第24話 就職氷河期世代の子たちの、優れていた点。それを見抜けなかった日本の、おろかさ。

 良くわからないたとえが、怖すぎた。

「ちなみに、さあ」

「なんだい、小学生?」

「うちの小学校にきた、給食センターからやってきたっていうおばちゃんに向けてばばあって言ったら、ひっぱたかれた」

 「当たり前だよ」

 「ちぇっ」

 「まったく…あんたの小学校は、どういう教育を、していたんだろうねえ」

 「それ、お父さんとお母さんにも、怒られた。給食センターのおばちゃんにそう言ってやったって教えてあげたら、激オコだ」

 「だから、当たり前だって、いうんだよ!当たり前の、クラッカーなんだよ」

 「クラッカー、なの?」

 「まあ、良い。とりあえず、子どもに注意できるあんたの親は、立派だよ。家庭教育は、心配なさそうだね」

 「そうなの?」

 「いや…立派というのか。子どもを注意するのは、親の教育としては、当たり前なんだがね。しかしねえ、今の、バブリーな社会が続いたら、働かないおじさんたちが生まれてきちゃうだろう?」

 「そうなの?良く、わかんないや」

 「良くわかんなくても、そうなるんだよ!」

 はい。

 神の、当たりです。

 「良いかい、小学生?子どもを注意できるっていうのは、尊いことなんだよ?」

 「そうなの?そんなの、当たり前なんじゃないの?」

 「違う。当たり前じゃあ、なくなるね。あたしの目は、ごまかせない。これから、20年くらいして、あたしが死んだ後くらいで、子どもの数が激減する。先を見通す力がなくなった日本は、少ない子どもを身代金として、貴重だ貴重だ、かわいそうだ、新卒ちゃんと一緒に手をつないで、よちよちちましょうねえという混乱状況に追い込まれる。その横には、就職させてもらえなかった優秀な世代が、うようよいることになるだろう。悲しい話、だよ。だが、優秀な彼らは、就職させてはもらえない。年齢制限っていう黒魔法を、かけられるんだからね」

 神は、見抜いておられました。

 「そんな親は、かわいいかわいい子どもを、注意できなくなる。何とかしないと、日本は、危機的状況に追い込まれるだろう」

 「ふうん」

 「そういうわけだから、子どもを注意できるっていうのは、良いことなんだよ。あんたの子どもなんだから注意できるのが当たり前じゃないかと思われるだろうけれども、当たり前じゃない社会に、変わっていくと思うねえ」

 …神の洞察には、感服いたします。

 そんな神も、鬼籍に入ってしまうのか…。

 「そういう話は、やめようよう」

 「そうだねえ、小学生には、酷だったのかもねえ」

 「それで…さっきの話の、続き」

 「そうだったねえ。スーパーボール遊びを流行らせたのは、アスファルトを普及させるための政治的理由と圧力があったためだと、考えられるんじゃないのかい?どうだ、小学生よ!アスファルトを、何としてでも注目させようとした人たちがいたんだ」

 「…そうなのか?」

 「政治家、さ」

 「ふうん」

 「子どもたちを楽しませたいからと言って、道路工事をさせた。それで、アスファルト道路が普及したんだとも、考えられるんじゃないのかねえ?」

 「ふうん」

 「駄菓子屋遊びは、意外と、政治的なもんだったんじゃよ」

 「何で、その大人たちは、道路工事をさせたの?」

 「そりゃあ…、皆が走りやすくするためっていうのも、あったけれど…」

 「あったけれど?」

 「道路工事をさせればさせるほど、それを計画して実行した人たちに、金が入った。予算って、いうんだけれどね?それが欲しくて欲しくて、工事をさせたんじゃないのかね。今日も、工事。明日も、工事。ひまさえあれば、工事をしてたわい」

