第17話 家出の記憶。その、痛みが…。駄菓子屋に、つながるの?
もう、ゆるゆるの神曲を奏でるしか、許されない気がした。
皆が誰なのかを確かめるため、男の子に、ド直球ストレートで迫ってみるしかなかった。
駄菓子屋ばばあとの戦いを、思い出していた。
「君は、誰なんだ?」
あまりに素直な言い方に、自分自身に、嫌気を感じていた。かといって何もできずに、おとなしく、返答を待っていた。
「どこまで、暗闇の夜なんだよ…」
落としそうになっていた視線を、戻していた。
だが男の子は、動じなかった。
「まあ。それは、良いじゃないか」
ヒビキの反応を、上手く、はねつけたのだ。
「君は、誰なんだ?」
「まあ、まあ」
「教えろよ」
「そんなんじゃあ、教えられないな」
小さな子になだめられて、苦しかった。それはそれは、説教のようだった。
「あの日あのときのことを、思い出しちゃったじゃないか…」
「そうか、そうか。あの日あのときの出来事を、思い出してくれたのか」
ヒビキは、家出をして、帰宅してから両親にずいぶんと怒られた子ども時代の夜のことを、思い出したのだ。
「あれは…つらかったなあ」
説教の、嵐…。衝撃的な痛さ、だった…。
「あのさあ」
男の子は、ヒビキをなだめるかのように、また、愛玩動物に狂おしく餌をやるような目つきをしながら、言った。
ヒビキのほうは、嫌でたまらなかった。
「なぜ、そんな目をするんだ?」
そんな声を出すだけで、精一杯だった。
「ヒビキ君?」
「何だ?」
「君は今、家出をしたときのことを、思い出していたんじゃないの?」
「なぜ、それを!」
ヒビキは、影を踏まれたような恐怖の中にいた。
図星、だったのだ…。
「僕には、わかるんだよ」
「わかるって…」
「そうなんだろう?」
「…」
「当たりなんだろう?」
「…」
「やっぱり、そうだったんだな」
「なぜだ」
「なぜ?」
「なぜ、そんなことが、わかったっていうんだよ!」
「やっぱりね」
「なぜだ!」
「ふふふ」
「…」
「ほら」
「…」
「当たりだ」
「何者なんだよ、君は」
「ふん。僕の、正体か」
「そうだ」
「わかっていないよね」
「はあ?」
「わかっていないんだよ」
「何が!」
「決まっているじゃ、ないか。あのとき本当に痛かったのは、ヒビキ君の心なんかじゃなかった、ってことをさ」
ついには、慈悲の目で見つめられる有様だった。
「何だって?」
「あのね。君が、家出をしてさあ」
「…」
「君が家出から帰ってきてからさ。君の両親は、君を叱ったよね?」
「ああ」
「君は、すごく、痛かった」
「そりゃあ、そうだけれど」
「痛かったろうねえ。君の、心は」
「まあな」
「でもね…」
「何だよ」
「ヒビキ君?本当に痛かったのは、誰だったんだろうか?」
男の子は、さらなる慈悲の目を向けてきたのだった。
「何だって?」
「君が家出から戻ってきてね、君の親は、君を叱った。けれどその後は、どうしていたと思うんだい?」
「俺を、叱ったあとか?」
「そうさ」
そのときの夜のことを、懸命に思い出そうとしていた。だがヒビキは、なかなか、具体的なまでは思い出せなかった。
もしかしたら、ヒビキのもつ心のシャッターが、無意識下でその出来事にフタをしていたのかも、しれなかった。
「思い出せないのかい?」
「…」
「じゃあ、教えてやるよ」
「…」
「本当に、思い出せないのか?」
「ああ…」
「君は、ダメな奴だ」
「…」
「君の親は、ね?家の奥で、涙を流していたんだよ?」
「そんな…」
「泣いていたんだよ?」
「本当なのか?」
「本当さ」
「知らなかった…」
「君がつらいのも、わかるさ」
「…」
「でも、本当につらいのは、誰だったんだろうか?」
謎多き、教室。
ヒビキの心が、一層締め付けられた感じになった。
「う…」
「君は、つらかった。でも、親も、つらかった。皆が、つらかったんだ」
「…」
ヒビキの心は、確実に、締め付けられていた。
「何かに、似ているね?皆が、つらいなんて、さ」
「何かに似ている…だと?」
「ああ。つらいよね。今の君なんか、特にね。良い時代に、生まれなかったからね。つらいだろう?悲しいだろう?」
「…」
「とってもとっても、苦しいだろう?」
「…」
「社会には、ね。流れがあるんだよ。良く流れることもあれば、そうじゃないことだって、あるんだ」
「…」
「その流れに、君たちは、乗れなかった。運がなかったよね?」
「…」
「社会を見れば、さ。コースに乗れた運の良い人たちが、いたよね。苦労無しの、バラ色社会人。妖精となって澱んでいく、定年退職世代のおじさんたちの存在を、知っているかい?」
「ああ」
「あの人たちは、いつまで、妖精でいられるんだろうね?」
「さあな」
「あんなのは、最後のファンタジーに、してほしいもんだよな」
「最後のファンタジー、か…」
「あの妖精さんは、家庭に戻って、家族に、どう思われるんだろうね?」
「さあな」
「定年退職前は、朝から、いなくなってくれたのに…。何よ、何なのよ!って、奥様なんかは、怒らないのかなあ?」
「…」
「そういうのって、最悪級の、ボムだよね?うらやましいんだか、かわいそうなんだか、わからなくなってくるだろう?」
「ひどい、言い方だな」
「だから、さ。もう、最後のファンタジーにしてほしいって、思うわけだよ。なあ、ヒビキ君?」
「…」
「社会は、回るんだ。良いときも、悪いときも。皆、それぞれの真実のステージの上を、生きるしかないんだ」
「…」
「うらやましいよね?周りが、はつらつステージにしか見えなかった人たちだって、多かっただろうね」
「…」
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