深夜二十三時。

　少年は人通りの少ない住宅街の公園で、おしるこの缶を手に遊ばせながらベンチに座っていた。

　この辺りでは見掛けないブレザーの制服を、釦（ボタン）は留めず全開にし、中に黒のセーターを一枚着込んでいる。

　ほの白い街灯の灯りを黒髪が円く弾く。少年は前髪を右側だけヘアピンで留め、左は流れるまま眉に掛かる程度で適当に遊ばせている。

　耳にはしっかりとした密閉型の赤のヘッドフォン。

　通学用にしては大き過ぎるリュックは今は背負ってはおらず、片側に無造作に転がしてある。そのリュックの更に横には、黒く細長い竹刀袋。

　秋口といえども、何もせずただぼんやりと夜風に晒されている状態は当たり前に寒い。

　暫くすると、公園の入口に小柄な影が現れた。

　人影はベンチに座る少年を確認し、よどみない足取りで真っ直ぐ歩み寄ってくる。

「きいちさん」

　ベンチの正面に立って声を掛けてきたのは、少年と同じ意匠のブレザーを着た、小柄な少女。

　身長は百五十程、細い手足は年相応の柔らかさも丸みもなく、見るからに筋張っている。スカートの下で真っ直ぐに伸びる足は黒いハイソックスに覆われ、尖った膝と引き締まったふくらはぎから、少女が何かしらのスポーツをやっていることが窺えた。

　肩より少し長い程度の髪を、後頭部の高い位置で固く括っている。

　肩には高校指定のスポーツバッグと、うぐいす色の竹刀袋。

　少女に「きいちさん」と呼ばれた少年、六（りく）目（め）鬼（き）壱（いち）は、少女のくたくたによれたスニーカーを眺め、呆れたように目を細める。

「さわらぁ。お前まさか走って追ったのかよ？」

「は」

「……んん？　それ、聞き返してんのか、肯定してんのか、どっち」

「はい。……、……？　とりあえず返事をしなければと思い、しました。走って追ったかどうか、は。途中までは、走ったのですが。対象が車で移動を始めたようでしたので、自分も途中からは車に。走ったのは、追い始めて数キロ程度かと」

「車って、タクとか？　金かかったんじゃねえの。領収書あるなら、帰ったら近（こん）谷（や）さんに出せよ。必要経費ってことで御（おん）大（たい）に請求できるから。つか、お前もちゃんと追跡とかできんのな」

「いえ。自分では上手く気配が追えなかったので、わわさんの指示に従いました。わわさんはおおまかな方角を教えて下さるので、それを頼りに、信号で停車しているトラック等の荷台にお邪魔しながら」

「……お前、それでよく追えたな？」

　鬼壱はヘッドフォンを耳から首へとずらし、呆れ顔を隠しもせずベンチに深く背を沈めて少女を見上げた。

　どこに向かったか確証もない、姿が視認できているわけでもない対象を、「あっちのほうに行った」というざっくりとした指示だけで何十キロも追い掛ける。普通なら見失った時点で諦めて他の方法に切り替えそうなものだが、県境を越え、こんなわけのわからない田舎まで追い込んだのは、称賛を通り越して嘲笑に値する。

　鬼壱の通う高校の後輩、ひとつ下の二年生である水（みず）芽（め）さわらは、少しというか、かなり要領が悪い。

　今回さわらが一人で対象を追えたことですら奇跡と言って差し支えない程度には、臨機応変な対応ができない、金属のような固さを持っている。

　さわらは何を考えているのか、ちら、と公園の入口を確認するだけで、自分からは特に何を言うでもない。ただひたすら鬼壱の前で背筋を伸ばして立ち尽くすばかり。

　報告しなければいけないことが多過ぎて思考停止してるんだろうなとわかれば、鬼壱は肩を落としながら「で？」と先を促した。

「わざわざ呼び出したからには、確証あるんだろうなァ？　お前が東京行くってんで、絶対何かしらやらかすだろうなって話してたらこれだよ。部活の練習試合ぐらい、サボっても矢（や）小（こ）島（じま）先生怒んねぇだろ。聞いた話じゃ、今年に入ってからヤバいのがいなくなったとかで、あのへん全体的に荒れまくってるってよ。できれば近付きたくなかったんだけどなァ……。もし関東くることあるなら気を付けたほうがいいって、順さんも言ってた。で？　今回の、お前が判断したんじゃねぇんだろ。わわさんは何て？」

　聞かれてようやく、そこの報告からでいいのか、と得心したさわらが口を開く。

「は。妖刀で相違ない、と」

「お前はどう見る」

「わわさんが仰るのであれば、左様に」

「お前自身の見立てはどうなんだよって聞いてんだけど？」

「自分は、」

　ベンチに深く背を預ける鬼壱に真っ直ぐ見上げられ、さわらは言葉に詰まる。

　索敵が不得手な自分の見立てなど、と思いはするのだが、聞かれた以上、答えねばならない。

「自分は、気配はよくわかりませんでした。ですが、わわさんが仰るような……、使い手としては、あまりにも未熟な……分不相応な人物だと、感じました」

「どのへんが？」

「立ち居振る舞いと申しますか。自分と目が合うとすぐに逃げてしまわれたので、対峙したわけではないのですが、手練れには見えませんでした。怯みを、……あ、」

「あ？」

「そういえば、刀らしきものは持っていないように見えました。荷物も。手ぶらでした」

　鬼壱はほとんど無い短い眉をひそめ、考える。