜いてやがったしなー…供養か? 封か。或いは怨嗟を切る、か。ばっばっこつも昔は当たり前にやってたが、最近じゃとんと見ねぇな。まだそんな風習が残ってるところもあるとはなぁ」

「ホントに? ホントに大したことないんスか? 人間狂わせるようなよくわかんねぇ奴切って、トラも狂いになったりとかないスか?」

「今のところなんともなさそうだしな。だいじねぇ。それにな、狂う時は何してようが狂うもんだ。気にするなィ」

「気にしますよォ!」

「先輩はあれ切ってないじゃないですか。血は浴びまくってましたけど」

「血はお前の所為だろうが!! あと、お前の心配してやってんですけど俺は!?」

「それをお節介って言うんですよ」

「なんだとこのヤロッ。おまっ、おま。……ところでお前、一人だけ何かいいもん食ってない? 肉系の何か。何食った?」

「もうないですよ」

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