 「本当?」

 「ああ。このばばあの店先でも、工事ばかりじゃった」

 「ちぇっ。自分だって、ばばあって、言ってるじゃないか」

 「うるさい、ガキだね」

 「でも、そんなに工事ばっかりして、どうするの?金が、なくなっちゃうじゃないか」

 「真面目なことを、言うんだねえ」

 「ずーっと、工事なの?」

 「そう、クリスマスも大晦日も、工事」

 「金が、減っちゃうじゃないか」

 「金を減らすために、やっていたのさ」

 「なんで?」

 「うひひ。予算をわざと使い果たして、翌年に、新しい予算をがっぽりせしめるためだよ。って、今の子に話してもわからないか。今は、節約の時代になったからね。今の考え方なら、昔は、無駄遣いの時代じゃ。駄菓子屋には、いけんぞ?あんたは、一昔前、年がら年中道路工事がおこなわれていたことを、知らないだろう」

 「…うーん」

 「社会の考えも、変わっていったねえ」

 「…良く、わからない」

 「今の子には、わからないだろうねえ。金を使えば使うだけほめられた社会が、あったんじゃ!あんた、信じられんじゃろう?」

 「うん」

 「正直で、よろしいわい」

 「…」

 「カッカッカ」

 「…」

 「カッカッカ。水戸黄門の、笑い方」

 「え?」

 「小学生は、水戸黄門なんて、知っておるのかのう?」

 「…ああ。全国を、旅した人?」

 「いいや。水戸黄門は、諸国漫遊なんかしておらん」

 「ふうん」

 「鎌倉くらいまでしか、いっておらん」

 「そうなの?」

 「ああ」

 「学校の先生が、水戸黄門は全国を旅していた人だって、言っていたよ?」      

 「学校の先生を、信用したのかい?社会で、笑われるぞよ?」

 「まあ、何でもいいや」

 「社会は、教科書通りではないんじゃぞ?学校教育なんか、役に立たんぞ?役に立つのは、駄菓子屋教室なんじゃよ」

 「ふうん」

 何種類もの駄菓子は、地球ビンなどと呼ばれたガラス容器の中に入れ替えられて、棚に収められていた。商品棚やテーブルは、きれいに拭かれていたようだった。

 が、ところどころに黒い汚れが残されていて、使い込まれた感じが、良く出ていた。

 これぞ、駄菓子屋。

 袋詰めにされた商品には、その1つ1つの袋に、ペンで、値段が書かれていた。

 「これが、駄菓子屋教室なのか!」

 ヒビキは、子どもの心を、取り戻していった。

 ヒビキが子どもだったころは、ゆとりのない、受験勉強の時代だった。

 学校の授業が終われば、また、勉強。

 当時の小学生らが日に日に疲れ切っていくのも、目に見えた時代、だった。そんな疲れていた小学生らの新課題は、こうだった。

 「塾以外の放課後時間を、どう使うべきなのか?」

 その課題を、多角的に解決してくれた1つのツールが、駄菓子屋だった。

 駄菓子屋ツールは、ほぼほぼ子どもたちだけの、特殊空間だった。言い換えれば、子どもたちだけに限定されたユートピアのようでも、あった。

 その狭さがまた、新鮮だった。

 狭い空間を駄菓子で埋め尽くされていたそこは、子どもたちの目には、拡張可能な小宇宙にすら見えたものだった。

 「駄菓子屋は、デザインの利く宇宙だよ!神は1人ではなく、いくつもの可能性によって、闇が解かれていくだろう。ようこそ、ここへ!ここが、君の戦いの舞台だ!」

 「ほう…」

 「ここでなら、何もかも手に入れられて、僕たちの生活は、うっとりするほどの駄菓子で満たされるだろう」

 子どもの頃の、本気の駄菓子屋的な思い出に感動し、驚かされていた。

部屋の中は、宇宙、だった。

 「どうかな?懐かしくなっただろう?」

 男の子が言って、ヒビキは動けなかった。

 「ははは。でもね」






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