不器用なこの後輩は、「隠密とは？」と真顔で聞いてくるレベルで気配が殺せない。

　どちらかと言うと、威圧や覇気で相手を圧倒し、竦ませるタイプだ。

　そんなさわらと目が合い、一瞬にして戦意喪失し逃げ出してしまうのもわからないでもない。

　さわらは女子高生の恰好をしてはいるが、いざ尋常に勝負となれば遠慮なく殺しに掛かる。さわらが殺そうと思ったかどうかはわからないが、その意思に関わらず、殺気に満ちた得体の知れない使い手に目の前に立たれれば逃げ出したくもなるだろう。

　しかし、手ぶら。何も持っていなかったとは、どういうことか。

　手ぶらに見えるほど小ぶりの妖刀の可能性も勿論ある。

　鬼壱の知る限り、最も小ぶりなものは短刀程度のもの。隠し持つことは不可能ではない。

　妖刀は携帯していなければ気配を確認することはできない。読めたとしても使い手の気配、血刀使いのものだけだ。

　ただし、妖刀は実際に刀として物理的に存在しているものであり、使い手は所有者、契約者に限定されることがほとんどだとしても、ただ手に持って運ぶだけなら無関係な人間でも運べる。

　なんなら猫や犬が咥えて運んだって構わない。

　さわらを見て逃げ出した男が、使い手なのかどうかはこの際問題ではない。

　妖刀を持っていたかどうか。

　そこが重要だ。

「ちなみに、目が合ったら逃げたって、どういう状況だったんだよ」

　いつまでも正面に立たせておくのもなと、鬼壱がベンチの片側を空けるよう移動しても、鬼壱から促さなければさわらは座ろうとしない。「座れば？」と声を掛けてようやく、小さく頭を下げてすとんと横に座る。

　と、同時に訪れる重い沈黙。

　深夜の公園で高校生の男女が二人、ベンチに座って何をするでもなく黙り込んでいる。

　傍目にはどう見えてんだこれ、と思わないでもない鬼壱だ。

　こんなところをさわらの保護者に見られたら「責任は取ってもらうぞ六目ッ」と覚悟を迫られてしまう。何の責任を取らされるのかはよくわからない。

　数分黙り込んで思考を整理したさわらは、地蔵のように固まったまま要領を得ない調子で話し始めた。

「……練習試合は目黒の高校で行いました。相手方は、インターハイでは団体、個人ともに当たりませんでしたが、出場していた強豪校の一角です。つつがなく試合を終え、部の方々と街中を移動している時に、駐車場のような場所で五、六人の集団がたむろしているのを見掛けました。その内の一人が、逃げ出した輩（やから）です。目が合ったというか、こちらを見ていたので、自分も集団に視線を返しました。全員男性だったと思いますが、よくわかりません。逃げたのは白いポロシャツを着た方で、怯えた様子でした。その方の肩に腕を乗せていたのが、……なんと言えばいいのか……縮れた……ほつれた毛糸のような髪をした方で。あと、黒縁眼鏡を掛けた方と、もう一人眼鏡を掛けたー…八重歯の目立つ、色白の細長い方、スポーツ選手のような体型の黒髪癖毛の方もいらっしゃいました。あと一人は……。……ああ、顎（あご）鬚（ひげ）の生えた、剣呑な雰囲気の方でした。眼鏡を掛けた色白の方が、自分を見て顔をしかめられたので、もしやと思いました。自分に気付いたと言うことは、使い手ではないかと、そう考えたんです。ですが、自分の未熟な索敵では気配が読めなかったので、少しだけ抜刀してわわさんに確認したところ、「妖刀の気配がある。切って確かめろ」と、こう仰いますので、どうしたものかと考えていましたら、その。ポロシャツの方が仲間の手を振り払って逃げ出されまして。その瞬間、強い気配を肌で感じました。狂いかと。これはいけない、早急に始末せねばと、そう思い……。顧問の矢小島先生もその気配に気付いておられたようです。事情を告げ、皆さんとの別行動の許可を頂き追い掛けようとした時には、駐車場に残っていた方々も全員おらず、わわさんが追えと示されたのが、最初に逃げた方でしたので、あれが妖刀ですかとお聞きしましたら、左様、と。十（じっ）九（く）ですかとも聞きましたが、それには、わからぬ、と答えられました。それでも切れ、と」

「あれが妖刀であろうが十九であろうが、一太刀切り結べば程度も知れる。真に十九であれば我が一太刀も難なく受けられよう、毀（こぼ）れるようならその程度のもの、十九であるはずがない。使い手が死ぬも同義。まともに振るえぬ者が十九を持つなど烏（お）滸（こ）がましい。振るえぬ者にその身を預ける十九もまた愚かしい。そのような者どもまとめて片してしまえ。心配せずとも、手合わせし確認するだけ。そも、十九でないなら用はない、また、狂いでないなら始末する必要もない、その時は見逃してやればよいー…」

「なるほど、一理あると思いましたので、ならば切るべしと追い掛けたのですが。気付けばこんなところまで逃げられてしまいました。昨日の夕方には、この辺りの……地元の使い手らしき気配に邪魔され、なんともいえない嫌な気配を感じたので、いったん引きました。そこでぷつりと対象の気配も途絶え、どうしたものかと悩んだのですが、そういえばこの辺りには評判の良くない集団もいたはずと思い出しまして。逃げられた使い手と妖刀がその一派の手に落ちるのは良くないのではと。わわさんも気になると仰るので、きいちさんに連絡を入れ、自分はここで待機していた次第です」

　さわらは時間を掛け、時系列を追って訥（とつ）々（とつ）と語る。

　それを聞きながら鬼壱は「長ぇ……」と溜息が漏れるのを止められない。

　さわらはその溜息に身を固くしたが、ちら、と公園の入口を見た後は口元を引き結んで難しい顔をするばかりで、次の言葉が続くこともない。

　鬼壱もさわらの視線を追って公園の入口に視線をやり、そこに何もないことを確認してから、黙り込んで座っているさわらの、眉間にしわの寄った横顔を見る。

　まるで固く握った塩むすびだ。ぎゅっとしている。